お笑いコンビ「サンドウィッチマン」の伊達みきおさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は伊達さんは高校時代はラグビー部員でしたが、中学時代にレディースにカツアゲされていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
伊達みきお(だて みきお)
1974年9月5日生
身長170㎝
血液型はA型
宮城県出身のお笑いタレント
お笑いコンビ「サンドウィッチマン」のツッコミ
本名は伊達幹生(だて みきお)
以下では「サンドイッチマン」伊達みきおさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介します
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伊達みきおの学歴まとめ
出身専門学校:仙台医療福祉専門学校
出身高校:仙台市立仙台商業高校
出身中学校:仙台市立八乙女中学校
出身小学校:石巻市立渡波小学校→吹田市立山田第二小学校→仙台市立黒松小学校
伊達みきおの学歴~出身小学校(石巻市立渡波小学校・吹田市立山田第二小学校・仙台市立黒松小学校)の詳細
出身小学校:宮城県 石巻市立渡波小学校
伊達みきおさんが入学したのは、石巻市内の公立校の渡波小学校です。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
弟は2歳年下です。
父親は銀行員でした。
祖父は東京大学を卒業しており父親と同じように銀行員だったそうで、曽祖父は刑事でした。
小学生の頃はNHKの番組しか見せてもらえなかったそうで、テレビゲームも買ってもらえないほど堅い家庭で育ちました。
小学生の頃から勉強が嫌いだったため、勉強はしてこなかったそうです。
伊達さんは小学校時代は父親の仕事の都合で転勤が多く、小学校2年生の時に大阪府吹田市に移住しています。
その際には吹田市立山田第二小学校に転校しています。
小学校6年生の時に再び宮城県に戻って来て、仙台市立黒松小学校に編入して卒業しています。
伊達さんは転校初日から人見知りすることもなく、新しい学校にはすぐに慣れていたそうです。
また当時から周囲を笑わせていたことから、学校では人気者でした。
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伊達みきおの学歴~出身中学校(仙台市立八乙女中学校)の詳細・レディースにカツアゲされていた!
出身中学校:宮城県 仙台市立八乙女中学校 偏差値なし
伊達みきおさんの出身中学校は、地元仙台市内の公立校の八乙女中学校です。
中学時代は部活動はおこなっていませんが、リトルリーグに在籍しており野球に打ち込んでいました。
また中学時代に映画館でレディースのメンバーにかつあげをされたことがあるそうです。
ちなみにその際に観ていた映画は「ビーバップ・ハイスクール」でした。
【主な卒業生】
香川真司(サッカー選手)
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伊達みきおの学歴~出身高校(仙台市立仙台商業高校)の詳細
出身高校:宮城県 仙台商業高校 偏差値50(普通)
伊達みきおさんの出身高校は、市立の男子校(当時)の仙台商業高校です。
同校は部活動が盛んで、硬式野球部やバドミントン部が全国大会に出場した経験もあります。
なお2009年にこの高校と仙台市立仙台女子商業高校が統合されて、現在の仙台商業高校が誕生しています。
伊達さんは高校時代はラグビー部に在籍しており、部活を通して同級生だった相方の富澤たけしさんに出会っています。
実は当初は硬式野球部に入部しようと練習を見学に行っていますが、厳しそうだったので入部はやめたとインタビューで述べています。
「うちの高校の野球部は甲子園にも出るぐらいの強豪で、入学して一度練習を見に行ったとき、ちょうど練習試合に負けて帰ってきて、バットの本数分グランドを走らされていて・・・ バット、ものすごい数あるんですよ。ムリだなと思って、ちらっとラグビー部を見たらものすごく楽そうで、まだ夕方にもなっていないのに帰ろうとしている人がいて、即決しました」
記事引用:部活応援プロジェクト YELL
伊達さんはラグビー部ではスクラムの一番前の「プロップ」というポジションを担当しており、富澤さんと同じポジションでした。
ラグビー部には決まった練習場がなかったそうで、河川敷のグラウンドなどを2時間おきに転々とすることもありました。
当時のラグビー部は弱かったそうで、高校3年間で2回ほどしか勝てていなかったそうです。
強豪校と対戦した際には、101対0で負けたこともありました。
「花園予選があって、石巻工業という花園常連の高校と1回戦であたったとき101対0で、試合の途中で、「もうやめてくれ、棄権できないか?」って言ったんですけど「それはダメだ」って言われて、当たりにいくのも怖いから、最後までどうぞお通り下さい状態でしたw」
記事引用:部活応援プロジェクト YELL
またラグビー部の先輩の一人がきっかけでお笑いを磨いたそうで、インタビューで次のように話しています。
「お笑いを学んだといったら高校時代、ラグビー部の部室での会話で鍛えられましたね。怖いけどすごく面白い先輩がいて、その人を笑わせたい一心で、富澤と僕が頑張っていました」
記事引用:文春オンライン
ラグビー部にはこの先輩を笑わせた順に帰宅できるというルールがあり、伊達さんと冨澤さんは一緒に組んで先輩を笑わせていたそうです。
また高校1年生と3年生の時に担任だった梶川先生にはとても感謝をしているそうで、何度もビンタをされたり「自分だけ気持ちよくなっちゃだめなんだよ」という助言ももらったそうです。
この助言は後に福祉の仕事をするうえでもお笑いの仕事をするうえでも繋がっており、「お笑いだって、独りよがりではだめ。相方のこと、お客さんのことを考えながらじゃないとうまくいかない。」ということに気づけたそうです。
【主な卒業生】
柳俊太郎(ファッションモデル)
そして伊達さんは高校卒業後は仙台医療福祉専門学校(偏差値なし)に進学しています。
この専門学校は介護福祉士や社会福祉士、医療事務などを育成しています。
伊達さんの将来の夢は刑事になることでしたが、高校3年生の時に高校生を対象として行われていた福祉のボランティア活動に参加したことがきっかけでこの専門学校に進学しています。
男子校だったことからこのボランティア活動に参加すると女子に出会えるという不純な動機で参加しています。
しかし実習にはやりがいを感じたそうで終わるころには「介護の仕事もいいかな」と思いはじめたそうで、インタビューで次のように話しています。
「確か1泊か2泊かけて、障害者施設と老人介護施設に実習に行きました。これが本当に楽しかった。女の子とも友達になれたけど、それよりも参加者には障がいを持った仲間もいて、そいつと一緒にみんなで手話を覚えたりすることが面白くてね。」
記事引用:朝日新聞デジタル
ただし専門学校は半年で中退しています。
その後は父親のあっせんで介護用品販売会社に就職しています。
会社では営業を担当し、営業先の老人ホームなどではお年寄りから人気が高かったそうです。
そのため伊達さんはずっとサラリーマンを続けていくつもりでした。
しかし3年間に渡って相方の富澤さんから熱烈な勧誘を受けたことで、1998年にコンビ「親不孝」を結成しています。
そしてコンビに浜田ツトムさんが加わって「サンドウィッチマン」に改名しており、その後浜田さんは脱退しましたがコンビ名はそのままで活動をしています。
コンビは下積み生活が長らく続きますが、2005年は背水の陣でアルバイトを減らして片っ端からライブに出演すると、テレビ関係者の目に留まり、番組への出演が決まります。
そして2007年の「M-1グランプリ」で敗者復活戦からまさかの優勝を飾っています。
この優勝で大ブレイクを果たしています。
以降は数々のバラエティ番組に出演する人気コンビになっています。
また2011年に東日本大震災が発生した際には、いち早く募金活動をはじめています。
以上が「サンドイッチマン」伊達みきおさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
33歳だった2007年にブレイクして、コンビは数々のバラエティ番組に出演しています。
下積みが長かっただけあって実力派としても知れていますので、今後の活動にも注目です。
経歴・プロフィールの詳細
1998年に富澤たけしとお笑いコンビ「親不孝」を結成。
その後トリオとなって「サンドウィッチマン」に改名するが、2000年9月から再びコンビとなった。
もともと実力は高く評価されていたにも関わらずなかなか芽が出なかったが、2005年に「エンタの神様」をきっかけにテレビ出演が徐々に増えていく。
2007年のM-1グランプリに敗者復活戦から勝ち上がり優勝し、ブレイクを果たす。
その後は多くのバラエティー番組に出演。
私生活では2009年にフリーアナウンサーの熊谷麻衣子と結婚した。
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