人気お笑いコンビ「雨上がり決死隊」の宮迫博之さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りします。教師を襲撃しようとした驚きの高校時代や俳優に憧れた中学校時代など、学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
宮迫博之(みやさこ ひろゆき)
1970年3月31日生
身長169㎝ 体重60kg
血液型はB型
大阪府茨木市出身のお笑いタレント
お笑いコンビ雨上がり決死隊のボケ担当
以下では宮迫博之さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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宮迫博之の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:金光第一高校
出身中学校:茨木市立天王中学校
出身小学校:茨木市立玉櫛小学校
宮迫博之の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:大阪府 茨木市立玉櫛小学校
宮迫博之さんの出身小学校は、地元茨木市内の公立校の玉櫛(たまくし)小学校です。
家族構成は両親と兄、妹の5人家族です。
父親は鮮魚関係の仕事をしており、宮迫さんも「大阪魚市のお偉いさん」だったと述べています。
また現在の実家は茨木市内でたこ焼き屋を経営しています。
宮迫さんは子供の頃から活発で、スポーツが好きな少年でした。
加えてバラエティ番組に出演した際には、自身の子供の頃を振り返って「むちゃくちゃな子やったんで」と語っています。
当時流行していた凧の「ゲイラカイト」をあげていたお金持ちの子供が気に入らずに、片っ端から糸を切っていた「極悪」エピソードがあります。
さらに当時の宮迫さんは素手でミツバチを捕まえて気絶させるという特技を持っていたことから、いきがっているヤンキーに向かって「お前やってみろ!根性あるならやってみろ!」とけしかけて、ヤンキーの腕がハチに刺されてパンパンに腫れあがってのを見てゲラゲラと爆笑していたそうです。
当時の宮迫さんのかなり無茶苦茶ぶりを示すエピソードですが、そのためか兄や妹と異なって、宮迫さんだけ家族旅行に連れて行ってもらえなかったそうです。
また当時は日焼けで真っ黒だったことから、小学校時代は「ミヤサンコン」のあだ名で呼ばれていました。
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宮迫博之の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:大阪府 茨木市立天王中学校 偏差値なし
宮迫博之さんの出身中学校は、地元茨木市内の公立校の天王中学校です。
中学校時代は卓球部に在籍しており、部活動に打ち込んでいます。
また当時の宮迫さんはテレビドラマ「探偵物語」の影響で、俳優の松田優作さんに憧れており、俳優になりたいと思っていました。
ただし俳優になる「方法論」がわからずにいたところ、知り合いのおばさんから「NSC」のパンフレットをもらっています。
そのため考えたところお笑い出身者もテレビドラマに出演していることを思いつき、お笑いの道から役者へというルートがあることにも気づいています。
後に宮迫さんはお笑いコンビで売れっ子になり俳優デビューも飾っていますから、この時に気づいた「方法論」に従ったことになりますね。
そのためそれ以降はお笑いにどっぷりハマったと述べています。
【主な卒業生】
村瀬紗英(NMB48)
中務裕太(GENERETIONS)
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宮迫博之の学歴~出身高校・大学の詳細
出身高校:大阪府 金光第一高校 偏差値42(容易)
※現在は金光大阪高校
宮迫博之さんの出身高校は、私立の共学校の金光(こんこう)第一高校です。
同校はスポーツが盛んで、特に硬式野球部やサッカー部が府内では強豪で知られ、多くのプロ野球選手やJリーガーを輩出しています。
宮迫さんもサッカー部に所属して、レギュラーのMFでした。
ちなみにサッカーは高校からはじめていますが1年生の頃からいきなりレギュラーに起用されているので、かなり運動神経はいいようです。
なお宮迫さんのポジションはボランチでした。
また高校時代はナイティナインの岡村隆史さんの所属する茨木西高校サッカー部とは対戦経験があり、ふたりとも当時を覚えていたとのこと。
また当時の同校のサッカー部は顧問の教師が厳しくて練習がスパルタだったことから、サッカー部員たちは精神的に追い詰められていたそうです。
そのため宮迫さんらは整地に使うトンボやほうきなどを武器に顧問の先生を脅しに行くことになりましたが、持つものがなかった1年生の1人がタンポポを握りしめていたことから爆笑になってしまい、最終的には襲撃作戦は取り止めになったことをテレビ番組に出演した際に明らかにしています。
ちなみにその際にはサッカー部の顧問の先生は宮迫さんらの動きを察知しており、ドアの向こうで震えていたとのこと。
また宮迫さんは高校時代は女子からかなりモテていましたが、意中の女子がいたとのこと。
【主な卒業生】
田畑智子(女優)
村上信五(関ジャニ∞・中退)
大学には進学していない
そして宮迫博之さんは卒業後は大学に進学せずに、お笑い芸人を目指して吉本総合芸能学院(NSC)に入校しています。
なお当時の宮迫さんは安定志向で警察官を志望しており、高校卒業後に大阪府警の採用試験を受験していますが不合格になっています。
そのためその翌年には方向転換をして、NSCに入校しました。
NSC時代は蛍原徹さんと同期でしたが、当初は別の研修生とコンビを組んでいます。
NSC卒業した年に蛍原さんとお笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成しています。
蛍原さんとコンビを結成したのはコンビでないと出場できないオーディションがあり(当時の蛍原さんは「のっぺり星人」芸名でピン芸人として活動していた)、当時から遊び仲間だったことから「じゃあやってみようか」となったとのこと。
ちなみにコンビ名は2人とも好きだったRCサクセションの名曲「雨上がりの夜空に」に由来しています。
コンビは早い段階から頭角を現しており、結成の翌年の1990年には吉本興業の有望な若手コンビで結成されたユニット「吉本印天然素材」のリーダー格でした。
ただし26歳の時にコンビは上京していますが、その後は人気がやや低迷して、後輩の「ナイティナイン」らの後塵を拝することになります。
その際には宮迫さんも蛍原さんもかなり精神的に追い詰められたそうです。
また当時の「雨上がり決死隊」の人気の低迷については宮迫さんは「天狗になっていた」と語っており、大阪時代は絶大な人気もあったことから気に入らない番組への出演を断っていたことも明らかにしています。
そのため以降はコンビは「来た仕事は全部受けよう」というスタンスに転じて再起を誓っています。
そして1999年に「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」や「めちゃイケ」などの出演でブレイクしています。
特に「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」は当時の多くの若手芸人が出演を切望したテレビ番組でしたが、宮迫さんと蛍原さんは「打合せと全然違うことをやろう」と勝負に出て、あらゆるシチュエーションを練って番組に出演したところ、ダウンタウンの2人を大爆笑させています。
その甲斐もあって翌週には新しい仕事が5本も入ったそうです。
以降は数々のバラエティ番組に出演し、冠番組を持つほどの人気コンビに成長しています。
加えて宮迫さんは俳優としても人気が高く、数々の話題作のテレビドラマや映画に起用されているほどです。
他にも司会者やナレーターとしても活動しています。
以上が「雨上がり決死隊」宮迫博之さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
「雨上がり決死隊」を結成してからは、若手コンビとしてはナインティナインと人気を二分するほどでしたが、その後はしばらく伸び悩みます。
しかし宮迫さんが29歳の時にコンビはブレイクして、以降の活躍は周知の通りです。
司会やMCをこなす器用さも兼ね備えていることから、単独でも多くの番組に出演しています。
ところが超売れっ子芸人だったにも関わらず、2019年の闇営業問題が発覚して無期限の活動休止処分を受け、その後に吉本興業とは契約を解消しています。
宮迫さんは芸能界引退の意向とも報道されており、その動向には注目が集まります。
宮迫博之の経歴
1970年(0歳):大阪府茨木市で生まれる
1976年(6歳):茨木市立玉櫛小学校入学
1982年(12歳):茨木市立玉櫛小学校卒業
1982年(12歳):茨木市立天王中学校入学
1985年(15歳):茨木市立天王中学校卒業
1985年(15歳):金光第一高校入学
1988年(18歳):金光第一高校卒業
1988年(18歳);大阪府警の採用試験を受験するが不合格
1989年(19歳):吉本総合芸能学院(NSC)に入校
1989年(19歳):お笑いコンビ「雨上がり決死隊」を結成
1990年(20歳):ユニット「吉本印天然素材」のリーダー格を務める
1998年(28歳):一般女性と結婚
1999年(29歳):「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」に出演
2001年(31歳):第一子の男児が誕生
2012年(42歳):体調不良により芸能活動を休止(2013年に復帰)
2019年(49歳):闇営業騒動により芸能活動を自粛
2019年(49歳):YOUTUBEチャンネルを開設
2021年(51歳):コンビ「雨上がり決死隊」の解散
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