人気お笑いコンビ「雨上がり決死隊」の蛍原徹さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は高校時代の蛍原さんはキレやすく、男女かまわずキレていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
蛍原徹(ほとはら とおる)
1968年1月8日生
身長166㎝
血液型はA型
大阪府出身のお笑いタレント
お笑いコンビ「雨上がり決死隊」のツッコミ担当
本名同じ、愛称は「ホトちゃん」
以下では蛍原徹さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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蛍原徹の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:府立門真高校
出身中学校:門真市立門真第三中学校
出身小学校:門真市立門真小学校
蛍原徹の学歴~出身小学校(門真市立門真小学校)の詳細
出身小学校:大阪府 門真市立門真小学校
蛍原徹さんの出身小学校は、地元門真市内の公立校の門真小学校です。
この小学校は1872年開校の門真市内では2番目に古い小学校です。
家族構成は両親と兄の4人家族です。
父親の職業は車の整備士です。
実家は裕福ではなく、子供の頃はかなりの貧乏生活を経験しています。
インタビューでもたびたび貧乏だった頃のエピソードを話しています。
「3畳一間に4人暮らし。パン屋さんのパン入れのわら半紙のような袋を筆箱にしていた」と筆箱も買えない生活だったと話した。」
記事引用:smart-flash.jp
「貧乏だからウチは違うんだって、5歳のときに思ってた。友達に『サンタは来なかった』って言えなかったから、うそをついて『俺はミニカーをもらった』って言ってた」
記事引用:smart-flash.jp
ちなみに父親は経済的に余裕がなかったことから、自力で自宅を作っています。
「うちの親父は自分で家を作った。自分でトレーラーを運転して、木を切って、積んで、削いで。お金がないから、自分で建てるしかなかった」
記事引用:smart-flash.jp
蛍原さんは子供の頃からスポーツが得意で、小学校時代から少年野球をはじめています。
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蛍原徹の学歴~出身中学校(門真市立門真第三中学校)詳細
出身中学校:大阪府 門真市立門真第三中学校 偏差値なし
蛍原徹さんの出身中学校は、地元門真市内の公立校の門真第三中学校です。
中学時代は野球部に在籍しており、部活動にも励んでいました。
また野球部では後にプロ野球選手として活躍することになる清原和博さんや桑田真澄さんとも対戦したことがありました。
当時の蛍原さんは運動神経がよく、プロ野球選手になろうと思っていました。
しかし清原さんや桑田さんとの対決でレベルの違いを痛感したため、中学時代限りで野球はやめてしまっています。
加えて蛍原さんは中学時代からかなりモテており、当時から交際していた女子がいました。
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蛍原徹の学歴~出身高校(大阪府立門真高校)・大学の詳細・高校時代はヤンキーだった?
出身高校:大阪府 門真高校 偏差値48(やや容易)
※現在は門真なみはや高校
蛍原徹さんの出身高校は、府立の共学校の門真(かどま)高校です。
この高校は1971年開校の府立高でしたが、2003年に門真南高校と統合されて現在は門真なみはや高校になっています。
中学時代までは部活動をおこなっていましたが、高校時代は帰宅部だったようです。
意外にも蛍原さんは高校時代はヤンキーでケンカなどの武勇伝もあり、とにかくキレやすかったとのこと。
(高校時代)
NSC時代もすれ違いざまに肩が触れただけでキレたり、相方の宮迫さんも「吉本の中で一番ヤバイ奴」と言うほどでした。
加えて当時の蛍原さんは彼女がいたのですが、ケンカした際にすき焼の鍋を頭からかけたエピソードも残っています。
このように高校時代の蛍原さんは男女かまわずキレていたようです。
ただし当時の蛍原さんはヤンキーや不良ではなかったようです。
なおおかっぱ頭がトレードマークの蛍原さんですが、高校時代は藤井フミヤさんの髪型を真似ていたことをインタビューで話しています。
「(実は)流行りものの髪型とかずっとしたい人なのよ。高校時代とかチェッカーズの(藤井)フミヤさんカットで、(前髪を)舐めてたから」
記事引用:スポニチ
大学には進学していない
そして蛍原徹さんは高校卒業後は大学に進学していません。
高校卒業後は実は科学者になることを目指して大学受験をしますが、軒並み志望校に不合格になっています。
スポニチにもこのあたりの経緯について報じています。
「蛍原は「一応ですね国家資格でございまして。ちゃんと試験を受けて。見た目と匂いだけでこれは塩酸や硫酸やとか、そういう試験を通ったわけです」と毒物劇物取扱者責任者の資格を説明。18~19歳の時に芸人なれなかったら「バイオテクノロジーやと。研究して一発当てよう」と試験に合格したものの、「勉強していけばいくほど、僕には無理や」と道半ばで別の人生を志したという。」
記事引用:スポニチ
そのため1年間の浪人生活で大学進学を諦めています。
その後はしばらくの間会社に就職して、サラリーマン生活を送っていた時期もありました。
20歳だった1988年にお笑い芸人を目指すために吉本総合芸能学院(NSC)に入校しています。
ちなみに後にお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成することになる宮迫博之さんとはNSCの同期にあたります。
しかし蛍原さんは当初は宮迫さんとコンビを組んでいません。
NSC時代は「ホワイト&ホワイト」というコンビで活動したり、「のっぺり星人」という芸名でピン芸人として活動していたこともありました。
NSCを卒業した1989年に2歳年下の宮迫博之さんとお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成しています。
ちなみにお互いに好きだったRCサクセションの「雨上がりの夜空に」に由来しています。
コンビはすぐに頭角を現して、当時の吉本興業所属の若手有望コンビで結成されたユニット「吉本印天然素材」のリーダー格として活躍。
ちなみに「吉本印天然素材」は伝説のユニットとして知られており、当時は「ナイティナイン」や「FUJIWARA」などの在籍していました。
「雨上がり決死隊」はやや低迷した時期もありましたが、1999年に「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」や「めちゃイケ」などのバラエティ番組への出演を機にブレイクしています。
以降は数々のバラエティ番組に出演し、冠番組を持つほどの人気コンビとなっています。
また蛍原さんは以前はコンビでの活動のほか、俳優としても活動していましたが、2005年以降は俳優活動をおこなっていません。
以上が「雨上がり決死隊」蛍原徹さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
コンビは蛍原さんが31歳だった1999年にブレイクして人気お笑いコンビの仲間入りを果たしています。
その後の活躍は周知のとおりで、現在は吉本興業を代表するコンビのひとつになっています。
コンビでの活動のほか、俳優やMC、飲食店をプロデュースするなど、なかなかマルチに活躍しています。
しかし2019年7月の闇営業問題で、相方の宮迫博之さんが吉本興業から契約を解消されてしまっています。
そのため「雨上がり決死隊」の今後なども不透明になっており、今後の動向にも注目が集まります。
経歴/プロフィールの詳細
1988年に吉本総合芸能学院(NSC)に第7期生として入校。
1989年にNSCの同期だった宮迫博之とお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成。
コンビは1992年に「お笑い新人グランプリ」で優秀新人賞を受賞し、吉本のお笑いユニット「天然素材」ではナイティナインと二分する人気を誇ったが、その後はやや低迷。
1999年に「ガキの使いやあらへんで」や「めちゃイケ」などの番組への出演をきっかけに注目され、以降は様々なバラエティー番組に出演。
俳優としても活動しており、「動物のお医者さん」や「マザー&ラヴァ―」などの連続ドラマに出演経験がある。
私生活では2004年に一般人女性と結婚し、2012年に長女が誕生した。
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