原口元気の学歴と経歴|出身は西武台高校・ウィザス高校!大学や中学校の偏差値と学生時代のかっこいい画像

 

サッカー選手の原口元気さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。日本代表としても活躍している原口さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

原口元気(はらぐち げんき)

 

 

199159日生

身長179㎝、体重68

血液型はO型

 

埼玉県熊谷市出身のプロサッカー選手

本名同じ、愛称は「ゲンキ」

 

以下では原口元気さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

スポンサードリンク

 

目次

原口元気の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:西武台高校→ウィザス高校 通信制課程

出身中学校:熊谷市立別府中学校

出身小学校:熊谷市立別府小学校

 

原口元気の学歴~出身小学校(熊谷市立別府小学校)の詳細

 

出身小学校:埼玉県 熊谷市立別府小学校

 

 

 

原口元気さんの出身小学校は、地元熊谷市内の公立校・熊谷市立別府小学校です。

 

家族構成は両親と兄、妹の5人家族です(3人きょうだいの真ん中)。

 

父親は高校時代から社会人までサッカー経験があり、母親はスキーで全国大会に出場経験があります。

 

自宅の1階に母親が開業した動物病院があったことから、原口さんは子供の頃から動物に囲まれて育ちました。

 

原口さんは自身の幼少期について次のように話しています。

 

「幼稚園の頃からボールを持ってドリブルして、『誰にも負けねえ』って思っていました。ボールを持ったら相手を抜ける。それは最近まで揺るぎない自信として僕の中にありました」

 

小学校時代に地元のサッカーチーム江南南サッカー少年団に入団しています。

 

 

すると主力選手として活躍して、小学校6年生だった2003年には全日本少年サッカー選手権大会で優勝を飾っています。

 

 

スポンサードリンク

 

原口元気の学歴~出身中学校(熊谷市立別府中学校)の詳細

 

出身中学校:埼玉県 熊谷市立別府中学校 偏差値なし

 

 

 

原口元気さんの出身中学校は、地元埼玉県熊谷市内の公立校・熊谷市立別府中学校です。

 

中学校に入学と共に浦和レッズのジュニアユースに入団をして、その後は飛び級でユースに昇格しています。

 

そのため中学時代も学校のサッカー部には所属していません。

 

 

自身の中学時代についてインタビューでは次のように話しています。

 

「中学生くらいの時から『早くトップに上げてくれよ』って周囲に公言していたくらいでしたから(笑)。プロの選手のプレーを見て、『俺の方が上手いよ』とも思っていた。そうとう天狗でしたから(苦笑)」

 

スポンサードリンク

 

原口元気の学歴~出身高校(西武台高校・ウィザス高校)・大学の詳細

 

出身高校:埼玉県 西武台高校 進学コース 偏差値47(容易)

※後にウィザス高校に転校して卒業

 

 

 

原口元気さんが入学したのは、私立の共学校の西武台高校です。

 

この高校は1981年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。

 

特にサッカー部や硬式野球部などが県内では強豪です。

 

また同校は以下の4つのコースを設置していますが、原口さんは進学コースに在籍していました。

 

特進S:偏差値61

選抜Ⅰ:偏差値57

選抜Ⅱ:偏差値50

進学:偏差値47

 

原口さんは高校時代はこの高校のサッカー部ではなく、浦和レッズユースでサッカーに打ち込んでいました。

 

 

原口さんは高校1年生のころから卒業後にトップチームに上がろうという考えではなく、「早くトップに上がってプレーをしたい」という気持ちをすでに持っていました。

 

このことについてインタビューでは次のように話しています。

 

「ユースの試合などもトップをイメージしながらのプレー、トップに上がったあとのことをイメージしたプレーを心がけていました。以前のレッズはアカデミー(下部組織)から昇格した選手が少なかったので、僕は絶対に活躍してやろうと思っていました。ですから、高校生のころから目指しているところは高かったと思います」

 

原口さんはレッズユースの頃は高校サッカーに負けてはいけないというライバル意識を持っていたことを次のように明かしています。

 

「ユースの一員としては高校サッカーに負けたくないという気持ちでした。当時から、高校サッカーには高校サッカーの良さがあるということは理解していましたが、ユースからプロに行こうという選手が高校サッカーに負けちゃいけないだろうというライバル意識はありましたね。」

 

また高校1年生の頃から寮に入っており、食事面では完ぺきだったそうでインタビューで次のように話しています。

 

「高校1年からレッズの寮に入っていたので、食事面は完璧でした。寮のご飯を食べていれば間違いなかったので、一日3食、しっかりと寮のご飯を食べていました。ポテトチップなどのスナック菓子は食べたことがないですし、食べたいとも思わないです。高校生のころからそうですし、今でもそうです」

 

高校時代もサッカー選手として大きく進化を遂げており、高校2年生の1月に浦和レッズと契約をして3月にはJリーグデビューを果たしています。

 

 

【主な卒業生】

瀬戸麻沙美(声優)

あやなん(YOUTUBER)

 

原口さんはサッカーにより集中しやすい環境を求めて、高校2年生の途中でウィザス高校の通信制課程(偏差値なし)に転校しています。

※現在は第一学院高校

 

 

 

この高校は2005年開校の広域制通信制高校で、サッカー選手が多く在籍していることで知られています。

 

原口さんは自身の高校時代を振り返り、サッカーをやっていて楽しいだけでプレッシャーも感じたことがなかったため、当時はメンタルなどは関係ないと思っていたと話しています。

 

ただプロになってからは思い通りに行かないことが多かったそうで、インタビューでは次のように話しています。

 

「それがプロになって初めて、自由を奪われたというか・・・いや、自由なんですけども、自分のプレーに関していろいろと指導されることが今までなかったので、自分自身が戸惑ってしまったのかもしれないです」

 

プロになり自分のプレーが通用しないことに直面した原口さんは自信喪失してしまったといいます。

 

このことについては次のように話しています。

 

「プレーが通用しない。周りからいろいろ言われる。自信をなくす。もう悪循環でした。そして最後には『俺が一番だ!』とは思えなくなってしまった」

 

とは言えプロ1年目からゲームには出場していたため、上手くならなければと思っていたけれど落ち込むことの方が多かったようです。

 

【ウィザス高校の主な卒業生】

香川真司(サッカー選手)

酒井宏樹(サッカー選手)

柿谷曜一朗(サッカー選手)

 

大学には進学していない

 

原口さんは高校卒業後は大学などには進学しておらず、サッカーに専念しています。

 

浦和レッズでは20歳だった2011年からレギュラーに定着しています。

 

 

 

この年にははじめて日本代表に選出されています。

 

2014年からは海外のクラブでプレーしています。

 

 

ブンデスリーガでも主力選手として活躍しているほか、2016年のW2次予選では史上初となる4試合連続得点を記録するなど日本代表でも主要メンバーになっています。

 

また2015年にタレントの香屋ルリコさんと結婚した際には大きな話題になっています。

 

 

長らく日本代表でも主力として活躍しており、今後の活躍にも期待ですね。

 

以上が原口元気さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

高校時代から注目を集める存在でしたが、プロとなった後も大きな飛躍を遂げています。

 

また日本代表でも主力選手としてチームをけん引しています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

スポンサードリンク

 

経歴/プロフィールの詳細

 

20091月に浦和レッズに入団。 

同年の開幕戦でいきなりデビューし、4月にクラブ日本人最年少ゴール(1711か月)を決めた。 

2011年からレギュラーに定着して、チームをけん引。 

同年10月のキリンチャレンジカップで日本代表に初招集。 

20145月にドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンに移籍。

 2015年からレギュラーを獲得し、主力選手として活躍。 

20179月にヘルタでの公式戦100試合出場を達成。 

20181月からブンデスリーガ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフにレンタル移籍。

私生活では2015年にタレントの香屋ルリコと結婚。



 

ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。また出身校や偏差値情報などのリサーチには万全を期しているつもりですが誤りなどがあった場合はご指摘していただけると幸いです。なお返信はあるだけ早くおこなうようにしていますが、数日かかる場合があることをご了承ください。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

目次