お笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は矢部さんが進学したのは国立大学で、当初は教員免許を取得するつもりでした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
矢部太郎(やべ たろう)
1977年6月30日生
身長158㎝、体重40㎏
血液型はAB型
東京都出身のお笑いタレント、俳優
お笑いコンビ「カラテカ」のボケ担当
本名同じ
以下では「カラテカ」矢部太郎さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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矢部太郎の学歴まとめ
出身大学:東京学芸大学 教育学部国際教育学科(除籍)
出身高校:都立保谷高校
出身中学校:東村山市立東村山第四中学校
出身小学校:東村山市立回田小学校
矢部太郎の学歴~出身小学校(東村山市立回田小学校)の詳細
出身小学校:東京都 東村山市立回田小学校
「カラテカ」矢部太郎さんの出身小学校は、地元東村山市内の公立校の回田(めぐりた)小学校です。
家族構成は両親と6歳年上の姉の4人家族です。
父親は絵本作家のやべみつのりさんです。
口下手で知られる矢部さんですが、小学校時代はおしゃべりだったとのこと。
また当時から読書が好きで様々な本を読んでいます。
絵本作家である父親の影響で子供の頃から絵やイラストを描くのが大好きでした。
また矢部さんは後に漫画家としてデビューをしていますが、小学校時代から漫画は大好きだったとのこと。
なお子供の頃から運動やスポーツは苦手でした。
矢部太郎の学歴~出身中学校(東村山市立東村山第四中学校)の詳細
出身中学校:東京都 東村山市立東村山第四中学校 偏差値なし
「カラテカ」矢部太郎さんの出身中学校は、地元東村山市内の公立校の東村山第四中学校です。
中学校・高校を通じて部活動はおこなっていませんでした。
また当時の矢部さんは人付き合いが非常に苦手で、学校では友達がほとんどできなかったとのこと。
そのため中学時代は図書室によく行っており、漫画や書籍をひとりで読んでいました。
【主な卒業生】
原田泰造(ネプチューン)
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矢部太郎の学歴~出身高校(都立保谷高校)の詳細
出身高校:東京都 保谷高校 偏差値52(普通)
矢部太郎さんの出身高校は、都立の共学校の保谷(ほうや)高校です。
この高校は1971年開校の中堅県立高校です。
また同校は部活動が盛んで、特にソフトボール部は強豪として知られています。
高校では後にコンビを組むことになる入江慎也さんと同級生で、1学年下にはハリセンボンの箕輪はるかさんが在籍していました。
矢部さんはスポーツは得意ではなかったようですが、高校時代に極真空手をはじめています。
ちなみに極真空手をはじめたのはイジメられないためでしたが、道場でイジメに遭っています。
なお後記のように高校時代に入江さんに誘われたことがきっかけで、お笑いコンビを結成しています。
ただし入江さんは当初は数人にお笑いコンビを結成するために声をかけており、すべて断られたことから矢部さんを誘ったとのこと。
ちなみに入江さんと仲良くなったきっかけはサッカー部だった入江さんがJリーグのチケットを入手する際に、矢部さんにチケットの購入をお願いしたことでした。
その際には入江さんは仲の良かったグループに矢部さんを誘っています。
「中学校くらいまで僕は友だちが少なく、高校でも周りに馴染めずにいました。そんなときクラスに社交性バツグンの入江(慎也)くんがいて、僕も仲間に加えてくれたんです」
記事引用:婦人公論jp.
当時は学校の文化祭のステージでネタを披露したり、テレビのお笑い番組のオーディションを受けるなどしていました。
なお受けたオーディションは「元気が出るテレビ」で、その際にはビートたけしさんに「面白い」と言われましたが、出演シーンはすべてカットされています。
またビートたけしさんに言葉をかけてもらったことで入江さんは本気でお笑い芸人を目指していますが、矢部さんは諦めています。
加えて入江さんとの高校時代からの絆は厚く、2019年に入江さんが反社会的勢力との交際で吉本興業との契約を解除された際にも矢部さんは次のように話していました。
「僕は本当に入江君とは高校時代からの付き合いで、友達で。この世界に誘ってくれたのも入江君なので。高校時代からの関係は、消えることはないと思っています」
記事引用:サンスポ
【主な卒業生】
谷村有美(シンガーソングライター)
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矢部太郎の学歴~出身大学(東京学芸大学)の詳細
出身大学:東京学芸大学 教育学部国際教育学科(除籍) 偏差値58(やや難関)
※現在は初等教育教員養成国際教育学科
矢部太郎さんは高校卒業後は、国立の東京学芸大学に進学しています。
この大学は主に教員を育成する国立大学で、矢部さんも当初は教員免許を取得しようとしたようです。
ただしインタビューなどでも「あまり真剣に考えていなかった」と述べており、この大学にはとりあえず進学したようです。
前記のように相方の入江慎也さんとは高校時代からお笑いコンビを組んで活動しましたが、矢部さんはプロになれるとは思わずに大学に進学しました。
とは言え大学進学後も入江さんとのコンビは継続しており、理由については「入江君は芸人になる夢を諦めなかったのでコンビでの活動は続けていました」と述べています。
そうしているうちにいつの間にか若手芸人が漫才劇場の常連になっていたことをインタビューで述べています。
「1回出ると来月も出る? と声を掛けてもらえて、気づいたら毎月ライブに出るようになっていました。でも最初は月1、2回しか出番がなく、ギャラもすごく安かった。それでも口座に振り込まれているのを見たら、芸人の仕事をしている気になってうれしかったですね」
記事引用:マイナビ転職
ただし芸人としてのギャラだけでは生活できなかったことから、高校時代から続けていた釣り堀でのアルバイトも続けていました。
なお大学時代の矢部さんは古本屋で絶版した漫画を買い集めるのが趣味でした。
加えて矢部さんは大学では留年を繰り返し、8年間在籍した後に最終的に大学は除籍になってしまったことをインタビューで話しています。
「8年間一応大学へお金は払い続けていたのですが、ちょうどその頃「電波少年」という番組で海外に連れて行かれて帰ってこられず。そのうち単位が取れなくなってしまったのです」
記事引用:kodomononaraigoto.net
そのため教員免許なども取得していないようです。
なお大学を除籍する際には親は残念がっていたそうですが、何も言われなかったとのこと。
加えて矢部さんは大学時代に入江さんが通っていた専門学校の東京アナウンス学院に出入りしていますが、正規の生徒ではなく2年間月謝を払わずに授業に出ていました。
以降は本格的に芸人を目指していますが、専門学校時代には養成所対抗のお笑いライブがあって、東京アナウンス学院の大将格として出演しています。
その際には人力舎の養成所のスクールJCAの大将格として「ドランクドラゴン」が出場しており、ダントツでウケていたとのこと。
そして矢部さんが専門学校2年生の時に、「カラテカ」は吉本興業のオーディションに合格してデビューしています。
以降はブレイクこそないものの、コンスタントにテレビ番組に起用される中堅お笑いコンビとなっています。
なお矢部さんは29歳だった2007年3月に難関で知られる気象予報士の資格を取得しており、以降はたびたびお天気キャスターとして情報番組などにも出演しています。
これにより仕事の幅が広がったとインタビューで述べています。
さらに2016年からは週刊新潮に漫画「大家さんと僕」の連載を開始しています。
この作品は「手塚治虫文化賞」を受賞したばかりか、2020年にはアニメ化もされています。
今後もマルチな活動を展開していきそうですね。
以上が「カラテカ」矢部太郎さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
コンビでの活動のほか24歳の時に「進ぬ!電波少年」への出演を契機に、単独での活動が多くなっています。
また俳優や気象予報士としての顔も持ち、多方面でマルチな活動を展開しています。
また38歳で漫画家としてデビューを飾ると、2016年から「週刊新潮」に連載している「大家さんと僕」が話題となってベストセラーにもなっています。
このところは漫画家としても注目されており、今後の活動も楽しみです。
カラテカ入江慎也の学歴|出身高校大学や中学校の偏差値と学生時代
経歴/プロフィールの詳細
1997年に入江慎也とともにお笑いコンビ「カラテカ」を結成し、同期にはライセンスやバッドボーイズらがいる。
2000年の映画「GO-CON!」で俳優デビュー。
2001年から単独で「進ぬ!電波少年」に出演して注目を集める。
2002年から情報番組「はなまるマーケット」にレギュラー出演。
2004年のテレビドラマ「新選組!」に出演して、以降も「刑事侍」や「地獄先生ぬ~べ~」などのドラマにも出演。
2007年に気象予報士の資格を取得。
2017年に漫画「大家さんと僕」を刊行し、手塚治虫文化賞短編賞を受賞している。
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