「サザンオールスターズ」の桑田佳祐さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。国内でも有数の人気アーティストの桑田さんですが、どのような学生生活を送ってきたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
桑田佳祐(くわた けいすけ)
1956年2月26日生
身長170㎝
血液型はO型
神奈川県出身のミュージシャン
サザンオールスターズのリーダー
本名同じ
以下では桑田佳祐さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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桑田佳祐の学歴まとめ
出身大学:青山学院大学 経営学部(除籍)
出身高校:鎌倉学園高校
出身中学校:茅ヶ崎市立茅ヶ崎第一中学校
出身小学校:茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校
桑田佳祐の学歴~出身小学校(茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校)の詳細
出身小学校:神奈川県 茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校
桑田佳祐さんの出身小学校は公立の茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校です。
家族構成は両親と姉の4人家族でした。
姉のえり子さんは父親の前妻の子供だったため、桑田さんとは腹違いのきょうだいでした。
実家は茅ヶ崎市で映画館やバーなどを運営していたこともあり、比較的裕福な家庭で育っています。
意外にも幼い頃は大人しい子供でした。
姉がビートルズのファンだったことで桑田さんも影響を受けており、ほかにもエリック・クラプトンのファンでもあったそうです。
桑田さんは小学校時代から野球をはじめています。
桑田佳祐の学歴~出身中学校(茅ヶ崎市立茅ヶ崎第一中学校)の詳細
出身中学校:神奈川県 茅ヶ崎市立茅ヶ崎第一中学校 偏差値なし
桑田佳祐さんの出身中学校は、地元茅ヶ崎市内の公立校の茅ヶ崎第一中学校です。
中学時代は野球部に在籍して部活動に励んでいます。
野球部でのポジションはピッチャーでした。
桑田さんは中学時代からボーリングに熱中するなど、スポーツは得意だったようです。
また中学3年生の時にはじめてギターを購入して、この頃から「Beatles」のコピーをはじめています。
【主な卒業生】
加山雄三(俳優)
尾崎紀世彦(歌手)
杉本哲太(俳優)
松野詩野(サーファー)
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桑田佳祐の学歴~出身高校(鎌倉学園高校)の詳細
出身高校:神奈川県 鎌倉学園高校 偏差値55程度(当時)
桑田佳祐さんの出身高校は、私立の男子校の鎌倉学園高校です。
この高校は1921年開校の仏教系の私立高校です。
また現在の同校は偏差値は65程度の進学校で東大などの最難関大学に進学する生徒もいますが、桑田さんが入学した頃は商業科も併設してあった中堅校でした。
桑田さんは高校時代は部活動などはおこなっておらず帰宅部でした。
また高校時代にギターをはじめて「Beatles(ビートルズ)」のコピーバンドを結成していました。
そして高校3年生の時に音楽評論家である宮治淳一さんからの誘いで、鎌倉高校の学園祭で初めてステージで楽曲を披露しました。
当時の桑田さんは前川清さんの大ファンで洋楽ではボブ・ディランさんの影響を受けたことから、声質を近づけるためにウォッカでうがいをしたりしていたそうです。
また高校時代はボーリングに励んでおり、アマチュアの大会でスコア297を記録するほどの腕前でした。
当時はミュージシャンよりもプロボウラーを目指していました。
ボーリング場でのアルバイト経験もあり、お客さんがいないときに練習もしていたようです。
ただし高校時代に限界を感じて、プロボウラーになることは諦めています。
桑田さんの2ndsシングル「悲しきプロボウラー」のフレーズである「趣味と仕事は一緒にするな」はプロボウラーの夢を挫折して音楽の道に進もうとしている桑田さんに父親が言ったそうです。
ちなみに父親は桑田さんにバーテンダーの勉強をすることや自衛隊に入隊することを勧めていたそうです。
なお高校時代の学校の成績は芳しくありませんでしたが、洋楽が好きだったこともあり英語の成績だけはよかったそうです。
【主な卒業生】
堺正章(タレント)
安井謙太郎(7ORDER)
タロー社長(フォーエイト)
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桑田佳祐の学歴~出身大学(青山学院大学)の詳細
出身大学:青山学院大学 経営学部(除籍) 偏差値57(当時・中の上)
桑田佳祐さんは高校卒業後は、青山学院大学に進学しています。
青山学院大学のほかにも明治学院大学にも合格していましたが、同大への入学を選択しています。
在籍した経営学部の現在の偏差値は60程度ですが、当時はややそれを下回る偏差値でした。
桑田さんは大学では軽音楽部に在籍しています。
また音楽サークルの「AFT(青山フォークソング旅立ち)」にも所属しています。
「AFT」は部室もなく、大学からも同好会として認められていないサークルでした。
このサークルで後に「サザンオールスターズ」を結成することになる関口和之さんと出会っています。
また原由子さんと大森隆志さんはこのサークルの1年後輩です。
当時は学食がAFTのメンバーのたまり場で、午後の授業が終わると空いている教室を探してバンドの練習をしていました。
大学時代は趣味であるボーリング場でアルバイトをしていました。
ただし当時の桑田さんはいつもお金がなかったそうです。
お金が入るとすぐに友達におごってしまったからです。
そして桑田さんが大学2年生の時にAFTが分裂して、サークル「湘南ロックンロールセンター」を作っています。
桑田さんは「青学ドミノス」などバンド名を次々と変えており、最終的には「サザンオールスターズ」で落ち着いたようです。
そして22歳だった1978年に関口和之さんや原由子さんとともにサザンオールスターズとして、ファーストシングル「勝手にシンドバッド」でメジャーデビューを果たしました。
すると楽曲はオリコン3位のヒットになっています。
また3枚目シングル「いとしのエリー」も大ヒットになっています。
バンドがいきなりヒット曲を連発したことから桑田さんは大学には通学困難となり、1年留年した後に5年目の1978に学費滞納によって除籍となっています。
ちなみに「サザンオールスターズ」のメンバーは野沢秀行さん以外は青山学院大学出身ですが、大学を卒業したのは原さんと関口さんだけです。
バンドは一時やや低迷した時期もありましたが、1982年にリリースした14枚目シングル「チャコの海岸物語」で復活して、以降は数々のヒット曲をリリースしています。
また桑田さんはこの年には「サザンオールスターズ」のメンバーの原由子さんと結婚しています。
その後の活躍は周知のとおりで、今や日本を代表するミュージシャンになっています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が「サザンオールスターズ」桑田佳祐さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
リーダーを務める「サザンオールスターズ」は1977年デビューにも関わらず、40年以上も国内の音楽シーンの第一線に位置しています。
また桑田さんは有数のメロディーメーカーとしても知られ、数々のアーティストに楽曲を提供しています。
あらゆる世代から絶大な人気を誇っていますので、今後の活躍も期待したいところです。
経歴/プロフィールの詳細
1977年に「サザンオールスターズ」がメジャーデビューし、1STシングルの「勝手にシンドバッド」がヒット。
その後も「いとしのエリー」や「チャコの海岸物語」などがヒットして、国民的な人気バンドとなる。
1986年には1年間限定でKUWATA BANDを結成し、「BAN BAN BAN」などがヒット。
1987年にソロとしての1STシングル「悲しい気持ち」をリリース。
1990年に映画「稲村ジェーン」を監督。
グループや自身のほかにも、研ナオコや中村雅俊、高田みづえらに楽曲を提供している。
私生活では1982年にサザンオールスターズのメンバーの原由子と結婚し、ふたりの男児がいる。
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