美保純の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値|不良だった!

 

女優の美保純さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は美保さんは学生時代は不良で、毎年のように補導された経験がありました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

美保純(みほ じゅん)

 

 

196084日生

身長158

血液型はA型

 

静岡県静岡市出身の女優、タレント

本名は曽根ちよ美(そね ちよみ)

 

以下では美保純さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

経歴/プロフィールの詳細

 

1980年にディスコ・クイーン・コンテストに出場して優勝。 

1981年の主演作「制服処女のいたみ」でデビュー。 

当初は日活ロマンポルノ中心に活動し、1982年の「ピンクのカーテン」でブルーリボン賞新人賞を受賞。 

1983年の「ピンクのカーテン3」を最後にポルノ映画に出演していない。

以降は「男はつらいよシリーズ」などで人気を博す。 

1986年の「シャツの店」でテレビドラマ初出演。 

テレビドラマの代表作は、「菊次郎とさき」や「クライマーズ・ハイ」、「あまちゃん」など。 

タレントとしても「5時に夢中」や「バイキング」、「ごごナマ」などの番組に出演。 

結婚歴はない。

 

美保純の学歴~出身小学校(静岡市立新通小学校)の詳細

 

出身小学校:静岡県 静岡市立新通小学校

 

 

 

美保純さんの出身小学校は、地元静岡市内の公立校・静岡市立新通(しんとおり)小学校です。

 

家族構成は両親と兄、姉の5人家族です(3人きょうだいの末っ子)。

 

父親は木工家具の職人をしており、母親は弁当屋で働いていました。

 

貧しい家庭で育ったことから水道は井戸で、服はすべて姉のお下がりでした。

 

また縄跳びのロープを購入してもらえなかったことから、普通の縄を使っていました。

 

子供の頃から活発で海や川でよく泳いでおり、気に入れない男子に平手打ちをしていたそうです。

 

美保さんは小学校低学年の頃に学級委員を務めた経験もあります。

 

小学3年生の頃には台本を書いて一人で人形劇をやっていました。

 

小学5年生のときに学校で飼っていた鳥がどんどん死んでしまったことから、学級裁判にかけられており、このことがきっかけで世の中に不信感を抱くようになりました。

 

この頃から反抗期となり、家族にも暴力をふるうようになったそうです。

 

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美保純の学歴~出身中学校(静岡市立末広中学校)の詳細

 

出身中学校:静岡県 静岡市立末広中学校 偏差値なし

 

 

 

美保純さんの出身中学校は、地元静岡市内の公立校・静岡市立末広中学校です。

 

中学時代はバレーボール部に在籍をしており、スポーツは得意だったようです。

 

中学生の時にスティービー・ワンダー「悪夢」を聞いたことがきっかけとなり、ブラックミュージックにハマるようになりました。

 

友人は郷ひろみさんの曲を聴いている時代だったことから、美保さんだけ浮いていたといいます。

 

後述するように小学校高学年の頃から思春期でどんどん素行が悪くなり、毎年警察の補導をされていたことを告白しています。

 

その理由については「万引き未遂みたいな」と明かしていました。

 

また補導されることが何度も続いたことから、親も慣れてしまい警察に笑顔で迎えにきたこともあったようです。

 

美保さんは美術の成績は優秀でいつも5でした。

 

【主な卒業生】

未唯(ピンクレディー)

 

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美保純の学歴~出身高校(静岡精華学園高校)・大学の詳細

 

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出身高校:静岡県 静岡精華学園高校(中退) 偏差値42(容易)

※現在は静岡大成高校

 

 

 

美保純さんが入学したのは、私立の女子校(当時)の静岡精華高校です。

 

この高校は1903年開校の私立高校で、スポーツが盛んなことで知られています。

 

また美保さんが在籍した当時は女子校でしたが、2004年に男女共学化されて校名も静岡大成高校に変更されています。

 

後述するように中学時代にブラックミュージックに夢中になった影響もあり、当時は一刻も早くめちゃくちゃな髪型にしたいと思っていました。

 

当時のことについてインタビューでは次のように語っています。

 

「とにかく、ファンキーで、なに人かわからないような髪型にしたくて。でも、地元の静岡の田舎町には、アフロにしてくれる場所がなかった。」

 

そして高校1年生のときにスティービー・ワンダーさんやマイケル・ジャクソンさんの写真を握りしめて、こんな風にしてほしいと美容室に行ったそうです。

 

美保さんは校則もお構いなしに髪の毛を赤く染めた挙句に、入学からわずか3ヶ月で学校を自主退学しています。

 

美保さんにとって当時はその髪型が不良ではなく、お洒落だったとインタビュー語っていました。

 

以降は静岡市にある西武百貨店などさまざまなところでアルバイトをしています。

 

そして「全日本ディスコ・クイーン・コンテスト」で優勝をしていますが、このことがきっかけで「風紀を乱す」という理由で西武百貨店のアルバイトを辞めさせられました。

 

美保さんはお金を貯めて上京しており、当初は店内の飾りつけなどをするデコレーター志望だったそうです。

 

スカウトをされたことがきっかけで1981年にポルノ映画で主演としてデビューをしていますが、当時は年齢を19歳と偽っていました(実際は21歳)。

 

また芸能界入りをしたことについてはインタビューで次のように話していました。

 

「不良っぽい野性的な女の子がいきなり芸能界に入っちゃった感じ。テレビ向きじゃない雰囲気だったと思います。」

 

そして1982年に主演した「ピンクのカーテン」は大ヒットしています。

 

 

この映画は日活ロマンポルノの作品ながら、美保さんは演技を評価されてブルーリボン賞新人賞を受賞しています。

 

以降も主演作が軒並みヒットしたことから、当時は「ポルノ界の聖子ちゃん」の異名をとっていました。

 

芸能 第25回ブルーリボン賞・新人賞の美保純 「ピンクのカーテン」

 

1983年にポルノ映画から事実上の引退をすると、「男はつらいよシリーズ」などで人気を博します。

 

 

以降は数々のテレビドラマや映画に起用される人気女優になっています。

 

 

またトーク力もあることからタレントとしても重宝されており、数々のバラエティ番組に出演しています。

 

 

今後の活躍にも期待ですね。

 

以上が美保純さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

ポルノ女優から見事に本格的な女優に転向した稀な人物で、その後はかなり多くの映画やテレビドラマに出演しています。

 

 

主演作はほとんどありませんが、安定した演技力で数々の作品に花を添えています。

 

トーク力もあり、女優のほかにもタレントとしても人気が高いので、末永い活躍を期待したいところです。

 

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