歌手の山本譲二さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は山本さんは学生時代は野球に打ち込んでおり、甲子園にも出場したほどでした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
山本譲二(やまもと じょうじ)
1950年2月1日生
身長174㎝
血液型はA型
山口県下関市出身の演歌歌手、俳優
本名同じ、旧芸名は「伊達春樹」
以下では山本譲二さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
山本譲二の学歴~出身高校(早鞆高校)大学の詳細・甲子園に出場していた
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出身高校:山口県 早鞆高校 偏差値39~60(現在)
山本譲二さんの出身高校は、私立の共学校の早鞆(はやとも)高校です。
この高校は1912年開校の私立高校で、普通科のほか自動車工学科や衛生看護科などの専門学科を設置しています。
また現在は特進コースなどを設けて偏差値も上昇していますが(偏差値は39~60)、山本さんが在籍した当時は現在ほどのレベルではありませんでした。
山本さんは高校時代は硬式野球部に在籍をして、部活動に打ち込んでいました。
野球部での練習は非常に厳しく300人以上いた新入部員が1年経った頃には、20人以下になっていました。
当時は体罰をされるのが当たり前という状況の中でも、叩かれても両親に告げると男らしくないと思い内緒にしていたとのことです。
山本さんは高校2年生の時に一目惚れをした女子にラブレターを渡して交際に発展しています。
そしてデートをするためにわざと金づちで膝を叩いて痛めており、診断書を書いてもらい練習を休みました。
また高校1、2年生の時には練習が終わると毎日のように、先輩に言われて部室で歌を歌わされていました。
高校3年生の時には夏の甲子園に出場をしており、代打で内野安打を放ちました。
ちなみに野球部では控えの投手でした。
【主な卒業生】
剛州(俳優)
原沢久喜(柔道・オリンピック銀メダリスト)
なお山本さんは高校卒業後は、大学などに進学せずに就職しています。
地元の企業に就職をしていますが、数ヶ月ほどで会社員を辞めて歌手を志しています。
父親には反対をされましたが、「夢を追わせてくれ」と言い返して、その勢いでそのまま夜汽車に乗って上京をしました。
24歳だった1974年に「伊達春樹」の芸名で歌手デビューしていますが、当初は鳴かず飛ばずでした。
北島三郎さんの付け人を経て、30歳だった1980年にリリースした「みちのくひとり旅」がロングセラーとなって、人気演歌歌手の仲間入りを果たしています。
またタレントとしても数々のテレビ番組に出演しています。
今後の活動にも注目ですね。
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山本譲二の学歴~出身中学校(下関市立日新中学校)の詳細
出身中学校:山口県 下関市立日新中学校 偏差値なし
山本譲二さんの出身中学校は、地元山口県下関市内の公立校の日新中学校です。
この中学校に在学中は、1学年上に相撲協会の理事長を務めた元放駒親方(元大関・魁傑)も在籍していました。
山本さんは中学時代は父親に命令をされる形で野球部に入部をしています。
父親からは「途中で辞めたら承知せんぞ」と言われていたため、嫌々続けていましたが3年間やっているとだんだん好きになってきたことを明かしています。
【主な卒業生】
林芳正(政治家)
原沢久喜(柔道・オリンピック銀メダリスト)
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山本譲二の学歴~出身小学校(下関市立養治小学校)の詳細
出身小学校:山口県 下関市立養治小学校
山本譲二さんの出身小学校は、地元下関市内の公立校の養治(ようじ)小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族のようです。
父親はトラック運転手やタクシー運転手の仕事をしていました。
父親からは非常に厳しく育てられていますが、母親は綺麗で優しい人でした。
意外にも山本さんは子供の頃はひ弱で泣き虫なタイプで、男子と外で遊ぶよりも女子とままごとをする方が好きでした。
父親からはキャッチボールをやらされていましたが、当初は野球が好きにはなれなかったようです。
また山本さんは子供の頃から歌を歌うことが好きで、親戚の集まりで歌ってはおひねりを貰っていました。
お祭りののど自慢で優勝した経験もあります。
以上が山本譲二さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初は歌手としては鳴かず飛ばずでしたが、北島三郎さんに弟子入りして運命が変わりました。
若い頃はイケメンとして知られており、タレントや俳優としても活動していました。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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