山田裕貴の学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と高校時代や父親の画像
人気俳優の山田裕貴さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。俳優になることを決意した高校時代や野球を断念した中学時代など学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
山田裕貴(やまだ ゆうき)
1990年9月18日生
身長178㎝
血液型はO型
愛知県出身の俳優
本名同じ
以下では山田裕貴さんの出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
山田裕貴の経歴
1990年(0歳):愛知県で生まれる
1997年(7歳):名古屋市立高見小学校入学
名古屋市内のリトルリーグに所属して硬式野球をはじめる
野球で全国大会に出場経験あり
2003年(13歳):名古屋市立高見小学校卒業
2003年(13歳):名古屋市立若水中学校入学
シニアリーグ「名古屋北シニア」に在籍し野球に打ち込む
2006年(16歳):名古屋市立若水中学校卒業
2006年(16歳):東邦高校・普通科入学
2009年(19歳):東邦高校・普通科卒業
2009年(19歳):ワタナベエンターテインメントに入所
2009年(19歳):オーディションを経て「D-BOYS」に加入
2011年(21歳):戦隊モノ「海賊戦隊ゴーカイジャー」に起用
2012年(22歳):「ボクらが恋愛できない理由」でテレビドラマ初主演
2012年(22歳):「GreeeeN」の「愛し方へ」のプロモーションビデオに起用
2014年(24歳):「ライブ」にて映画初主演
2016年(26歳)舞台「宮本武蔵(完全版)」で舞台初主演
2017年(27歳):NHKの大河ドラマ「おんな城主 直虎」に出演
山田裕貴の学歴~出身高校・大学の詳細
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出身高校:愛知県 東邦高校 偏差値52(普通)
山田裕貴さんの出身高校は、私立の共学校の東邦高校です。
この高校は1923年開校の私立高校で、特に硬式野球部は甲子園で優勝経験もあるほど全国的な強豪校として知られています。
ちなみに2019年のセンバツ高校野球で同校が優勝した際には、山田さんは次のようにコメントしています。
「甲子園という舞台には特別な想いがあり平成元年の優勝に始まり平成最後を締めくくる優勝、自分の事のように感動しています」
山田さんは幼少期から野球をやっており、父親の和利さんの母校でもある同校に進学しました。
(高校時代)
中学生の頃まではプロ野球選手が目標でしたが、同校在籍中に野球選手としての限界を悟り高校では野球をおこなわなかったことをインタビューで明らかにしています。
「野球の道は挫折し、東邦高校で野球をすることはありませんでしたが現東邦野球部のコーチでもある当時クラスメイトだった親友を甲子園に応援しに行った事をとても鮮明に覚えております」
ただし部活動はおこなっており、バレーボール部に所属しています。
また山田さんは意外にも高校時代は非常にシャイだったことをインタビューで話しています。
「でも、高校時代を思い出すと、女の子と話すだけで顔が真っ赤になっていたり、連絡先を聞くことだけで2、3時間悩んでいたこともあったから、そこはヤマケン(役柄)に近い部分があったのかもしれませんね(笑)」
なおシャイだったのはそれまで野球に打ち込んでいて、女の子とどう接していいのかわからなかったそうで、高校時代にはじめて付き合った女の子とも手をつなぐのに4か月もかかったそうです。
(高校時代)
また山田さんは高校時代に初キスを経験していますが、それも自分からはできなかったことをバラエティ番組に出演した際に明らかにしています。
彼女から「誕生日プレゼントはなにがいい?」と聞かれた際に、「チューがいいです」と答えてしてもらったとのこと。
このあたりにも山田さんのかなりシャイな性格が窺えるところですね。
ただし高校時代にちゃんと恋をしておいてよかったとも話しています。
「文化祭を一緒に回ったりしました。大人になって恋をするのは結構大変だったりするので、高校時代にちゃんと恋愛しておいて良かったなって思ってます」
また山田さんは高校時代は「プリンス」というあだ名で呼ばれていましたが、仲がいい友達からは「プリン」と呼ばれいじられていたそうです。
「高校時代のあだ名はプリンスだったんです。恥ずかしながら。でも裏ではいじられてたんです、プリンとか呼ばれて」
なお小学校から高校までずっといじられキャラだったことも明らかにしています。
「学生時代、小中高ずっといじられキャラだったんです。みんなと同じことをするのが好きじゃなくて、よくふざけて先生に怒られたりしました。それでも、みんなが笑ってくれれば嬉しいし、自分も笑うことができる。自分のルーツは多分そこです」
ちなみにインターネット上には高校時代は「ヤンキー説」もありますが、山田さんがヤンキーだった痕跡はありません。
さらに山田さんは高校時代にcoco壱番屋のカレーに出会って、大きな衝撃を受けています。
そのため高校時代に母親に家でカレーを作るのをやめるように言っています。
現在も山田さんは熱烈なココイチの信者で、ツイッターなどでもたびたびココイチ愛をつぶやいています。
CoCo壱さんへの愛が溢れすぎて。
パリパリチキンカレー 量 普通 辛さ 普通
Wほうれん草 チーズ トッピングCoCo壱来ると
矛盾しちゃう、食べたくなくなる、
この幸せな時間が終わっちゃうから。 #CoCo壱 #カレー pic.twitter.com/ANKKllaZET— 山田裕貴 (@00_yuki_Y) July 25, 2016
加えて野球は断念してしまいましたが、有名になりたいという気持ちは強く、高校時代に俳優になろうと決意しました。
そのきっかけとなったのは父親だったとインタビューで話しています。
「父親が遠征から帰ってきて家族みんなでテレビや映画を観る時間がすごく好きで。父親がテレビに出ているのを観ながらカッコいいとも思っていました。だから、野球選手としてテレビに出ることはできないけれど、役者としてだったら出られるかもしれないと根拠のない思いつきが浮かんで…」
【主な卒業生】
奥田瑛二(俳優)
伊武雅刀(俳優)
鬼頭明里(声優)
そして山田裕貴さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、俳優を目指してワタナベエンターテインメントカレッジに入所します。
ただしその際には「漠然と大学に行きたくない」という気持ちがあったことを述べています。
同校は芸能プロダクションのワタナベエンターテインメントが経営する養成所で、俳優や声優、歌手やタレントを育成しています。
俳優の中村昌也さんや陳内将さんらも卒業生です。
当時の山田さんはファーストフードや居酒屋でアルバイトをしながら演技を学んだり、エキストラとして作品に出演しています。
また当時はくじけそうになったことをインタビューで明らかにしています。
「毎日、くじけそうでしたね。周りも「頑張れよ」と言いながらも「たぶん、無理だろう」という雰囲気を出されていたし、「山田が俳優になれるわけがない」という目で見られているのもビシバシ感じていましたし(笑)。でも、僕には「絶対、夢なかばで地元には帰らない」という大きな覚悟があったので、くじけることはありませんでした」
山田さんは卒業後にD-BOYSに加入するという幸運にも恵まれて、順調に俳優としてのキャリアを重ねていきます。
ちなみにD-BOYSのオーディションの際には、地元の友達が協力してくれたことをインタビューで明らかにしています。
「上京するときに、地元の友だちには『絶対にテレビに出るような役者になるから!』って宣言して出てきたのに、落ちたら(地元に)帰らなければいけない。そういう僕の覚悟を知っているから、友人たちもみんな協力してくれて、投票してくれたんですよね。事前のファン投票で1位を獲得できたのは、地元の友人たちのおかげです」
オーディションの期間中は山田さんは毎日10㎞くらいも走っていたそうです。
そして21歳の時に戦隊モノの「海賊戦隊ゴーカイジャー」に起用されて知名度が上昇。
「ゴーカイジャー」の貴重な映像がありましたので、ご紹介いたします。
ちなみにこのドラマで「ゴーカイレッド」を演じているのは小澤亮太さんです。
その翌年には「ボクらが恋愛できない理由」でテレビドラマ初主演。
同じ頃には人気アーティスト「GreeeeN」の「愛し君へ」のプロモーションビデオにも起用されています。
また24歳だった2014年には「ライブ」で映画にはじめて主演しています。
以降は数々の話題作の連続ドラマや映画に出演しています。
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山田裕貴の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:愛知県 名古屋市立若水中学校 偏差値なし
山田さんの出身中学校は、名古屋市千種区内の公立校の若水中学校です。
中学時代は名古屋市内のシニアリーグ「名古屋北シニア」に在籍しており、硬式野球に打ち込んでいました。
なお中学校の野球部には所属していません。
ちなみに所属していたチームは全国大会の常連という強豪チームでした。
山田さんは当時のポジションはピッチャーでしたが、このチームではレギュラーになれませんでした。
また足は速かったのですが、非力で打力が弱かったこともレギュラーになれなかった理由だったようです。
中学時代もプロ野球選手を目指して野球に打ち込んでいましたが、前記の通り限界を感じて野球は中学校限りでやめてしまっています。
「どうしても野球では結果が出せなくて「プロ野球選手の息子なのに」と言われることも多く、コンプレックスを抱えていたんです」
とは言え俳優になった後にお父さんも所属したプロ野球中日ドラゴンズの始球式にも起用されています。
ちなみにこの際には山田さんは背番号30番のユニフォームを着用していますが、これは父親が中日ドラゴンズの現役選手時代につけていた背番号です。
小学校・中学校時代を通じて野球をやっていたので、当時は坊主頭でした。
坊主頭の時はあまりモテませんでしたが、中学3年生の時に野球を引退したので髪を伸ばしたら、急にバレンタインのチョコレートをもらうことができたので女性不信になったことをインタビューで話しています。
「丸刈りだったときはチョコ0個だったのに、引退して髪が伸びたら7個ですよ。女のコが見ているのは外見か! と」
当時の心境は複雑だったようで、一時期女の子が嫌いになったとも語っています。
また山田さんは中学2年生の時に初恋の人とデートに行くことができましたが、何もできずにフラれてしまったとのこと。
さらに高校時代に付き合うことになる彼女については、山田さんは中学時代から5回も告白してようやく付き合うことになっています。
【主な卒業生】
池田貴族(ミュージシャン)
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山田裕貴の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:愛知県 名古屋市立高見小学校
山田裕貴さんの出身小学校は、名古屋市内の公立校の高見小学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
父親はプロ野球の中日ドラゴンズや広島カープで活躍した山田和利さんです。
ちなみにお父さんも若い頃はイケメンでした。
現役時代はケガが多くプロ野球選手としては大成はできませんでしたが、当時からセンスの良さは際立っており、勝負強いバッティングでここぞという場面では頼りになる選手でした。
父親の影響で山田さんも小学校の頃から、地元名古屋市内のリトルリーグに所属して硬式野球をはじめています。
「父親がプロ野球選手だったので、当たり前のように自分も野球選手になるものだと思っていました」
小学校時代にはリトルリーグの全国大会にも出場したことがありました。
また家族全員がテレビドラマや映画が好きだったことから、子供の頃から芸能界に興味があったそうです。
なお小学校時代の山田さんは非常にやんちゃで、「小さい頃から悪童として知られていた」と自身について述べています。
さらに小学校時代には恐竜と天体が大好きで、野球の練習から家に帰ると「宇宙の仕組みはどうなっているんだろう」とか「宇宙人が目の前に現れたらどうしよう」などということを想像して胸をドキドキさせていたとインタビューで話しています。
また当時はプラネタリウムが大好きで夜になると星空をずっと眺めていたことから、「魂」や「宿命」といった精神世界についても興味を持ったとも語っています。
「野球少年だったんですが、運動より断然宇宙に興味がありました(笑)。恐竜の時代、ジュラ紀や白亜紀について調べるのも好きでしたし、プラネタリウムにも何回も行きました」
以上が山田裕貴さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
俳優としては戦隊ものなどの出演を経て、話題の連続ドラマにレギュラーで起用されるほどになりました。
現在でも若手人気俳優のひとりとして数えられ、数々のドラマや映画にも出演しています。
(なつぞら・広瀬すずと)
このところはNHKの大河ドラマや朝ドラにも起用されるほどです。
また映画ではたびたび個性的な役どころが話題になっています。
(闇金ドッグス)
(あの頃、君を追いかけた)
演技には定評がありますが今後はさらに演技力を磨いていけば、俳優としても大成する可能性も秘めています。
大きな飛躍にも期待です。
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