お笑いコンビ「爆笑問題」の田中裕二さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は田中さんは当初はお笑い芸人ではなく、アナウンサー志望でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
田中裕二(たなか ゆうじ)
1965年1月10日生
身長154㎝
血液型はB型
東京都中野区出身のお笑いタレント
お笑いコンビ「爆笑問題」のツッコミ担当
本名同じ
以下では「爆笑問題」田中裕二さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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田中裕二の学歴まとめ
出身大学:日本大学 芸術学部演劇学科
出身高校:都立井草高校
出身中学校:中野区立第八中学校
出身小学校:中野区立若宮小学校
田中裕二の学歴~出身小学校(中野区立若宮小学校)の詳細
出身小学校:東京都 中野区立若宮小学校
※現在は中野区立美鳩小学校
田中裕二さんの出身小学校は、地元中野区内の公立校の若宮小学校です。
この小学校は2017年に中野区立大和小学校と統合されて、現在は中野区立美鳩小学校になっています。
家族構成は両親と兄と姉の5人家族です(3人きょうだいの末っ子)。
両親は既に他界しています。
田中さんの両親は教育熱心というわけでもなく普通だったようで、インタビューで次のように話しています。
「親父は、典型的な昭和の仕事人間。サラリーマンだったんですけれど、毎日同じ時間に会社に行って、晩ごはんまでに帰って来る。家から歩いて5分のところに会社があったんですが、お酒を飲んで帰って来るようなことが一切ないような、とにかく真面目な人でしたね。」
父親は優しかったそうですが、家では母親の方が圧倒的に人気だったそうです。
小学生の頃は走るのが早く、明るい性格だったことからクラスでも人気者だったそうです。
ちなみに小学生時代の通信簿にはよく「落ち着きがない」と書かれていました。
田中裕二の学歴~出身中学校(中野区立第八中学校)の詳細
出身中学校:東京都 中野区立第八中学校 偏差値なし
田中裕二さんの出身中学校は、地元東京都中野区内の公立校の第八中学校です。
この中学校に在学中は2学年下に、元女流棋士でタレントの林葉直子さんも在籍していました。
中学時代はバスケットボール部に在籍していました。
文化祭では友人と共にピンクレディーの「UFO」を踊りました。
また中学3年間で身長が20cmほど伸びたそうです。
【主な卒業生】
林家きく姫(落語家)
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田中裕二の学歴~出身高校(都立井草高校)の詳細
出身高校:東京都 井草高校 偏差値63(やや難関・当時)
田中裕二さんの出身高校は、都立の共学校の井草高校です。
この高校は1941年開校の都立高校で、自由な校風で知られています。
また現在の同校は偏差値が59程度ですが、田中さんが在籍した当時のほうがレベルは上でした。
田中さんは高校時代はクラス委員を務めていました。
また高校生の時には久米宏さんみたいなアナウンサーになりたかったとインタビューで話しています。
そのため放送研究会に所属しており、校内放送では「ウーチャカちゃん大放送」のDJを担当していました。
高校2年生の時に彼女ができて初デートをしており、映画館に行ったそうです。
またクラスでモノマネを披露するなどクラスの中心的存在で、高校3年生の文化祭では「ミスター井草」に選ばれたほどです。
高校時代もファッションには敏感でジャニーズ風のファッションをしていたことから、後輩にもファンがいるほどの人気者でした。
【主な卒業生】
桜金造(タレント)
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田中裕二の学歴~出身大学(日本大学)の詳細
出身大学:日本大学 芸術学部演劇学科(中退) 偏差値50(普通)
田中裕二さんは高校卒業後は、日本大学に進学します。
ただし現役での合格ではなく、1年間の浪人生活を経ての進学です。
田中さんは早稲田大学のアナウンス研究会に憧れており、早稲田大学も受験しようとしましたが受験日を1日間違えて受験できませんでした。
浪人時代は駿台予備校に通っており、マクドナルドでアルバイトをしていました。
日大の入試の実技試験では近藤真彦さんのモノマネをしたそうです。
在籍したのは数々の芸能人を輩出していることで知られる芸術学部です。
芸術学部の1学年上には落語家の立川志らくさんが在籍していました。
また「爆笑問題」の相方の太田光さんとも同大学の芸術学部で同級生だったことから出会っています。
前記のように田中さんは高校時代よりアナウンサーを目指していましたが、早稲田大学や日本大学芸術学部の放送学科に落ちてしまったことでアナウンサーになることは諦めています。
田中さんは当時についてインタビューで次のように話しています。
「局アナは無理でも、深夜にラジオ番組をやれるような人になりたいなと、漠然と思ってました。僕は2年でやめちゃうんですけど、要はみんな大学で出会いを求めてたんじゃないかな。劇団が生まれたり、“先輩が映画を撮ってるから出てみるか?”とか声がかかったり。ちょい役でドラマに出てる子役あがりの俳優がいたり。僕らが入ったとき、4年に三谷幸喜さんがいたんですよね。で、まさに東京サンシャインボーイズの人気が出始めてるころで…」
田中さんは大学時代はデザイナーである兄の影響もあり、大学でファッションリーダー的な存在だったそうです。
また大学在学中にお笑い芸人を目指しており、当初は大学の先輩とコンビを組んでテレビ番組「おじゃまします」に出演経験があります。
そして大学2年生の時に大学を中退しています。
しかし2ヶ月ほどでコンビは解散しており、23歳だった1988年に太田さんと共にお笑いコンビ「爆笑問題」を結成しました。
するとデビューした年に深夜番組の「笑いの殿堂」などに起用されて、いきなり注目を集めています。
しかし1990年に一方的に所属事務所の太田プロダクションから独立したことで事務所の怒りを買って、干されてしまいます。
そのため一時はコンビはテレビ番組から消えて、田中さんもコンビニでアルバイトをしていました。
ところが1993年に芸能事務所「タイタン」を立ち上げると、バラエティ番組「ボキャブラ天国」に起用されます。
するとネプチューンとともに、コンビは大ブレイクを果たしています。
以降は「笑っていいとも!」のレギュラーに起用されるなど、国内でも有数の人気お笑いコンビとなっています。
田中さんは単独でも俳優としても活動しており、幅広い層から絶大な人気を誇っています。
また 2015年にタレントの山口もえさんと再婚した際には、大きな話題になっています。
さらに2021年にはくも膜下出血と脳梗塞で緊急搬送されていますが、無事に復帰しています。
以上が「爆笑問題」田中裕二さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
コンビはいったんは干されましたが、「ボキャブラ天国」への出演がきっかけで大ブレイクしています。
その後の活躍は周知の通りで、国内でも有数の人気お笑いコンビに成長しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴/プロフィールの詳細
1988年3月に太田光とともにお笑いコンビ「爆笑問題」を結成。
当初はホンジャマカや浅草キッドなどと並んで注目されたが、1990年に所属事務所から独立したことで仕事が激減。
1994年より出演した「ボキャブラ天国」で大ブレイクして復活。
1998年に初の冠番組「号外!!爆笑大問題」がスタート。
2000年から「笑っていいとも!」の曜日レギュラーを務めた(2014年3月まで)
以降も「爆笑問題のススメ」や「サンデージャポン」、「爆報!THEフライデー」などの番組に出演。
俳優としても「Mr.BRAIN」や「サザエさん」、「Q10」などのドラマに出演している。
私生活では2000年に一般人女性と結婚したが、2009年に離婚。
2015年にタレントの山口もえと再婚した。
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