長塚圭史の学歴と経歴|出身は早稲田大学・戸山高校!中学校の偏差値と学生時代のエピソード

 

俳優の長塚圭史さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。演技派として知られる長塚さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

長塚圭史(ながつか けいし)

 

 

197559日生

身長181㎝、体重65

血液型はO型

 

東京都渋谷区出身の俳優

本名同じ

 

以下では長塚圭史さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

長塚圭史の学歴まとめ

 

出身大学:早稲田大学 第二文学部

出身高校:都立戸山高校

出身中学校:渋谷区立外苑中学校

出身小学校:渋谷区立千駄ヶ谷小学校

 

長塚圭史の学歴~出身小学校(渋谷区立千駄ヶ谷小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 渋谷区立千駄ヶ谷小学校

 

 

 

長塚圭史さんの出身小学校は、地元渋谷区内の公立校・渋谷区立千駄ヶ谷小学校です。

 

家族構成は両親と姉の4人家族です。

 

ただし幼いころに両親が離婚して姉とともに母子家庭で育っています。

 

そのため暮らしはあまり豊かではなく、家には物が少なかったと振り返っています。

 

父親は俳優の長塚京三さんです。

 

 

自身の子供の頃のついては「僕は自分の世界に入っちゃう、要するに人形遊びをずっとしてるみたいな子供だった」と振り返っています。

 

人形遊びでは自分の世界を作ってしまうことから、抜けられずに大変だったとのことです。

 

また長塚さんは小学生の頃に学校で原爆に関する資料映像を見たことが、恐ろしくトラウマになるほどの体験でした。

 

子供の頃からスポーツは苦手でしたが、勉強は得意でした。

 

【主な卒業生】

山本未来(女優、タレント)

 

長塚圭史の学歴~出身中学校(渋谷区立外苑中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 渋谷区立外苑中学校 偏差値なし

※現在は渋谷区立原宿外苑中学校

 

 

 

長塚圭史さんの出身中学校は、地元渋谷区内の公立校・渋谷区立外苑中学校です。

 

この中学校は1997年に渋谷区立原宿中学校と統合されて、現在は渋谷区立原宿外苑中学校になっています。

 

中学時代には左翼教育をする先生がおり、長塚さんは日本に対して否定的になっていったといいます。

 

このことについてはインタビューで次のように話していました。

 

「中学生のときには、学校の先生たちがいわゆる『左』で、授業が終わったあとに、『教科書に載ってないこともある』と言って、731部隊では中国の人を人体実験に使っていたというような話をするんです。」

 

【主な卒業生】

西内まりや(ファッションモデル、女優)

 

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長塚圭史の学歴~出身高校(都立戸山高校)の詳細

 

出身高校:東京都 戸山高校 偏差値71(超難関)

 

 

 

長塚圭史さんの出身高校は、都立の共学校の戸山高校です。

 

同校は1888年開校の都立高校の中でも2番目に古い伝統校で、古くからの進学校として知られています。

 

この高校には一般受験で入学しており、高い学力を有していました。

 

この高校に在学中は1学年下に作家の乙武洋匡さんも在籍していました。

 

長塚さんは高校時代は父親の影響もあって、演劇部に在籍をしていました。

 

長塚さんは高校時代から芝居が好きでお気に入りの劇団の公演を見るために、東京の下北沢にある駅前劇場に通っていました。

 

当時のことについてはインタビューで次のように話しています。

 

「上演前、受付でチケットを販売したりお客さんの席案内をしたりしていた劇団員たちが、いったん舞台に出ると役の人となり別世界を立ち上げる。そしてこちらも自然に登場人物としてみてしまう。『そんな不思議なマジックが起きる劇場という空間がその頃から大好きでした』」

 

長塚さんは当初は、将来は映画と関わりたいと思っていましたが、映画のやり方が分からずカメラも持っていませんでした。

 

そんなタイミングで演技に触れており、高校生の頃から大学生の先輩たちと一緒に劇場を借りて活動をしていました。

 

また長塚さんは高校生の頃には、同級生の女子と交際をしていました。

 

【主な卒業生】

東条英機(元内閣総理大臣)

山口崇(俳優)

乙武洋匡(作家)

森永卓郎(経済アナリスト)

片瀬那奈(女優・定時制課程)

萩原聖人(俳優・定時制課程中退)

 

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長塚圭史の学歴~出身大学(早稲田大学)の詳細

 

 

出身大学:早稲田大学 第二文学部 偏差値60(やや難関)

※第二文学部は現在は募集停止

 

 

 

長塚圭史さんは高校卒業後は、早稲田大学に進学しています。

 

在籍したのは第二文学部(夜間部)ですが、2006年をもって募集を停止しています。

 

長塚さんは大学入学直後に劇団を立ち上げて、俳優や演出家としてのキャリアをスタートさせています。

 

長塚さんがはじめて長編の芝居を書いたのは大学1年生の頃で、演出も担当して自身も俳優として出演をしています。

 

上映中は自身が出ていないシーンでも観客の反応が気になってドキドキしていたといいます。

 

長塚さんはこのドキドキ感も楽しんでおり、観に来てくれた人たちから褒めてもらったことですっかり味をしめてしまったとのことです。

 

このことについては別のインタビューでは次のように話していました。

 

「僕はもともと俳優志望だったので、自分にいい役が欲しくて書き始めました(笑)。大学に入った頃に、神楽坂ディープラッツという小さな小屋を借りて、高校の同級生でスポーツをやっていた人を集めて、僕が書いたお芝居をやった。その作品が想像以上に受けたんです。」

 

そして大学3年生のだった1996年に、演劇プロデュース・ユニット「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成しました。

 

長塚さんはお客さんが笑ってくれることに喜びを感じており、「書くのは面白いかもしれない」と思ったため、大学の劇団に入ろうかと思いました。

 

しかし劇団に入るのは違う気がして、自身で劇団を立ち上げています。

 

長塚さんは20代前半の頃には年に3本ほど新作を上演していましたが、演劇活動を仕事として食べていけるようになるとは考えていなかったと当時を振り返っていました。

 

また長塚さんは学生時代には喫茶店やレストランでアルバイトをしており、お客さんに喜んでもらうためにはどのようなサービスを提供すればよいのかというのを考えることが好きでした。

 

加えてスタッフがチームでどう動くことで、この店の魅力を最大限に出すことができるかなどを考えることが好きだったようです。

 

なおこのように大学時代は演劇にハマっていましたが、学業も頑張っており大学はキッチリと卒業しています。

 

以降も演出家や俳優として活動しています。

 

当初は舞台を中心に活動していましたが、大学卒業後は活動の幅を広げてテレビドラマや映画にも進出。

 

 

癖のある役柄などの演技に定評があり、このところは話題の連続ドラマや映画などに起用されています。

 

 

2009年に常盤貴子さんと結婚した際には大きな話題になっています。

 

 

出身の舞台でも精力的な活動を展開しており、今後のさらなる飛躍にも期待が膨らみます。

 

 

経歴・プロフィールの詳細

 

1994年に「劇団笑うバラ」を結成。 

1996年に「阿佐ヶ谷スパイダース」を結成。 

1999年の「検事・霞夕子14」でテレビドラマ初出演。 

2000年の「ざわざわ下北沢」で映画初出演し、2001年の「tokyo.sora」で高崎映画祭新人男優賞を受賞。 

2004年の「リアリズムの宿」で映画初主演。 

以降も「ウェルかめ」や「Dr.倫太郎」、「あさが来た」などの連続ドラマに出演。 

「容疑者Xの献身」や「ヘブンズ・ドア」、「アフロ田中」などの映画にも出演している。 

私生活では2009年に女優の常盤貴子と結婚した。

 

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