三山ひろしの学歴と経歴|出身は山田高校!大学や中学校の偏差値|実家が貧乏だった!

 

演歌歌手の三山ひろしさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。けん玉でもお馴染みの三山さんですが、実家が貧乏であまり恵まれない学生生活を送っていました。学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします

 

三山ひろし(みやま ひろし)

 

 

1980917日生 

身長170㎝

血液型はAB型

 

高知県南国市出身の演歌歌手

本名は恒石正彰(つねいし まさあき)

 

以下では三山ひろしさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

三山ひろしの学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:高知県立山田高校

出身中学校:南国市立鳶ヶ池中学校

出身小学校:南国市立長岡小学校

 

三山ひろしの学歴~出身小学校(南国市立長岡小学校)の詳細

 

出身小学校:高知県 南国市立長岡小学校

 

 

 

三山ひろしの出身小学校は、地元南国市内の公立校・南国市立長岡小学校です。

 

家族構成は母親と弟の3人家族です。

 

 

小学生の時に両親が離婚して母子家庭で育ったため、経済的にはあまり恵まれていない家庭で育ちました。

 

また両親の離婚後には祖父母と一緒に暮らしています。

 

三山さんは3歳くらいの物心がついたときにはすでに演歌を歌っており、将来は歌手になりたいと思っていました。

 

歌手になりたいと思うようになったきっかけは祖母だったといいます。

 

祖母がかなりのカラオケ好きで演歌を練習している姿を見て、三山さんもマイクを持って歌うことが楽しいと思いました。

 

三山さんは子供の頃には美幌健さんの「おいらの船は300トン」などを聴いていたといいます。

 

また三山さんは子供の頃にはカメラを向けられるとよく変顔をするようなタイプだったようです。

 

ちなみに特技であるけん玉はデビュー後の2013年からはじめており、子供の頃や学生時代はおこなっていませんでした。

 

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三山ひろしの学歴~出身中学校(南国市立鳶ケ池中学校)の詳細

 

出身中学校:高知県 南国市立鳶ケ池中学校 偏差値なし

 

 

 

三山ひろしさんの出身中学校は、地元高知県南国市内の公立校・南国市立鳶ケ池(とびがいけ)中学校です。

 

中学1年生の時に家計を助けるために新聞配達をおこなっていました。

 

当時の三山さんの心の支えになっていたのは祖母が好きな演歌だったといいます。

 

また中学時代にはよくカラオケ大会やお祭りで歌を披露していました。

 

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三山ひろしの学歴~出身高校(高知県立山田高校)・大学の詳細

 

出身高校:高知県 山田高校 偏差値38(かなり容易)

 

 

 

三山ひろしさんの出身高校は、県立の共学校の山田高校です。

 

この高校は1941年開校の県立校で、駅伝が強いことで知られています。

 

また三山さんが在籍した当時は普通科のほか商業科も設置していましたが、どちらの学科に在籍したかは不明です(偏差値はいずれも38)。

 

高校1年生の時には弓道部に在籍をしていましたが、高校2年生の時にはほかにも2つの部活に在籍をしていたようです。

 

 

前記のように幼少期から演歌ばかりを聴いていましたが、中学・高校時代もそういう曲を聴いていたと言います。

 

しかし意外にもはじめて購入したCDは安室奈美恵さんでした。

 

その頃には「COUNT DOWN TV」を見始めたため、その影響もあったようようです。

 

三山さんは幼少期から歌手を志しており、この頃も歌手になるという気持ちは変わっていなかったようです。

 

そして高校2年生の時には地元で開催された「NHK のど自慢」に出場をしており、吉幾三さんの「雪国」を披露しました。

 

三山さんの祖母は歌手になるのであれば紅白歌合戦の舞台に立てるような歌手になりなさいと何度も言っていました。

 

そのため「NHK のど自慢」で祖母にNHKホールで実際に生の歌声を届けることができて、「ここまできたよ」と見せることができ、良かったと思ったことを明かしています。

 

また三山さんはインタビューで学生時代はヤンキーに憧れていたことを明かしています。

 

【主な卒業生】

はらたいら(漫画家)

 

大学には進学していない

 

なお三山さんは高校卒業後は大学には進学しておらず、地元のガソリンスタンドに就職をしています。

 

この頃は歌うことを辞めて社会人となり、普通に毎日仕事をして過ごす日々でした。

 

しかし祖母は三山さんを歌手にさせたかったため「もったいない」とひたすら訴え続けてきました。

 

このことについてインタビューでは次のように話しています。

 

「『絶対、歌手になったら大物になれるから、しっかり今から勉強して、歌わないとか言わず頑張りなさい』という風に言われていたんですよ」

 

そして三山さんは祖母の勧めで詩吟教室に通い始めていますが、そこで多くの賞を受賞したことで詩吟の師匠になることを勧められたといいます。

 

しかし祖母が「詩吟よりも演歌!」と後押しをしてくれたとのことです。

 

その後は演歌歌手になるために歌のレッスンを始めており、23歳のときに出場をしたNHKのど自慢ではチャンピオンに輝きました。

 

さらに2004年3月にはのど自慢のグランドチャンピオン大会にも出場しています。

 

そしてこれらの手ごたえを感じ、三山さんは25歳のときに歌手を志し上京をしました。

 

上京後はレストランでウエーターをやりながら、作曲家の中村典正さんの元で3年間修業しています。

 

三山さんは29歳だった2009年に、ファーストシングル「人恋酒場」でデビューしています。

 

 

すると楽曲がいきなりスマッシュヒットとなって、いきなり注目を集めています。

 

2012年には「男のうそ」がヒットして、人気演歌歌手の仲間入りを果たしています。

 

 

2015年にはNHK紅白歌合戦にも初出場しています。

 

 

また三山さんはけん玉が得意で、たびたびメディアにも取り上げられています。

 

 

 

今後の活動にも注目ですね。

 

以上が三山ひろしさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

30歳で演歌歌手としてデビューしましたが、デビュー後は順調で「第二の北島三郎」とも呼ばれています。

 

 

また特技であるけん玉でも注目を集めています。

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

経歴/プロフィールの詳細

 

2005年から歌手を目指して、作曲家の中村典正の下で3年間修業。 

20077月に日本クラウン主宰の新人オーディションで準グランプリを獲得。 

2009年に1STシングル「人恋酒場」でデビュー。 

2012年の5THシングル「男のうそ」がオリコン演歌チャートで1位となる。 

2015年にNHK紅白歌合戦初出場。 

20162月の8THシングル「四万十川」が、自己最高位のオリコン11位を記録。

けん玉四段の腕前で、ステージでも披露することがある。 

私生活では師匠の中村典正の次女と2012年に結婚し、2人の子供がいる。

 

 

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