演歌歌手の真田ナオキさんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は真田さんは不良で、暴走族の総長を務めるほどでした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
真田ナオキ(さなだ なおき)
1989年12月22日生
身長175㎝
血液型はO型
埼玉県さいたま市出身の演歌歌手
本名は松谷大介(まつたに だいすけ)
以下では真田ナオキさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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真田ナオキの学歴まとめ
出身高校:進学せず
出身中学校:さいたま市立大谷場中学校
出身小学校:不明
真田ナオキの学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
真田ナオキさんの出身小学校は、地元さいたま市内の公立校のようですが校名などは不明です。
ただし出身中学校の校区からすれば、以下の3校のいずれかの可能性が高いでしょう。
さいたま市立大谷場小学校
さいたま市立大谷場東小学校
さいたま市立谷田小学校
家族構成は両親と姉の4人家族です。
父親は演歌歌手の桂竜士さんです。
後に両親は離婚をしており、母子家庭で育っています。
子供の頃や小学校時代のエピソード
真田さんは母親から「男は何でもペラペラしゃべるんじゃない」と教えられて育ったことから、心の中を表に出さないタイプとのことです。
また幼稚園の頃に父親に1度だけガソリンタンクの上に座らせてもらい、バイクに乗ったことがあり気持ちよくて仮面ライダーになったみたいだったと当時の思い出を振り返っています。
小学1年生の時に家族の知り合いが少年野球団の監督を務めていたことから、誘われて野球をはじめています。
とは言え小学4年生の頃までは、野球の練習に行っても真剣にはせずに砂遊びばかりやっていました。
小学校時代は野球の日本選抜メンバーだった
小学5年生の時にエースだった同級生と仲良くなったことで、真面目に野球をするようになり、俊足好打の1番センターとして、日本代表選手に選出されています。
このことについてはインタビューで次のように話していました。
「うちの地元はリーグ制で、そんなに多くなくて。全部で8チームくらいなんです。5年生の時に、そのなかで年間最優秀選手賞をいただきました。そこからいろいろな選抜に選ばれるようになって。日本選抜にも選んでいただいて、親善試合とかに出てました。」
記事引用:ORICON
しかし小学6年生の時に靱帯を傷めてしまう怪我をしています。
とは言えデビュー後は野球の腕前を買われて、プロ野球の始球式に起用されたこともありました。
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真田ナオキの学歴~出身中学校(さいたま市立大谷場中学校)の詳細
出身中学校:埼玉県 さいたま市立大谷場中学校 偏差値なし
真田ナオキさんの出身中学校は、地元さいたま市内の公立校・さいたま市立大谷場中学校です。
中学時代は野球部に在籍していました。
中学校時代はグレていた
前記のように真田さんは小学生の頃に野球をはじめていますが大きな怪我をしており、中学校に入学後は遠投も思うようにできない状態でだましだまし野球を続けていました。
真田さんのこれまでの将来の夢はプロ野球選手になることだったため、夢を絶たれて自暴自棄になりその影響で学校にほとんど行かなくなりました。
また当時はかなり荒れており、インタビューでは次のように話していました。
「我が家は代々、血の気の多い家系で、おじいちゃんも叔父さんも地元の番長だったんです。でも弱い者いじめはするな、地域や仲間は大切にしろ、といい昔気質のアウトローです。」
記事引用:NEWSポストセブン
そのため子供の頃から筋の通らないことをすると金づちで叩かれていたといいます。
中学時代の髪型はリーゼントで、暇さえあれば喧嘩に明け暮れるような日々を送っていました。
真田さんは暴走族の総長も務めており、このことについては次のように振り返っていました。
「もともと、僕らの親世代がやっていた『スペクター』という暴走族のチームがあって、上の代で途絶えていたのですが、同級生とせっかくだからもう一度立ち上げようと。総勢20人くらいで単車を走らせたり、トーナメント方式で喧嘩をしたこともありました」
記事引用:NEWSポストセブン
【主な卒業生】
反町隆史(俳優)
前田希美(ファッションモデル)
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真田ナオキの学歴~出身高校・大学の詳細
出身高校:進学せず
真田ナオキさんは中学校卒業後は高校に進学していません。
当時は不良で学校にもあまり行ってなかったことから、高校にも進学しませんでした。
中学校卒業後は約2年弱ほど広島県で一人暮らしをしながら建築現場で働いたり、バーテンダーをしていました。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「ひとりになった方が、男としても大きくなれるかなっていうのもあって…。でも、ホントは、遊びのつもりで旅行で広島に行ったんですけど、遊びすぎて使えるお金がなくなってしまって、それで住み込みで働かせてくださいって、置き場みたいなところを探して頼んでまわったんです」
真田さんはもともと一人旅が好きで、小学校、中学校時代から自転車で新潟県まで行ったこともあり、この時もぶらり旅のような感じで広島まで行ったとのことです。
母方の実家が水道屋をしており、加えて叔父が新しい水道の会社を作るということで一緒に働いています。
また当時は暴走族の総長も務めていましたが、18歳くらいの時に甥っ子ができたことで、キラキラとした無垢な瞳を見たときに「ちゃんとした叔父になりたい」と心の底から思い暴走族から足を洗いました。
ちなみに真田さんが総長を務めた暴走族では警察に厄介になるようなことはご法度で、盗みや薬物、女性に手を出すことは禁止していたことから、逮捕歴などはありませんでした。
真田さんは広島から戻って水道屋で働いているときに、中学時代の後輩だった前妻と出会い結婚を考えたときに「今のままではいけない」と思ってIT系のベンチャー企業で営業職に就いています。
22歳で演歌歌手を目指す
そして22歳だった2011年の東日本大震災の際に、女児が民謡を歌って被災者たちを励ましている姿に感動して歌手を目指しています。
以降は会社を退職して、実家が経営していたカラオケ店に勤務しながら1日6時間も歌の練習をしています。
すると知人が歌手の吉幾三さんの知り合いだったことから、吉さんと食事をした際に歌を聞いてもらいその場で弟子入りしています。
2016年4月にファーストシングル「れい子」でデビューしています。
2020年には4枚目シングル「恵比寿」がヒットして、日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞しています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が真田ナオキさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
デビュー後は順調にキャリアを重ねており、人気演歌歌手になっています。
甘い顔に似つかないハスキーボイスで人気を集めています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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