人気女優の沢口靖子さんの出身中学校や高校などの学歴情報をお送りいたします。現在でも美貌は健在の沢口さんですが、中学時代には伝説の美少女で、高校時代も信じられないようなモテぶりを発揮しています。若い頃の画像や学生時代のエピソードと併せてご紹介します
沢口靖子(さわぐち やすこ)
1965年6月11日生
身長159㎝
血液型はA型
大阪府堺市出身の女優
本名同じ
以下では沢口靖子さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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沢口靖子の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:大阪府立泉陽高校
出身中学校:堺市立上野芝中学校→堺市立赤坂台中学校
出身小学校:堺市立平岡小学校
沢口靖子の学歴~出身小学校(堺市立平岡小学校)の詳細
出身小学校:大阪府 堺市立平岡小学校
沢口靖子さんの出身小学校は、地元堺市内の公立校・平岡小学校です。
家族構成は両親と3歳年上の兄の4人家族です。
父親の職業は元国鉄の職員だと言われています。
またお兄さんとは非常に仲が良く、子供の頃の習い事はほとんどがお兄さんの影響ではじめたそうです。
幼稚園時代からピアノを習っており、ピアノは高校時代まで続けていました。
また子供の頃から書道やそろばんもはじめています。
沢口さんは小学生時代は兄の影響で3年間夏休みに堺市寺町にあった水練学校に通っています。
その他にも学校のクラブではポートボール部に所属しており、当時からスポーツが大好きでした。
小学校高学年の時には陸上部に所属して、短距離走を得意としています。
また小学校時代には校内の人気投票で1位となるなど、当時から人気者でした。
小学校6年生の時には児童会の役員を務めるなど、模範的な生徒だったようです。
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沢口靖子の学歴~出身中学校(堺市立上野芝中学校・堺市立赤坂台中学校)の詳細
出身中学校:大阪府 堺市立赤坂台中学校 偏差値なし
※入学は堺市立上野芝中学校
沢口靖子さんの出身中学校は、地元大阪府堺市の公立校の赤坂台中学校です。
入学したは同じ堺市内の堺市立上野芝中学校で、沢口さんの在学中には1学年23クラスもあったマンモス校でした。
上野芝中学校時代は体操部に在籍しています。
中学2年生の時に実家が泉北ニュータウンに引っ越したため、堺市立赤坂台中学校に転校しています。
当時の赤坂台中学校はうってかわって3クラスしかないこじんまりとして学校だったことから、沢口さんは「温かく迎え入れてくれた」とコメントしています。
「こちらはニュータウンにできたばかりの学校だったので、すごくアットホームでした。全学年がみんな仲良しみたいな感じ。転校を経験している人ばかりだから、すぐに声をかけてくれて、仲良くなって、転校生の孤独な気持ちにならずに済んでよかったです。上野芝中では体操部でしたけど、赤坂台中にはなかったのでテニス部に入りました」
赤坂台中学校時代も軟式テニス部に所属しており、体育祭ではリレーの選手を務めるなど、文武両道ぶりを発揮しています。
当時は日焼けで真っ黒でした。
(中学時代)
沢口さんは中学時代には既に地元では「伝説の美少女」として有名な存在でした。
中学2年生の時の転校の際には、男子生徒から沢口さんの「転校反対運動」も起こったほどです。
また中学時代には既に校内にファンクラブがあったほどです。
後記の通り高校は進学校に進んでいることから、中学時代には進学塾に通学して猛勉強していました。
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沢口靖子の学歴~出身高校(大阪府立泉陽高校)・大学の詳細
出身高校:大阪府 泉陽高校 偏差値68(難関)
沢口靖子さんの出身高校は、府立の共学校の泉陽(せんよう)高校です。
地元では古くから進学校として知られ、京都大学や大阪大学、神戸大学などの難関大学に進む卒業生も多いことで知られています。
脚本家の橋田壽賀子さんや歌人の与謝野晶子さんもこの高校の卒業生です。
沢口さんはこの高校に一般受験で入学しているので、高い学力を備えていました。
高校時代は軟式テニス部に所属しています。
当時の同校の軟式テニス部は練習が厳しかったことから、高校時代はかなりの体育会系だと話しています。
「厳しい部活生活でした。試合の前になると朝練もありましたし、お昼休みにも練習があるから3時間目と4時間目の休み時間にお弁当を食べるんです(笑)。雨の日は4階建ての校舎の中を5周ぐらい走ってました」
記事引用:堺市
「お盆前に試合があるから夏休みも毎日練習。浜寺公園に青少年センターというのがあって、そこで合宿もしました。前衛と後衛でコンビを組んでいる2人が2段ベッドの上下で寝るんです。常に相談したりできるように。『夢でもテニスの夢を見ろ!』って言われるぐらい厳しかったです」
記事引用:堺市
軟式テニスでは市大会のベスト8まで進出したこともあり、勉強ばかりか運動神経も非常によくスポーツも得意でした。
沢口さんは部活動の思い出を次のようにインタビューで話しています。
「泉陽高校から堺東駅に帰る途中にパン屋さんがあって、よく仲間と50円のアイスクリームを食べていました。試合に勝ったときは自分へのご褒美で100円のを奮発するんです(笑)。その地域ではわりと強いほうでした。インターハイに行くほどではなかったですけど」
記事引用:堺市
また高校時代も非常にモテており、校内にファンクラブがありましたし、沢口さんをひと目見るために他校の生徒が大勢押しかけてきたという伝説の持ち主です。
さらに毎朝高校の最寄りの堺東駅まで沢口さんが乗る電車の車両には沢口さん目当ての男子高校生であふれ、「沢口靖子専用車両」と呼ばれたほどのエピソードが残っています。
(高校時代)
また言うまでもなく、沢口さんは高校時代はたくさんのラブレターをもらっています。
「冗談みたいなラブレターをもらったことはありますけど。駅で手紙をくれて、開けたら好きになった理由とか自己PRが書いてある履歴書が入っていたんです(笑)」
記事引用:堺市
並外れた美貌にも関わらず性格がとてもいいので神様に違いないということから、高校時代は「神さん」というあだ名で呼ばれていました。
高校時代には野球部のキャプテンと交際して校内では「ビッグカップル」となりましたが、5回目のデートで終わってしまったことを後にバラエティー番組に出演した際に明らかにしています。
なお沢口さんは高校2年生の時に映画雑誌「ロードショー」のそっくりさんコーナーに応募したことがありました。
ちなみにこの際には歌手で女優のオリビア・ニュートン・ジョンさんのそっくりさんということで雑誌にの紙面に掲載されています。
大学には進学していない
そして沢口靖子さんは高校卒業後は、大学に進学していません。
当時は書道家か秘書を目指しており、大学の書道科を目指して実際に大学受験もしています。
「母方の祖父が書道が得意で、母の姉も書道の先生でした。私も筆で字を書くのが好きだったので書道の道に進んでもいいなと思っていたんです。大学の書道科をめざして、夏休みには友人と受験勉強をしに大仙公園にある市立中央図書館に通っていました。環境がいいんですよ、涼しくて、静かで。お昼は近くの友人の家に行って、テレビの『笑っていいとも!』を見ながらランチを食べるのが楽しみでした(笑)」
記事引用:堺市
ちなみに受験した大学は国立の奈良教育大学教育学部書道科(偏差値52)で、沢口さんは合格もしていました。
と同時に密かに女優になりたいという夢を持っていたことから、親には内緒で「東宝シンデレラオーディション」にも応募していました。
「高校卒業を控えて実際に大学受験もしたんですよ。でも、同時に東宝シンデレラのオーディションにも応募していました。受かるなんて思っていませんでしたから」
ちなみにこのオーディションを受けたのは友達の勧めで、軽い気持ちで応募しています。
そして東宝シンデレラでは3万1653人の中からグランプリに輝いたことから、大学進学は断念しています(大学は辞退)。
このオーディションでは後にアイドル歌手としてブレイクする斉藤由貴さんもファイナリストに残っていましたが、入賞はしていません。
(斉藤由貴)
ちなみに東宝シンデレラオーディションは第1回のグランプリの沢口靖子さんが売れに売れたためその後も続行されて、長澤まさみさんや上白石萌音・萌歌さん、浜辺美波さんらを輩出しています。
沢口さんはグランプリを受賞した際は「運命を感じた」と語っており、迷うことなく芸能界入りを決めています。
またその際に両親にも反対されなかったことをインタビューで話しています。
「両親もひどく反対はしませんでした。父は書店でこっそりオーディション雑誌を立ち読みして知っていたらしいです。そして私のことを理解してくれようとしました。「選ばれたことを大切に受け止めて、良い方向に考えるしかない」といってくれました」
そしてこの年にテレビドラマ「刑事物語3 潮騒の詩」で女優デビューを飾っています。
デビュー当時は関西弁が抜けず、標準語で話すことに苦労しています。
そのためできるだけ親や地元の友達に電話しないようにしたというエピソードも残っています。
このドラマでは主題歌も歌って歌手デビューもしていますがセールスはいまひとつで、歌手としての活動は23歳で終了しています。
ちなみに沢口さんのアイドル歌手としてのデビュー曲の「潮騒の詩」ですが、NHKの朝ドラ「あまちゃん」の挿入歌としてヒットした「潮騒のメモリー」の元ネタとも言われています。
また女優業とは対照的にアイドル歌手としては芽が出なかった沢口さんですが、当時は武田久美子さんと並んでその歌唱力が酷評されています。
次の動画は沢口さんの最後のシングルとなった1988年の「Follow Me」ですが、確かに微妙ですね。
この曲は作曲を小室哲哉さんが手掛け、なおかつ沢口さんの主演ドラマ「痛快!ロックンロール通り」の挿入歌だったにも関わらず、オリコンの最高位は75位で、この曲を最後に沢口さんは歌手活動から撤退しています。
さらに沢口さんはこの年に出演した映画「ゴジラ」で日本アカデミー賞新人賞を受賞しています。
翌年にNHKの朝ドラ「澪つくし」のヒロインに起用されて大ブレイクして、人気女優への道を歩んでいくことになりました。
ちなみに「澪つくし」のヒロインに決まった時には淡々と受け止めたとインタビューで話しています。
「『澪つくし』のお話をいただいたとき、「あ、次は朝ドラのお仕事なんですね」と淡々と受け止めたことを覚えています。デビューした年のことでした。映画を2本、単発ドラマ1本に出演させていただいたとはいえ、まったくの新人で無知でしたから、朝ドラの偉大さや影響力の大きさを知らなかったんです(笑)。事務所の方や周りの方たちがとても喜んでくださったことで改めてその大きさを知ることになりました」
記事引用:NHK
ただしNHKの朝ドラの撮影スケジュールは過酷であることで知られていますから、当時はとにかくスケジュールをこなすことで精一杯だったとも話しています。
なお「澪つくし」に出演した際の沢口さんの人気は凄まじく、ドラマも55.3%という現在では考えられないような高視聴率を記録しています。
以上が沢口靖子さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
19歳で芸能界入り後は、数多くのテレビドラマに主演して、現在も第一線で活躍しています。
(独眼竜政宗・1987年 出演:渡辺謙、三浦友和、竹下景子、真田広之ほか)
(痛快!!ロックンロール通り・1988年 出演:後藤久美子、高橋良明、三浦洋一ほか)
(さよなら李香蘭・1989年 出演:八千草薫、平幹二朗、菊池桃子、柳葉敏郎ほか)
(ホテルウーマン・1991年 出演:秋野暢子、高橋ひとみ、内藤剛志ほか)
(秀吉・1996年 出演:竹中直人、村上弘明、松たか子、高嶋政伸ほか)
(科捜研の女・1999年 出演:内藤剛志、斎藤暁、若村麻由美ほか)
またかつては清純派で鳴らした沢口さんですが金鳥の「タンスにゴンゴン」の田中真紀子やマリリン・モンローのモノマネ風の演技を披露して大きな話題になりました。
【沢口靖子 タンスにゴンゴンCM】
既に50歳を超えていますがその美貌は相変わらずで、未だに高い人気を誇ります。
末永い活躍を期待したいところです。
沢口靖子の経歴
1965年(0歳):大阪府堺市に生まれる
1984年(19歳):「東宝シンデレラオーディション」に合格
1984年(19歳):テレビドラマ「刑事物語3 潮騒の詩」で女優デビュー
1985年(20歳):映画「ゴジラ」で日本アカデミー賞新人賞を授賞
1986年(21歳):NHKの朝ドラ「澪つくし」のヒロインに起用されてブレイク
1999年(34歳):「科捜研の女」シリーズに出演
2011年(46歳):「検事・霞夕子シリーズ」に出演
2021年(56歳):映画「劇場版 科捜研の女」に主演
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