歌手の中森明菜さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。1980年代を代表するアイドル歌手だった中森さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
中森明菜(なかもり あきな)
1965年7月13日生
身長160㎝
血液型はA型
東京都清瀬市出身の歌手、女優
本名同じ
以下では中森明菜さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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中森明菜の学歴まとめ
出身高校:大東学園高校→明治大学付属中野高校 定時制課程(中退)
出身中学校:清瀬市立清瀬中学校
出身小学校:清瀬市立清瀬小学校
中森明菜の学歴~出身小学校(清瀬市立清瀬小学校)の詳細
出身小学校:東京都 清瀬市立清瀬小学校
中森明菜さんの出身小学校は公立の清瀬市立清瀬小学校です。
家族構成は両親と6人きょうだいの8人家族です。
中森さんは5番目のきょうだいで、兄と姉が2人ずつと弟がいます。
6人きょうだい全員が美男美女だったことから、学生時代は学校で有名だったそうです。
母親がもともと歌手を目指していた影響もあり、子供の頃からピアノやクラシックバレエを習っていました。
小学2年生の時に転校生の男子に初恋をしていますが、何かあるたびに「転校生のくせに」と可愛げのないことを言っていました。
また小学校時代は主要科目は苦手でしたが、音楽や体育が得意でした。
運動会では徒競走で1位を取ることができなければ悔しさのあまり寝ることができなかったそうです。
中森さんは子供の頃からお転婆で気が強かったことから、兄と喧嘩をして叩かれても立ち向かっていく根性の持ち主でした。
また中森さんは子供の頃は体が弱く病弱だったようです。
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中森明菜の学歴~出身中学校(清瀬市立清瀬中学校)の詳細
出身中学校:東京都 清瀬市立清瀬中学校 偏差値なし
中森明菜さんの出身中学校は、地元東京都清瀬市内の公立校・清瀬市立清瀬中学校です。
中学校時代は演劇部に在籍をしていました。
中学校に入学後すぐにオーディション番組「スター誕生!」に応募はがきを送っています。
その際には家族の誰にも相談せずにこのオーディションに応募しています。
中森さんは中学2年生の時にはじめて「スター誕生」の本選に出場しています。
この時は岩崎宏美さんの「夏に抱かれて」を歌いましたが不合格でした。
また翌年にも本選に出場して松田聖子さんの「青い珊瑚礁」を歌いましたが、この時も不合格になっています。
子供の頃からおこなっていたクラシックバレエは中学2年生まで続けていました。
ちなみに中学時代の得意科目は体育と音楽でした。
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中森明菜の学歴~出身高校(大東学園高校・明治大学附属中野高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 大東学園高校 偏差値40(容易)
※後に明治大学附属中野高校・定時制課程に転校
中森明菜さんは中学校卒業後は、私立の共学校の大東学園高校に進学しています。
この高校は1932年開校の私立高校で、女子校時代から芸能活動を容認していたので数々の芸能人の母校として知られています。
中森さんは高校1年生の時に3回目の出場で史上最高点を叩き出して「スター誕生」で合格しており、決勝大会では11社からスカウトを受けました。
ちなみにこの際に歌った曲は、山口百恵さんの「夢先案内人」でした。
このオーディション番組には予選落ちも含めて7回ほど応募して3度出場しています。
【大東学園高校の主な卒業生】
松島トモ子(女優)
飯島直子(女優)
大西結花(女優)
じんたん(YOUTUBER・スカイピース)
中森さんは芸能界入り後は幅広く芸能活動をおこなうことができるよう、明治大学附属中野高校の定時制課程(偏差値40)に転校しています。
この高校の定時制課程は広く芸能活動を認めていたことやアクセスのよさから、2003年に廃止されるまで堀越高校と並び多くの芸能人を輩出していました。
またこの高校では当時「シブがき隊」のメンバーだった本木雅弘さんや布川敏和さん、薬丸裕英さん、「少年隊」の錦織一清さん、アイドル歌手だった大沢逸美さんや三田寛子さんらと同級生でした。
高校時代に交際が報じられた近藤真彦さんも1学年上に在籍していました。
中森さんは半年ほどレッスンを受けた後に、1982年に1stシングル「スローモーション」でデビューを果たしました。
歌手になった理由については次のように話していました。
「歌手になりたい!っていう願望じゃなくて、タレントさんになればお金持ちになれると思ったから。小さいころから、みんなが『お歌が上手ネ』っていってくれたから、じゃあ“スタ誕”に出て歌手になって、家族に車を買ってあげようと、そういうことしかなかったの。」
記事引用:週刊女性PRIME
中森さんが歌手になることで母親が一番喜んでおり、当時のことについて父親は次のように話しています。
「家内は、自分の夢が叶ったと随分喜んでいました。研音の野崎さんや花見さんも自宅によく来てくれて、料理上手だった家内は、故郷の鹿児島の料理やいろんなものを作ってもてなしていました。歌が好きだから、時にはテープレコーダーに自分で歌を吹き込んで、聴かせることもありました」
記事引用:文藝春秋
中森さんは「勉強なんかまったく好きじゃない」と話しており、漢字も苦手だったようで楽譜や台本にはすべての漢字にふりがながふられていました。
中森さんはデビューの翌年に発売したエッセイ「本気だよ」には、「私はバカだからバカな高校にしか行けなかったの」と記載しています。
どうやら勉強はかなり苦手だったようです。
高校2年生だった1982年に、セカンドシングル「少女A」で大ブレイクをしています。
意外にも当初「少女A」の主人公である不良少女は自分のことを調べあげて歌にしたものと思い込み、絶対に歌いたくないと泣きながら拒んだこともありました。
その後も「セカンドラブ」や「禁区」などのヒット曲を連発しており、高校は通学困難となったことから中退しています。
そのため中森さんは大学などにも進学していません。
とは言え以降の活躍も目覚ましく、レコード大賞を2年連続で受賞するなど、ヒット曲を量産して時代を代表する歌手へと上り詰めています。
卓越した歌唱力で、松田聖子さんと並んで1980年代を代表するアイドル歌手でした。
その後は女優としても活動を開始して、22歳だった1987年に連続ドラマ「ベストフレンド」で主演しています。
また1992年に安田成美さんとW主演した月9ドラマ「素顔のままで」は、31.9%もの高視聴率を記録しています。
中森さんはその後は歌手としての活動に専念しますが、2017年の公演以降は目立った活動はおこなっていません。
以上が中森明菜さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
若い頃の人気ぶりはすさまじく、まさに一時代を築いた人物です。
体調不良からの休養などを繰り返しており、このところは表舞台にはほとんど姿を見せていません。
未だに高い人気を誇るだけに、復活が期待されます。
経歴/プロフィールの詳細
1981年に16歳で出場した「スター誕生」で合格して芸能界入り。
1982年に「スローモーション」で歌手デビュー。
同年の2ndシングル「少女A」がヒット。
1983年にNHK紅白歌合戦に初出場。
1985年に「ミ・アモーレ」、翌年の「DESIRE」で2年連続のレコード大賞受賞で、押しも押されぬ人気歌手となる。
1987年の「ベスト・フレンズ」でドラマ初主演。
1992年に主演作の連続ドラマ「素顔のままで」が大ヒット。
以降も「古畑任三郎シリーズ」や「冷たい月」、「ボーダー」などの連続ドラマに出演。
2010年10月より体調不良のため、無期限の芸能活動休止。
2014年12月のNHK紅白歌合戦にスペシャルゲストとして登場して、芸能活動を再開した。
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