人気バンドいきものがかりの紅一点・吉岡聖恵さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をご紹介します。いきものがかりを結成した高校時代や歌に悩んだ大学時代など、学生時代のエピソードや当時のかわいい画像なども併せてご紹介します
吉岡聖恵(よしおか きよえ)
1984年2月29日生
身長160㎝
血液型はA型
神奈川県厚木市出身の歌手
いきものがかりのボーカル
本名同じ
以下では吉岡聖恵さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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吉岡聖恵の学歴まとめ
出身大学:昭和女子大学短期大学部
出身高校:神奈川県立海老名高校
出身中学校:厚木市立南毛利中学校
出身小学校:厚木市立南毛利小学校
吉岡聖恵の学歴~出身小学校(厚木市立南毛利小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 厚木市立南毛利小学校
吉岡聖恵さんの出身小学校は、地元厚木市内の公立校の南毛利小学校です。
家族構成は両親と2歳年上の兄、6歳年下の弟の5人家族です。
吉岡さんは吉岡家に60年ぶりに生まれた女児だったことから、生まれた時から親戚一同に寵愛されて育っています。
実家は厚木市内の郊外で兼業農家をしており、吉岡さんも帰省時にはたびたび家業を手伝っています。
子供の頃には家族に加え、曾祖父母と祖父母も一緒に暮らす大家族で、曾祖母から童謡を教えてもらったことがきっかけで歌が好きになっています。
「両親が録っていた子供の頃のビデオを見ると、本当に歌っている場面が多くて「小さい頃から歌うことが好きだったんだなぁ」って自分でも驚きます」
吉岡さんは幼少期から活発な少女でした。
幼稚園の頃からピアノを習っており、小学生時代にはピアノも一生懸命頑張っていたとのこと。
さらに小学校時代は小学校1年生の頃から地元の合唱団に入団しています。
その際のエピソードをインタビューで次のように話しています。
「合唱団には小学校1年生から6年生まで在籍していましたね。そこでは地域の友だちと一緒にピアノの伴奏で歌って、1年に1回ミュージカルの発表があったりもしましたね。高学年になると役がもらえて、4年生で初めて役をもらって、5年、6年のときはソロで歌うパートがあったんです。そういうみんなで歌うような音楽が大好きで、ひと際張り切って歌う子という感じでした」
また小学校時代は「郵便屋さんごっこ」が好きで、自分で書いた手紙や折り紙を近所のおばあちゃん宅に勝手に配達していたそうです。
吉岡さんがはじめてCDを買ったのは小学校4年生の頃で、Mr.Childrenの「CROSS ROAD」でした。
まさに歌と音楽に溢れた小学生時代でした。
吉岡聖恵の学歴~出身中学校(厚木市立南毛利中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 厚木市立南毛利中学校 偏差値なし
吉岡聖恵さんの出身中学校は、地元厚木市の公立校の南毛利(なんもうり)中学校です。
中学時代には合唱部に所属しています。
また中学1年生と2年生の時には地元にあったミュージカルのオーディションを受けて合格して、舞台にも立っています。
ただしミュージカルが好きだったことではなく、「歌うことが好きだった」と当時を回想しています。
また吉岡さんは中学2年生の頃から毎日日記を書いており、よく読み返していました。
ちなみに吉岡さんのお父さんもこの中学校の卒業生で、在籍時にはプロ野球巨人軍の原監督と野球部のチームメイトでした。
なお前記の高校に一般受験で入学しているので、中学時代の学校の成績はよかったはずです。
【主な卒業生】
小嶋亜由美(パーソナリティ)
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吉岡聖恵の学歴~出身高校(神奈川県立海老名高校)の詳細
出身高校:神奈川県 海老名高校 偏差値61(やや難関)
吉岡聖恵さんの出身高校は、県立の共学校の海老名高校です。
この高校は1974年開校の県立校で、地元では進学校として知られ難関大学に進む卒業生もいます。
吉岡さんはこの高校に一般受験で入学しており、勉強も得意でした。
高校時代はバトン部と放送部、軽音楽部を掛け持ちしていました。
軽音楽部では「JUDY AND MARY」のコピーバンド「ジュディマロ」を結成して活動しており、校内でも人気を博していました。
(ジュディマロのメンバーと)
吉岡さんは当時から「JUDY AND MARY」のボーカルのYUKIさんに憧れており、楽曲も好んで聴いていました。
当時から「YUKIさんのように歌えたらいいな」と思っていましたが、全然うまく歌えなかったそうです。
高校1年生だった1999年11月にいきものががりの路上ライブに飛び入りして、そのままメンバー入りします。
他のメンバーの水野良樹さんと山下穂尊さんは神奈川県立厚木高校(偏差値69)の同級生で、なおかつ吉岡さんの兄とも同級生だったので、吉岡さんが兄に呼び出されて路上ライブに加わりました。
当時は女性ボーカルがいるグループは周りになかったので、目新しさもあって吉岡さんを加入させました。
3人組となった後は、神奈川県の本厚木駅や海老名駅を中心に路上ライブを展開し、活動していきました。
後に吉岡さんは当時のスタンスについてインタビューで話しています。
「私たちは路上ライブからスタートしているので、自分の感情を叫ぶという感じではなくて、曲の世界に入ってもらったり、曲に気持ちを重ねてもらうことで、足を止めてもらっていました。聴いてくれた人に「わかるわかる」って言ってもらえることを目指していました」
記事引用:AERA dot.
さらには高校時代は「Hot Spring」というパンクバンドのボーカルも務めており、単独でも路上ライブをおこなっています。
そして吉岡さんが高校2年生の9月に進学校に通学していた水野さんと山下さんが大学受験期間に入ることから、いきものがかりはいったん解散して、元厚木駅前の路上ライブでも解散ライブをおこなっています。
当時は誰ひとりメジャーデビューしたいとかプロになりたいとは思っておらず、予定通りの解散でした。
メンバー全員が進学校に通っていたグループらしいエピソードですね。
とは言え解散ライブにはたくさんの人が集まったので、高校時代のいい思い出になりました。
(高校時代)
【主な卒業生】
宮地眞理子(タレント)
三遊亭ごはんつぶ(落語家)
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吉岡聖恵の学歴~出身大学(昭和音楽大学短期大学部)の詳細
出身大学:昭和音楽大学短期大学部 音楽科ミュージカルコース 偏差値40(容易)
吉岡聖恵さんは高校卒業後は、昭和音楽大学短期大学部へと進学します。
この大学では音楽科のミュージカルコース(現在は廃止)に在籍していました。
ミュージカルコースに在籍したのは歌い方や歌唱法に幅を持たせるためでした。
ちなみに他のメンバーの水野さんは一橋大学、山下さんは法政大学の出身です。
しかし吉岡さんは大学では自信があった歌唱力がまったく通用しなかったことから、スランプに陥ります。
声楽の先生に歌い方を否定されたことがきっかけに悩んだ末に、歌うことすらできなくなってしましました。
このあたりについてはインタビューで次のように振り返っています。
「声の出し方が、ぜんぜん違ったんです。イタリア歌曲を歌う発声法を習得できなかったのが、いちばんツラい部分だったのかな。『ミュージカルコースに入って、おいしいところだけ歌に生かそう』っていうのは甘い考えだったんです」
記事引用:smart-flash.jp
前記のように吉岡さんは子供の頃から常に歌ってきたので、当時の悩みはかなり大きかったようです。
そして水野さんと山下さんがいきものがかりを再結成しようとした際には、吉岡さんはいったんは断っており、水野さんは1年間かけても説得できませんでした。
ところが山下さんが吉岡さんを説得すると、ものの1時間くらいで吉岡さんは翻意していきものがかりも再始動することになります。
その際のことを吉岡さんは次のようにインタビューでコメントしています。
「お前、ウジウジしてんなよ。ダメだったやめていいけど」っていう癒し系の本に書いてありそうな言葉をかけてくれたことが決め手でした(笑)
吉岡さんが短大の2年生だった2003年にいきものがかりとしての活動を再開し、すぐにインディーズデビューを果たします。
インディーズ時代はレコード会社からの評価は決して高くはありませんでしたが、現在所属するエピックジャパンの関係者がたまたまライブに来ていたことからメジャーデビューのきっかけを掴みました。
「大学生になって初めて地元のライブハウスでワンマンライブをしたんですけど、手売りで300人くらいにチケットを売って、自分たちなりには大規模なライブだったんですね。そこに、たまたま初代のマネージャーになる事務所の女性が観にきていて、それが大きかったです」(山下穂尊談)
そして吉岡さんが22歳の時にバンドはメジャーデビューを飾り、同じ年にリリースした2ndシングル「HANABI」はいきなりオリコンチャートで5位を記録するヒットとなります。
その後の活躍は周知の通りで、現在は日本を代表する人気バンドのひとつとなっています。
また2018年3月には初のソロシングル「うたいろ」をリリースしています。
以上が吉岡聖恵さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
バンドは数々のヒット曲を飛ばしてNHKの紅白歌合戦にも出場するなど、絶大な人気を誇っています。
またこのところはソロ活動も展開しており、初のソロアルバムのリリースは話題になりました。
バンドも円熟期に入っていますので、さらなる飛躍が期待されます。
経歴・プロフィールの詳細
15歳:1999年11月に兄の同級生だった水野良樹と山下穂尊が結成したいきものがかりの路上ライブに飛び入りし加入。
19歳:2003年8月にインディーズデビューし、2006年3月「SAKURA」でメジャーデビューを果たす。
22歳:2006年5月の2ndシングル「HANABI」が、オリコンチャート5位に入り注目を集める。
24歳:2008年の10thシングル「ブルーバード」で初のオリコンTOP3入りし、紅白歌合戦にも初出場。
26歳:2010年にリリースしたベストアルバム「いきものばかり~メンバーズBESTセレクション」が初のミリオンセラーを記録。
キャリアや人気の割には、意外にもシングルでオリコン1位を獲得したことがない(2016年12月現在)
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