南原清隆の学歴|出身は高松第一高校!大学や中学校の偏差値と若い頃の画像

 

「ウッチャンナンチャン」の南原清隆さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。南原さんは学生時代は勉強が得意でかなりの進学校に通学していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします

 

南原清隆(なんばら きよたか)

 

 

1965213日生

身長174

血液型はAB型

 

香川県出身のお笑いタレント、俳優

お笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」のメンバー

本名同じ、愛称は「ナンチャン」

 

以下では南原清隆さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

南原清隆の学歴まとめ

 

出身専門学校:横浜放送映画専門学校

出身高校:高松第一高校

出身中学校:高松市立下笠居中学校

出身小学校:高松市立下笠居小学校

 

南原清隆の学歴~出身小学校(高松市立下笠居小学校)の詳細

 

出身小学校:香川県 高松市立下笠居小学校

 

 

 

南原清隆さんの出身小学校は公立の共学校の高松市立下笠居小学校です。

 

家族構成は両親と弟2人、妹1人の6人家族です(4人きょうだいの長男)。

 

 

父親は大工でした。

 

幼少期からお笑い好きで目立ちたがり屋だったようで、小学生の時に友人の前で「電線音頭」を踊ったことがあるそうです。

 

また地元香川県への思い入れが強く、讃岐うどんが大好物だそうです。

 

子供の頃に耳の先が外向きに尖っていたことから、友人から「宇宙人」と呼ばれてからかわれたことがありました。

 

幼少期からジャズダンスを習っていたことから、現在でも社交ダンスやジャズダンスを趣味としています。

 

またラテンダンスとモダンダンスのそれぞれ1級を取得しています。

 

南原清隆の学歴~出身中学校(高松市立下笠居中学校)の詳細

 

出身中学校:香川県 高松市立下笠居中学校 偏差値なし

 

 

 

南原清隆さんの出身中学校は、地元高松市内の公立校の下笠居中学校です。

 

中学生の頃は落語家になりたいと思っていたそうです。

 

 

後記の進学校に合格しているので、中学時代は勉強ができたはずです。

 

ただし南原さんの中学時代の情報やエピソードはほとんど見当たりませんでした。

 

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南原清隆の学歴~出身高校(高松第一高校)の詳細

 

出身高校:香川県 高松第一高校 偏差値69(難関)

 

 

 

南原清隆さんの出身高校は、市立の共学校の高松第一高校です。

 

同校は1928年設立の公立校で、高松高校や丸亀高校などと並び県内ではトップクラスの進学校です。

 

同校は一般受験でしか入学ができないためかなりの学力を有していました。

 

高校時代はパーマをかけて、当時トップアイドルだった近藤真彦さんと同じ髪型にしていました。

 

南原さんは高校時代は落語研究会に在籍しており、かなりの落語好きでした。

 

そのため学校帰りにたびたびレコード屋に立ち寄って、落語のレコードを買っていたことをインタビューで話しています。

 

古典芸能部にも在籍しており、初めて「現代狂言」を見たそうです。

 

また高校時代に祭りで獅子舞を踊りました。

 

また当時から映画好きで多くの映画も鑑賞していました。

 

ただしその後に落語家に入門した先輩たちが何人も挫折したのを見て俳優志望に転向しています。

 

【主な卒業生】

尾木直樹(教育評論家)

川井郁子(ヴァイオリニスト)

大藪春彦(作家)

 

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南原清隆の学歴~出身大学(横浜放送映画専門学校)の詳細

 

出身大学:横浜放送映画専門学校 偏差値なし

※現在は日本映画大学(偏差値35

 

 

 

南原清隆さんは高校卒業後は、横浜放送映画専門学校に進学しています。

 

この専門学校は1975年開校で、映像関係者や脚本家、俳優などを養成していきました。

 

俳優の長谷川初範さんや北村有起哉さんらも卒業生ですが、なぜかお笑い芸人を数多く輩出しており以下の人物たちが出身者です。

 

ウッチャンナンチャン

出川哲朗

古坂大魔王

ニッチェ

狩野英孝

バカリズム

平子祐希(アルコ&ピース)

 

なお同校は1985年に日本映画学校となり、2011年には日本映画大学に改組されています。

 

南原さんは俳優志望だったため、この専門学校に進学しています。

 

なおこの学校の俳優科(旧演劇科)は2012年に廃止されています。

 

学生時代に2ヶ月間ほどバーテンダーのアルバイトをしており、酔った時に作るカクテルがお客さんから好評だったようです。

 

専門学校に入った当初からデビューしてもしばらくは風呂無しで、家賃18,000円のアパートに住んでいました。

 

そのため相方である内村光良さんのアパートでよくお風呂を借りていたそうです。

 

この専門学校では田植えの授業があり、夏の朝5時から農作業で同級生が集まっていました。

 

またこの専門学校では相方である内村光良さんや出川哲朗さん、入江雅人さんと出会いました。

 

出川さんとは共にダンススクールに通っており、ダンサーとしてブロードウェイの舞台に立つ事を真剣に目指していました。

 

当初は俳優志望でしたが、同校で内村光良や出川哲朗さんと出会ってお笑い芸人を目指します。

 

また南原さんは内村さんが監督を務めた自主映画「お座敷小唄」の主演を務めました。

 

漫才の授業をきっかけに内村さんとお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成し、漫才の授業の講師の勧めで芸能事務所に所属し、「お笑いスター誕生!!」に出演しています。

 

 

そして1987年には出川さんらと劇団「SHA・LA・LA」を結成しました。

 

 

1988年に出演した「夢で逢えたら」でダウンタウンと共にブレイクを果たして、人気コンビの仲間入りをしています。

 

 

そして1992年には映画「七人のおたく」で日本アカデミー賞新人賞を受賞しました。

 

 

1993年にスタイリストの女性と結婚をしており、2005年3月に男児が誕生し1児の父親となっています。

 

1997年1月にはキャイ~ンの天野ひろゆきさんとビビアン・スーさんと共に番組内ユニット「ブラックビスケッツ」を結成しており、同年12月に1stシングル「STAMINA」をリリースするとミリオンセラーを記録しました。

 

 

また2ndシングルの「Timing」はCD出荷枚数200万枚の大ヒットとなりました。

 

1998年の「NHK紅白歌合戦」にも出場を果たしましたが、1999年に「ブラックビスケッツ」は活動を停止しています。

 

2003年、2004年、2006年、2010年に開催された「M-1グランプリ」で決勝戦審査員を務めました。

 

また2003年からは高校時代の夢であった落語に挑戦し、2006年からは狂言と古典芸能に挑戦しており活動の幅を広げています。

 

2011年3月からはテレビ番組「ヒルナンデス!」の総合司会を務めています。

 

 

このところは本業のお笑い以外の活動が目立っています。

 

以上が「ウッチャンナンチャン」南原清隆さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

20歳の時にお笑い芸人としてデビューしていますが、瞬く間に「ウッチャンナンチャン」は人気コンビとなっています。

 

最近ではコンビでの活動よりも単独での活動が目立ち、主に司会者やMCとして活躍しています。

 

 

未だに高い人気を誇るだけに、今後のいっそうの活躍にも期待です。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1985年に南原清隆とお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成し、「お笑いスター誕生」などに出演。

1987年に出川哲朗らと劇団「SHALALA」を結成し、舞台俳優としても活動。

コンビは1988年から出演した「夢で逢えたら」で大ブレイクを果たす。 

以降は「やるならやらねば!」や「ウリナリ」、「笑う犬」などの出演番組も多数ある。 

1992年に出演した映画「七人のおたく」で日本アカデミー賞新人賞を受賞。

2008年の「その日のまえに」で映画初主演。 

司会者やMCとしても活動しており、20113月から情報番組「ヒルナンデス!」のMCを務める。 

私生活では1993年に一般人と結婚し、2005年に長男が誕生した。

 

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