内村光良の学歴と経歴|出身は人吉高校!大学や中学校の偏差値と若い頃のカッコイイ画像

 

「ウッチャンナンチャン」の内村光良さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は内村さんは学生時代はお笑い芸人ではなく、映画監督志望でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のカッコイイ画像なども併せてご紹介いたします

 

内村光良(うちむら てるよし)

 

 

1964722日生

身長169

血液型はAB型

 

熊本県出身のお笑いタレント

お笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」のメンバー

本名同じ

 

以下では内村光良さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します

 

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目次

内村光良の学歴まとめ

 

出身専門学校:横浜放送映画専門学校

出身高校:熊本県立人吉高校

出身中学校:人吉市立第二中学校

出身小学校:免田町立免田小学校→人吉市立西瀬小学校

 

内村光良の学歴~出身小学校(免田町立免田小学校)の詳細

 

出身小学校:熊本県 免田町立免田小学校

※現在はあさぎり町立免田小学校

 

 

 

内村光良さんのが入学したのは、熊本県免田町内の公立校の免田小学校です。

 

家族構成は両親と妹の4人家族です。

 

 

実家は酒屋を経営していました。

 

また母方の実家は米焼酎の蔵元で、子供の頃から杜氏の作業を見るのが大好きでした。

 

内村さんは免田町立免田小学校に入学しましたが、小学4年生の時に人吉市に移住して人吉市立西瀬小学校に転校しています。

 

 

 

内村さんは幼少期から色白だったため、小学生の頃の担任の先生に「君は色が白いから歌舞伎役者になるといいよ」とアドバイスをもらったことがあるそうです。

 

また小学生の頃に父親が趣味で買った8ミリカメラや映写機に触れたことが、内村さんが映画に興味を持ったきっかけだったようです。

 

「親父が8ミリカメラで入学式の様子を撮ってくれたり、深夜映画で放送されていた「七人の侍」を「これは観ときなさい」と言ってくれたりしていてね。映画に夢中になったのは、親父の影響が大きかったでしょうね」

 

小学生の頃からNHKの朝ドラのファンで、「藍より青く」や「鳩子の海」を観るのが日課でした。

 

加えて小学校時代の学校の成績は非常に優秀でした。

 

内村光良の学歴~出身中学校(人吉市立第二中学校)の詳細

 

出身中学校:熊本県 人吉市立第二中学校 偏差値なし

 

 

 

内村光良さんの出身中学校は、地元人吉市内の公立校の第二中学校です。

 

中学時代は野球部に在籍して、部活動に打ち込んでいます。

 

野球部では副キャプテンを務めています。

 

また内村さんは中学3年生の時は生徒会長も務めており、当時からリーダーシップを発揮しています。

 

そして中学時代にチャップリン映画にハマって、映画に熱中したことをインタビューで話しています。

 

「中1のときにチャップリンの「街の灯(ひ)」という映画を観たときに、改めて映画のすばらしさのとりこになったことを今でも鮮明に覚えています。あとは「ロッキー」にもハマって、中1〜中2くらいのときには、「映画監督になりたい」と思っていましたね」

 

また中学時代に「がんばれ!ベアーズ」と「アドベンチャー・ファミリー」の洋画2本立てを見て、漠然と映画を作ろうと思い立っています。

 

そのため内村さんは中学校の文化祭では、映画をモチーフにした劇を上演したりしていました。

 

その際には自ら脚本だけでなく演出や主演を務めています。

 

なお内村さんは中学時代から女子に非常にモテていました。

 

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内村光良の学歴~出身高校(熊本県立人吉高校)の詳細

 

出身高校:熊本県 人吉高校 偏差値52(普通)

 

 

 

内村光良さんの出身高校は、県立の共学校の人吉高校です。

 

この高校は1916年開校の公立校で、スポーツが盛んでカヌー部や陸上部が県内では強豪です。

 

同校は偏差値は普通レベルですが、東京大学や大阪大学などの難関大学に進学する卒業生もいて、進学実績の高い高校として知られています。

 

内村さんは高校時代は部活動などはおこなっておらず、映画同好会に所属していました。

 

 

前記のように内村さんは中学時代から映画にハマっており、高校時代からは撮影用の機材を揃えて自主映画を制作して上映するようになりました。

 

高校の文化祭では毎年自主映画を上映しています。

 

高校1年生の時には「空を飛ぶことを夢見る少年の物語」という作品を制作しています。

 

その後はアクション映画を制作して、監督兼主演として出演もしていました。

 

ちなみに撮影用の機材はアルバイトに励んで購入しています。

 

また高校時代の内村さんはサザンオールスターズの大ファンでした。

 

熊本の郊外に在住していたので高校時代はライブなどには行けませんでしたが、専門学校時代に南原さんや出川さんらと一緒にライブに行っています。

 

なおイケメンで知られる内村さんですが、高校時代は彼女がいました。

 

高校時代に映画「伊豆の踊子」を観た後にファーストキスもしたそうです。

 

また中学時代までは学校の成績も優秀でしたが、高校時代に学力が低下したことをインタビューで明らかにしています。

 

成績低下の原因は映画作りにのめり込み過ぎたからです。

 

とは言え大学ではなく専門学校に進学したことで、南原さんや出川さんと出会っていますので結果オーライのようですね。

 

【主な卒業生】

とり・みき(漫画家)

塚原哲平(歌手)

 

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内村光良の学歴~出身大学(横浜放送映画専門学校)の詳細 

 

出身大学:横浜放送映画専門学校 演劇科 偏差値なし

※現在は日本映画大学(偏差値35

 

 

 

内村光良さんは高校卒業後は、横浜放送映画専門学校に進学しています。

 

この専門学校は1975年開校で、映像関係者や脚本家、俳優などを養成していました。

 

また俳優の長谷川初範さんや北村有起哉さんらも出身者ですが、なぜかお笑い芸人を多く輩出しており以下の人物たちが出身者です。

 

ウッチャンナンチャン

出川哲朗

古坂大魔王(中退)

ニッチェ

バカリズム

加納英孝

平子祐希(アルコ&ピース)

 

なお同校は1985年に日本映画学校となり、2011年には日本映画大学に改組されています。

 

ちなみに俳優科(旧演劇科)は2012年に廃止されています。

 

後述するように内村さんは中学時代に映画にハマったことから、映画監督を目指しこの専門学校に入学しています。

 

専門学校時代は神奈川大学に通学していた2歳年上のいとこで放送作家の内村宏幸さんのアパートで同居をしていました。

 

高校時代に自主映画を制作していたため、専門学校に入学後にはぴあフィルムフェスティバルに応募したそうですが落選しています。

 

この専門学校では相方である南原清隆さんや出川哲朗さん、入江雅人さんと出会いました。

 

 

内村さんはジャッキーチェンに似ていることから、専門学校時代から出川さんに「チェン」と呼ばれているそうです。

 

また自身もジャッキーチェンのファンであり、ものまねをしたりして本人と共演も果たしています。

 

内村さんは専門学生だった頃にアルバイトをしていなかったため、出川さんがよくカレーライスを奢っていたそうでインタビューでは次のように話していました。

 

「学生時代(の内村)はグータラで働かなくてとにかくお金がない。俺がバイトしてた喫茶店に1週間のうちに2回か3回は来て、カレーを伝票に付けないで奢ってた」

記事引用:smart-flash.jp

また南原さんにもよく食事を奢ってもらっていました。

 

漫才の授業をきっかけに南原さんとコンビを組んでいます。

 

「授業で「クラスの誰でもいいからコンビを組め」となって。講師は内海桂子・好江師匠。そこで余った者同士で組んだのが南原君だったんです。同じクラスには出川君もいましたけど、本能的に、彼とは組まなかったんでしょうね(笑)。そこで南原君とのネタがウケたもんだから(笑)、好江師匠にすすめられて受けたのが「お笑いスター誕生!!」というオーディション番組です」

 

20歳だった1984年に南原さんとお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成し、「お笑いスター誕生!!」に出演しています。

 

 

1987年には出川さんらと劇団「SHA・LA・LA」を結成しました。

 

 

1988年に出演した「夢で逢えたら」でダウンタウンと共にブレイクを果たして、人気コンビの仲間入りをしています。

 

 

1995年には音楽ユニット「ポケットビスケッツ」としても活動を開始し、1998年にNHK紅白歌合戦に出場しました。

 

 

そして2000年代からはコンビではなくピンでの活動が中心となっており、「内村さまぁ〜ず」や「世界の果てまでイッテQ!」、「スクール革命!」などに出演しています。

 

また2005年に徳永有美さんと結婚しており、2009年に長女、2013年に長男が誕生しています。

 

 

人材の育成にも定評があり、お笑い界における貴重な人物なだけに今後の活躍がいっそう期待されます。

 

以上が「ウッチャンナンチャン」内村光良さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

21歳でデビューしていますが、コンビは瞬く間にスターダムに上り詰めています。

 

また人望が非常に厚いことでも知られており、後進の育成などにも熱心に取り組んでいます。

 

 

今後のいっそうの活躍にも期待です。

 

 

内村光良の経歴・プロフィールの略歴

 

1964年(0歳):熊本県で生まれる

1980年(16歳):自主映画を制作して上映しはじめる

1980年(16歳):自主映画「空を飛ぶことを夢見る少年の物語」を作成

1983年(19歳):ぴあフィルムフェスティバルに応募するも落選

        漫才の授業をきっかけに南原清隆とコンビを組む

1984年(20歳):南原清隆とお笑いコンビ「ウッチャンナンチャン」を結成

1984年(20歳):「お笑いスター誕生!!!」に出演

1987年(23歳):出川哲朗らと共に劇団「SHA・LA・LA」を立ち上げる

1988年(24歳):バラエティ番組「夢で逢えたら」に出演

1995年(31歳):音楽ユニット「ポケットビスケッツ」としても活動開始

1998年(34歳):NHK紅白歌合戦初出場

2005年(41歳):徳永有美と結婚

2006年(42歳):「ピーナッツ」にて映画監督デビュー

2017年(53歳):NHK紅白歌合戦の総合司会を務める

 

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