お笑いコンビ「ホンジャマカ」の石塚英彦さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。グルメリポートでも人気の石塚さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
石塚英彦(いしづか ひでひこ)
1962年2月6日生
身長175㎝、体重117㎏
血液型はO型
神奈川県横浜市出身のお笑いタレント、グルメリポーター
お笑いコンビ「ホンジャマカ」のボケ担当
本名同じ、愛称は「石ちゃん」
以下では石塚英彦さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
スポンサードリンク
石塚英彦の学歴まとめ
出身大学:関東学院大学 経済学部
出身高校:横浜市立桜丘高校
出身中学校:横浜市立岩井原中学校
出身小学校:横浜市立富士見台小学校
石塚英彦の学歴~出身小学校(横浜市立富士見台中学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 横浜市立富士見台小学校
石塚英彦さんの出身小学校は、地元横浜市内の公立校の横浜市立富士見台小学校です。
家族構成は両親と兄、弟の5人家族です。
父親は市営バスの運転手で勤務時間がバラバラでした。
石塚さんの育った家庭はそれほど裕福ではありませんでしたが、兄弟はみんな太っていたそうです。
石塚さんは子供の頃に楽しみだったことについてインタビューで次のように話しています。
「子供の頃は家から少し離れた商店街におふくろの荷物持ちでついて行くのが楽しみでした。行きつけの総菜屋で『お父さんには内緒よ』と言ってコロッケと衣をつけて揚げたポテト3個、鯨カツを買ってくれて、本当においしかったです。」
この頃からすでに食べることが好きだったようです。
石塚英彦の学歴~出身中学校(横浜市立岩井原中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 横浜市立岩井原中学校 偏差値なし
石塚英彦さんの出身中学校は、地元横浜市内の公立校の横浜市立岩井原中学校です。
中学時代は水泳部に在籍をしていました。
なお現在はかなり太ってしまいましたが、石塚さんは運動神経がよくスポーツは全般的に得意です。
スポンサードリンク
石塚英彦の学歴~出身高校(横浜市立桜丘高校)の詳細
出身高校:神奈川県 桜丘高校 偏差値61(やや難関)
石塚英彦さんの出身高校は、市立の共学校の桜丘(さくらがおか)高校です。
この高校は1926年開校の公立校で、部活動が盛んなことで知られています。
石塚さんは高校時代は柔道部に在籍をして、部活動に励んでいます。
この頃は部活動の練習が厳しかったこともあり、体重は60kg前半でした。
柔道部の合宿が終わった時にはうれし泣きをしたそうです。
石塚さんは自身の高校時代のことについてインタビューで次のように振り返っています。
「高校への通学もアップダウンが激しい坂道を通っていました。食べ盛りの高校時代は柔道部に所属していて、いつもお腹をすかしていました。なので、高校時代は2時限の授業終わりには弁当を食べ終わっていました。」
記事引用:日刊ゲンダイDIGITAL
石塚さんは高校2年生のときに俳優になりたいと思いました。
また高校時代の文化祭で映画「ロッキー」の柔道部版の「ロッカー」という自主製作映画の主演を務めており、劇中では片手懸垂や片手腕立て伏せなどを披露し、当時から人気者でした。
【主な卒業生】
おすぎとピーコ(タレント)
安東弘樹(アナウンサー)
スポンサードリンク
石塚英彦の学歴~出身大学(関東学院大学)の詳細
出身大学:関東学院大学 経済学部 偏差値48(やや容易)
石塚英彦さんは高校卒業後は、関東学院大学に進学します。
高校時代に俳優を志し、大学も演劇サークルがあったことから、この大学を選んで進学しました。
石塚さんは俳優になれなかったときのことを考えた末、経済学部であれば普通に就職もできるだろうとこの学部を選びました。
大学時代は家庭教師のアルバイトをしていました。
大学入学後も俳優という夢を諦めきれなかったことから、大学2年生の時に休学をして劇団ひまわりに入団しています。
また休学中に渡辺プロダクションの養成機関に入所するなど、アクティブに活動しています。
22歳の時には渡辺プロダクションが立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY」にも参加しています。
ちなみにこのグループには後にタレントとして人気を博す中山秀征さんも在籍していました。
そして劇団で活動中にお笑いの道に進むことを決意しており、その時のことについてインタビューでは次のように話しています。
「僕は演劇の世界に入りたくて、大学2年のときに休学して、劇団ひまわりに2年間在籍していたんだよね。僕は真剣に演技をしているのに、なぜか周りがクスクス笑う。事務所の人に『君は笑わせて怒られるここよりも、褒められるところに行ったほうがいい』と言われて、お笑いに進むことにしたの」
記事引用:女性自身
しかし将来が不安だったことから2年後に復学をしており、インタビューでは次のように話しています。
「それでもやっぱり就職が不安で、2年後に復学したんですよね(笑)。でも結局、在学中からお笑いを始めて、今の事務所に入ったんです。だから、大学ではしょっちゅう図書館にこもっては、だじゃれを書きためていました。それがいつか使えるだろうと思って。」
記事引用:シネマトゥデイ
石塚さんは大学でひたすらだじゃれを書いていた理由についてインタビューで次のように振り返っています。
「いきなりだじゃれって出てくるもんじゃないから、本をたくさん読んで、そこからだじゃれを考えていたんだよ。先生たちからしたら、すごくマジメに勉強している生徒に見えたと思うよ(笑)。でも、書いていたのは全部だじゃれ。その書きためたものを、『東京フレンドパーク』で使っていたりしたんで、やっぱりムダじゃなかったんですよね。」
記事引用:シネマトゥデイ
前記のように2年間の休学を経ていますが、石塚さんは大学を卒業しています。
そして大学卒業した1987年に、11人編成だった演劇集団「ホンジャマカ」を結成します。
ところが他のメンバーが次々に脱退し、最終的には石塚さんと相方の恵俊彰さんしか残りませんでした。
そのためいったんは活動を休止しますが、1989年に恵さんとお笑いコンビ「ホンジャマカ」として活動を再開します。
お笑いに転向してからはすぐに頭角を現して、その後は関東を代表するコンビになります。
またグルメリポーターとしても成功を収めて、彦摩呂さんと並んでその第一人者として知られています。
グルメリポーターとしては「まいうー」が決め台詞になっています。
2021年にはYOUTUBEに公式チャンネルを開設しています。
このところはコンビでの活動はほとんどありませんが、数々のバラエティ番組に起用される人気タレントになっています。
以上が石塚英彦さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初は俳優志望でしたが、お笑いに転向して成功を掴んでいます。
また 代名詞のグルメリポートも好評を博しています。
他がマネのできないユニークなキャラクターですから、末永い活躍を期待します。
経歴・プロフィールの詳細
1983年に渡辺プロダクションの養成機関に入所し、同期には中山秀征がいる。
1987年の「胸キュン刑事」で俳優デビューし、「南くんの恋人」や「イグアナの娘」、「踊る大捜査線」などの人気作の連続ドラマにも出演している。
1988年に11人編成の演劇集団「ホンジャマカ」を結成したが、最終的には恵俊彰の二人しかメンバーが残らなかった。
コンビはイベントやライブで人気を博し、多くのバラエティー番組にも出演。
1990年代後半からは単独での出演が目立ち、グルメリポーターとしては第一人者となる。
バラエティー番組や情報番組のほか、そのキャラクターを活かしてCMへの出演も多い。
スポンサードリンク
ここまでお読みいただきありがとうございました。ご質問やご意見などがございましたら、お手数をおかけしますがページ上の「お問い合わせ」よりお願いいたします。