アイドルとして一世を風靡した工藤静香さんの出身中学校や高校の偏差値などの学歴情報をお届けいたします。芸能界入りした中学校時代やアイドルとして人気が爆発した高校時代など、学生時代の情報やエピソード、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
工藤静香(くどう しずか)
1970年4月14日生
身長163㎝
血液型はB型
東京都出身の歌手、女優、タレント
本名同じ(結婚前)、別名義は「愛絵理(あえり)」
以下では工藤静香さんの学歴や経歴、出身中学校・高校の偏差値、中学時代や高校時代のエピソードなどをご紹介していきます。
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工藤静香の学歴まとめ
出身高校:都立板橋高校→日本音楽高校(中退)
出身中学校:羽村市立第二中学校
出身小学校:羽村市立栄小学校
工藤静香の学歴~出身小学校(羽村市立栄小学校)の詳細
出身小学校:東京都 羽村市立栄小学校
工藤静香さんの出身小学校は地元の東京都羽村市の公立校の栄小学校です。
家族構成は両親と2歳年上の兄の4人家族です。
父親は板前で共働きだったことから、幼少期から何でもひとりでできるようにしつけられています。
子供の頃から兄と遊んでおり、男の子と遊ぶのが好きな少女でした。
またスポーツが好きで小学校時代にはマラソンや水泳を得意にしていました。
加えて工藤さんは小さい時からアウトドア派で、小学校の時には熱心に釣りをやっていたことを明らかにしています。
「奥多摩の上流のほうまで行ってやっていたんですけど、私はヤマメとかイワナを釣って、口から箸を刺して、その場でバーベキューをして食べていました」
記事引用:マイナビニュース
小学校2年生の頃から服や髪などおしゃれに興味を持っています。
加えて小学生の頃は劇団東俳に所属しており、当時の活動から様々なことを学んだとインタビューで話しています。
「習い事のような感覚でしたけど、4年生の時に一人で電車に乗って都心まで通うようになりました。体調が悪くても、仕事が入っていたら行かなきゃいけない。人に迷惑をかけてはいけないというのは子供ながらにわかっていて、具合が悪くても行ったのは覚えています。たくさんのことを感じ、覚え、学びましたね」
記事引用:Numero TOKYO
当時は芸能界に興味はなく、アイドルは「食べないし、トイレにも行かないイメージがあった」と語っており、別世界の人間だと思っていたからです。
さらに小学生の高学年の頃に、工藤さんを可愛がっていた兄がバイクで事故死をするという悲劇に見舞われています。
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工藤静香の学歴~出身中学校(羽村市立第二中学校)の詳細
出身中学校:東京都 羽村市立第二中学校 偏差値なし
工藤静香さんは小学校卒業後は、地元羽村市の公立校の第二中学校に進学しています。
中学時代はヤンキーで、年上の男性が車でお迎えに来るなどの逸話も残しています。
そして中学2年生の時に「ミスセブンティーン・コンテスト」で特別賞を受賞して芸能界入りしています。
(下段・右から2番目)
このコンテストには18万人以上の応募があり、国生さゆりさんや渡辺満里奈さん、渡辺美里さんなど後に芸能界で活躍する女性が多く出場していたことで知られています。
ちなみにグランプリに輝いたのは網浜直子さんと松本典子さんです。
工藤さんは本気で芸能界入りしようとは思っておらず、「友達とノリ」で応募して、すっぴんで普段着のタンクトップといういで立ちで決勝に臨みましたが(他の出場者は衣装を着て、化粧もしていた)、それでも入賞しています。
翌年に清原亜希さんらとアイドルユニット「セブンティーンクラブ」でデビューしています。
工藤さんもこのユニットは「とにかく売れなかった」と語っており、台風が接近中のデパートの屋上でイベントをやったときには、なんと観客が誰もおらず、デパートの社員の人々が申し訳なさそうな顔をして見に来てくれたとも話しています。
当時の関係者は工藤さんをセンターで起用しなかったことが、このユニットの失敗の原因だと語っています(センターは清原亜希さんが多かった)。
「セブンティーンクラブ」はセールス的にも散々で、シングルはわずか2枚のリリースに留まり、アルバムのリリースはなし、グループもわずか1年あまりの活動で解散しています。
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工藤静香の学歴~出身高校(板橋高校・日本音楽高校)・大学の詳細
出身高校;東京都 板橋高校 偏差値44(容易・現在)
※後に日本音楽高校(偏差値43)に転校して中退
工藤静香さんが入学したのは、都立の共学校の板橋高校です。
この高校は1922年開校の都立高校で、かつては進学校でしたが現在ではレベルが凋落しています。
なお現在よりも工藤さんが在籍した時代のほうがレベルは上でした。
中学2年生の時に芸能界入りしてアイドルユニットなどで活動していたことから、高校は仕事がしやすいように、比較的都心の同校に進学しました。
また高校時代は所属事務所の寮で寮生活を送っていました。
高校時代は仕事もあったので部活動はおこなわずに帰宅部でした。
工藤さんは高校1年生だった1986年5月におニャン子クラブのメンバーになると、徐々に人気も上昇して中心的なメンバーとなっていきます。
ところが当時の工藤さんはかなり冷めており、前記の「セブンティーンクラブ」の失敗もあったことから、グループ入りした際もさほどうれしくはなかったとインタビューで話しています。
「セブンティーン・クラブで失敗を経験しているので、自分がいる環境をとても客観的に見ていました。自分はあくまで大勢の中の一人。私がいなくても誰もわからないだろうって。すごく冷静でしたね」
記事引用:Numero TOKYO
また当時はグループ内でも「下っ端だった」と述べています。
「おニャン子の中でも本当に下っ端で、私より人気のある人はいっぱいいましたから、とにかくその人たちの邪魔になっちゃいけないと思っていました。当時は寮に住んでいましたけど、売れている人はやっぱり違うなと日々感じていましたから」
記事引用:Numero TOKYO
そのため少しでも前に出たがる他のメンバーを尻目に、「どうぞどうぞといった感じで、自分は後ろにいた」、「誰も私を見えていないように思えて、後ろで適当に踊った」などと回顧しています。
【板橋高校の主な卒業生】
柴咲コウ(女優)
山崎賢人(俳優)
古谷一行(俳優)
片瀬那奈(女優・転出)
そんな本人の意思とは反比例するかのように人気が上昇していき、さらに芸能活動を優先できるように、私立の女子校の日本音楽高校の音楽科(偏差値41)に転校しています。
女優の栗山千明さんや深津絵里さん(転出)も同校の出身者です。
当時のおニャン子クラブは学業優先のスタンスでしたが、工藤さんはあまり真面目に学校には行っていなかったことを後に告白しています。
高校2年生の時に生稲晃子さんらと斉藤満喜子さんとユニット「後ろ髪引かれ隊」を結成すると、いきなりファーストシングル「時の河を越えて」がオリコン1位となります。
また同じ年の7月には工藤さんは「禁断のテレパシー」でソロ歌手としてもデビューを飾っています。
当時については工藤さんは次のように振り返っています。
「おニャン子クラブの時も、17歳でソロデビューした時も、一生この仕事でやっていこうという決心はまだなくて。ただ…すごく覚えているのは、ファーストアルバム『ミステリアス』の中の「すべてはそれから」を歌入れしている時のこと。当時はものすごく忙しくて睡眠時間もほとんどなく、疲れていたはずなのに、音に自分の声を乗せていく作業をしながら、歌がこれほど自分の神経を集中させてくれるんだと気づいたんです」
記事引用:Numero TOKYO
そのため仕事で多忙になったのか、結局は日本音楽高校も中退してしまっています。
また大学などにも進学していません。
とは言えその後の活躍は周知の通りで、1980年代後半にもっとも活躍したアイドルのひとりで、中山美穂さんや南野陽子さん、浅香唯さんと並んで「アイドル四天王」とも呼ばれています。
歌手としては11曲ものオリコン1位シングルをリリースしていますし、女優としても成功しました。
また10代にして人気アイドルになった工藤さんですが、1度も天狗になったことはなかったとインタビューで話しています。
「イヤだなという言動を目にした時に、自分はああいうことを言ったり、ああいう態度をするのはやめようと子どもながらに思っていました。歌手としても、一度失敗したことで多くを学ぶことができたので、デビューしたからといって天狗になることもなかった。ずっと続くものなどないから、ちゃんとしておかないとって」
記事引用:Numero TOKYO
そして2000年にSMAPのメンバーの木村拓哉さんと結婚した際には大きな話題になっています。
以上が工藤静香さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
歌手としても女優としてもいずれも成功を収めており、全盛期の人気は凄まじいものがありました。
木村拓哉さんと結婚後は極端に露出が減りましたが、デビュー30周年を迎える2017年には、久しぶりの全国ツアーと12年半ぶりとなるオリジナルアルバムのリリースも決まっています。
期間限定の活動のようですが、一世を風靡した歌手だけに復活は楽しみです。
また娘(次女)のコウキさんもモデルデビューしており、今後の動向にも注目が集まります。
工藤静香の経歴・プロフィールの略歴
1970年(0歳):青森県生まれ(東京都羽村市育ち)
1984年(14歳):「ミスセブンティーンコンテスト」で特別賞を受賞して芸能界入り
1984年(14歳):清原亜希と柴田くに子とアイドルユニット「セブンテーンクラブ」の一員としてデビュー
1985年(15歳):セブンティーンクラブが解散
1986年(16歳):都立板橋高校・普通科に入学
1986年(16歳):「おニャン子クラブ」に加入
1987年(17歳):生稲晃子と斉藤満喜子とともにユニット「うしろ髪ひかれ隊」を結成
1987年(17歳):「禁断のテレパシー」でソロ歌手デビュー
中山美穂や南野陽子、浅香唯と並んで「アイドル四天王」と呼ばれる
1988年(18歳):月9ドラマ「君の瞳をタイホする!」に出演
1988年(18歳):NHK紅白歌合戦に初出場
1992年(22歳):「未来の想い出」で映画初主演
2000年(30歳):木村拓哉と結婚(長女はCocomi、次女はkoki)
2017年(47歳):12年半ぶりのオリジナルアルバム「凛」をリリース
2017年(47歳):デビュー30周年記念全国ツアー
2020年(50歳):FNS歌謡祭に出演
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