アイドルユニット「Wink」のメンバーとして一世を風靡した相田翔子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。自転車旅行をした高校時代や意外にもプロレスラーになろうとした中学時代など、学生時代のエピソードや情報も併せてご紹介します
相田翔子(あいだ しょうこ)
1970年2月23日生
身長160㎝
血液型はB型
東京都東村山市出身のタレント、歌手、女優
本名は鈴木敬子(すずき けいこ・結婚前)
アイドルデュオ「Wink」のメンバー
以下では相田翔子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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相田翔子の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:文華女子高校
出身中学校:東村山市立東村山第六中学校
出身小学校:東村山市立秋津小学校
相田翔子の学歴~出身小学校(東村山市立秋津小学校)の詳細
出身小学校:東京都 東村山市立秋津小学校
相田翔子さんの出身小学校は、地元東村山市内の公立校の秋津小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
相田さんは子供の頃から活発で、やんちゃでイタズラ好きの少女でした。
また男の子と遊ぶのが大好きで、小学校時代はプラモデルやモデルガンに熱中したほどです。
相田さんは「ピンクレディ」の増田恵子さんのファンでしたが、当時は歌手になりたいという願望はありませんでした。
また子供の頃から読書が好きだったことから、当時の夢は小説家になることでした。
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相田翔子の学歴~出身中学校(東村山市立東村山第六中学校)の詳細
出身中学校:東京都 東村山市立東村山第六中学校 偏差値なし
相田翔子さんの出身中学校は、地元東村山市内の公立校・東村山第六中学校です。
相田さんは見た目によらず中学時代はソフトボール部に所属する体育会系で、キャプテンも務めています。
また同級生にプロレス技をかけたり、男子を投げ飛ばしたりする活発な少女でした。
当時は長与千種さんとライオネス飛鳥さんの「クラッシュギャルズ」に憧れており、たびたび試合も観戦していました。
そして本気でプロレスラーになろうとして、プロレス団体「全日本女子プロレス」に履歴書を送ったほどでした。
またオーディションにも参加しています。
ちなみにリングネームも「ゴルゴンゾーラ翔子」に決めていたとバラエティ番組に出演した際に明らかにしています。
ただし全日本女子プロレスのオーディションはすべて不合格となっており、中学時代にプロレスラーになることを諦めています。
そして相田さんは中学2年生の時に友人の勧めで応募した芸能事務所のオーディションに合格しています。
ただし当時は芸能界にはあまり興味はなく、「記念受験」のつもりでオーディションを受けています。
その際には松任谷由実さんの「ダンデライオン~遅咲きのタンポポ」を歌っていますが、人見知りや緊張もあって蚊の鳴くほどの声しか出せませんでした。
それでも「モデルをやってみないか?」と言われて芸能事務所入りしています。
当初は父親は芸能界入りを反対しましたが、後にこれを認めています。
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相田翔子の学歴~出身高校(文華女子高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 文華女子高校 偏差値45(容易)
相田翔子さんの出身高校は、私立の女子校の文華女子高校です。
この高校は1948年開校の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
相田さんは高校時代は演劇部に在籍しています。
前記のように相田さんは中学時代に芸能事務所にスカウトされていますが、高校時代はデビューに向けて歌のレッスンに励んでいます。
その他にも作詞・作曲や演技のレッスンも受けていました。
また当時はおしゃれに使える小遣いが欲しかったので、高校時代は多くのアルバイトをしていました。
最初におこなったアルバイトは紙袋を作る内職で、1枚1円にもならなかったので、はじめての給料はわずか1000円でした。
しかしその際には「世の中は1円稼ぐのも大変なんだ」ということを学んだので貴重な体験だったとのこと。
次におこなったのは近所の工場で、お姉さんと一緒に弁当を作っています。
その他にもハンバーガーショップやパン屋、惣菜屋や居酒屋などで働いています。
その中でも一番長く務めたのはパン屋でデビュー直前まで働いていました。
ただし当時の相田さんは人見知りだったことから裏方で、パンを作る仕事をしていました。
高校2年生の夏休みには友人3人と先生1人で、北海道から東京までの自転車旅行に出かけ、ママチャリで16日間かけて走破するなど、アクティブな一面を見せています。
また高校3年生の時には友達とともに「青春18きっぷ」で東京から岡山まで行き、さらに四国を鈍行列車で1周しています。
電車好きで「鉄オタ」とされる相田さんですが、この経験がきっかけとなって鉄道が好きになっています。
加えて高校2年生の時にソロ歌手としてデビューの話も持ち上がりますが、同校が芸能活動を禁止していたことから、実現しませんでした。
一時は堀越高校の芸能コースに転校することも考えましたが、本人の希望で転校はしませんでした。
ちなみに相田さんは高校1年生の時に2歳年上の男子と交際していたことを後に明らかにしています。
なお高校を卒業した際には後にデビューをすることを知っていた同級生たちが、応援のメッセージを寄せ書きしてくれたそうです。
【主な卒業生】
荒川恵理子(元なでしこジャパン)
大学には進学していない
そして相田翔子さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、芸能活動に専念しています。
高校を卒業した翌月に鈴木早智子さんとWinkを結成していることから、満を持してのデビューで大学進学などは最初から念頭になかったようです。
そして同じ年の1988年11月にリリースした3rdシングル「愛が止まらない」で大ブレイクを果たしています。
その後のWinkの快進撃はすさまじく、一大ブームを作ったトップアイドルとして活躍しました。
また無表情で「笑わないアイドル」との異名もとっていました。
ただし相田さんは25歳だった1995年に難病の「突発性難聴」にかかって、芸能界引退の危機にあったことを後に告白しています。
その際には医師も匙を投げましたが、奇跡的に回復しています。
Winkは1996年に活動を休止しますが、その後はタレントとして数々のバラエティ番組に出演しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が相田翔子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
在籍した「Wink」は絶頂期こそ比較的短かったですが、1980年台後半から1990年代前半までトップアイドルとして一世を風靡しています。
中でも相田さんは絶大な人気を誇っていました。
その後はソロ歌手や女優、タレント活動などマルチに活動して、現在でも高い人気を博しています。
現在はタレント活動がメインとなりましたが、未だに多くの番組に出演しています。
年齢を感じさせない若々しさで、末永い活躍を期待したいところです。
経歴・プロフィールの詳細
1984年にオーディションを受けたことがきっかけで芸能事務所入り。
1988年4月に鈴木早智子とWinkを結成して、1stシングル「Suger Baby Love」でデビュー。
同年11月にリリースした「愛が止まらない」が大ヒットしてブレイク。
1989年に「淋しい熱帯魚」で日本レコード大賞を受賞。
1990年に「ゴールドラッシュ」で映画初出演。
1992年ごろからソロ活動が多くなり、Winkは1996年に活動を停止。
1992年に「スケバン刑事Ⅲ」で連続ドラマに初のレギュラー出演。
1996年にソロ歌手としての1stシングル「ⅰ Julia」をリリース。
1998年からバラエティー番組に進出し、「世界ウルルン滞在記」や「笑っていいとも!」、「メレンゲの気持ち」などの人気番組に出演。
2005年の「七色のおばんざい」で連続ドラマ初主演を務める。
2008年に医師と結婚し、2012年に女児を出産した。
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