スポーツ科学者の室伏広治さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。スポーツ庁の長官も務める室伏さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
室伏広治(むろふし こうじ)
1974年10月8日生
身長187㎝
血液型はA型
愛知県豊田市出身のスポーツ科学者、元ハンマー投げ選手
スポーツ庁長官
本名同じ
以下では室伏広治さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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室伏広治の学歴まとめ
出身大学院:中京大学大学院 修士課程・博士課程
出身大学:中京大学 体育学部
出身高校:成田高校
出身中学校:豊田市立保見中学校
出身小学校:豊田市立東保見小学校
室伏広治の学歴~出身小学校(豊田市立東保見小学校)の詳細
出身小学校: 愛知県 豊田市立東保見小学校
室伏広治さんの出身小学校は、地元豊田市内の公立校・豊田市立東保見小学校です。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
父親はハンマー投げの選手だった室伏重信さんで、母親はオリンピックやり投ルーマニア代表のセラフィナ・モーリツさんです。
妹の室伏由佳さんは女子ハンマー投げの日本記録保持者です。
父親が日本人で母親がハンガリー系ルーマニア人のハーフとして育ちました。
室伏さんは子供の頃から運動神経が抜群で、生後5ヶ月のときにすでに腹筋運動のように上体を起こしていました。
小学1年生の時には立ち幅跳びで1m90cmの記録を出していました。
当時から瞬発力を要する運動は得意でしたが、持久力が求められるマラソンなどの運動は苦手だったとのことです。
子供の頃はヤンチャな性格で、当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「小学生の頃は,何か事件が起これば必ず自分が疑れるくらいのいたずらっ子で,先生にも何度も怒られました(笑)。」
小学校時代には、得意教科は体育でしたが国語の授業も好きだったと振り返っています。
また室伏さんは小学生の頃には野球チームに所属をしていましたが、すぐに辞めています。
加えて水泳教室にも通っており、水泳は続けていたとのことです。
室伏さんは父親に憧れてハンマー投げをはじめており、このことについてはインタビューで次のように話しています。
「私がなぜハンマー投の競技を行ったのかというと父の影響です。父は日本選手権で12回優勝しています。私が子供の頃、父がロサンゼルスオリンピックの開会式で日本選手団の旗手を務める姿を見て、かっこいいな、いつか私もオリンピックに出場したいな、と思いました。」
室伏広治の学歴~出身中学校(豊田市立保見中学校)の詳細
出身中学校:愛知県 豊田市立保見中学校 偏差値なし
室伏広治さんの出身中学校は、地元愛知県豊田市内の公立校・豊田市立保見中学校です。
中学時代は複数の部活動を掛け持ちしていましたが、最終的に陸上部に入部をしており、砲丸投と走り幅跳び、400m走に取り組んでいました。
ただし中学時代は成長痛のため練習がほとんどできず、目立った成績は残していません。
中学生の頃には自分にはハンマー投げが向いていると感じており、このことについてはインタビューで次のように話しています。
「私は特に中学生までにスポーツでずば抜けてすごい成績を残しているわけではありません。ただ,いろいろな競技をやって,ハンマー投げが自分に向いているという結論に行き着きました。」
また父親の室伏重信さんは「アジアの鉄人」と呼ばれたハンマー投げのレジェンドでしたが、室伏さんが矯正されると嫌がることを分かった上で、ハンマー投げをやるように言われたことはありませんでした。
室伏さんの得意なものを探すことには協力をしてくれて、それがハンマー投げだと分かった際には熱心に指導をしてくれたといいます。
意外にも当時の室伏さんは家庭科の授業が好きで、調理実習では火を使って調理をすることに楽しさを見出しています。
また布に図案を描き刺繍枠を使用して裁縫に取り組むことも好きでした。
なお両親は室伏さんが中学2年生だった1988年に離婚をしており、以降は妹とともに父子家庭に育っています。
【主な卒業生】
粕谷知世(小説家)
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室伏広治の学歴~出身高校(成田高校)の詳細
出身高校:千葉県 成田高校 偏差値66~67(現在・難関)
室伏広治さんの出身高校は、私立の共学校の成田高校です。
この高校は1898年開校の仏教系の私立高校で、部活動が盛んなことで知られています。
現在の同校は以下の2つのコースを設置していますが、室伏さんが在籍した当時は現在ほどのレベルではなかったはずです。
特進α:偏差値67
進学:偏差値66
また当時のこの高校は幅広くスポーツ推薦制度を利用して部活動を強化していたので、室伏さんもスポーツ推薦での入学の可能性があります。
高校時代も陸上部に在籍して競技に打ち込んでいました。
ちなみに当時のこの高校の陸上部は全国的な強豪でした。
そのため室伏さんは愛知県豊田市から千葉県成田市にあるこの高校に越境入学しています。
高校入学当初はやり投げや走り幅跳び、三段跳び、ハードルなど様々な競技をおこなっていましたが、高校1年生の夏ごろから本格的にハンマー投げを専門種目としています。
室伏さんが高校1年生の時に、世界でも5、6番目に入るようなハンガリーのハンマー投げの選手がたまたまこの高校の練習を見学していました。
この選手とハンマー投げの練習後に立幅跳を一緒におこなったところ、室伏さんの方が遠くに飛ぶことができました。
その際にハンガリー選手のコーチから「この子は間違いなく強くなる」と言われおり、室伏さんは自身の身体能力が高いことに気づいたといいます。
室伏さんは高校2、3年生の頃には将来はハンマー投げの選手としてやっていくと計画していましたが、このことがきっかけに1年生の時にハンマー投げに専念しています。
また高校に入学をするまでは、ヤンチャな性格でしたがハンマー投げをはじめて以降は大人しくなっており、これまではエネルギーが余っていたためエネルギーを向ける場所が必要だったと語っていました。
室伏さんはハンマー投げで日本高校新記録を樹立しており、高校総体では2連覇を果たしました。
【主な卒業生】
増田明美(マラソン元日本代表)
滝田栄(俳優)
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室伏広治の学歴~出身大学(中京大学)の詳細
出身大学:中京大学 体育学部 偏差値50(普通)
※現在はスポーツ科学部
室伏広治さんは高校卒業後は、中京大学に進学しています。
在籍したのは体育学部です。
大学では体育会・陸上部に所属して競技に打ち込んでいました。
室伏さんはもともとバイオメカニクスに興味があり、大学時代に先生から手ほどきを受けて研究をはじめていました。
大学時代には、父親や溝口和洋さんのコーチングを受け、日本学生新記録や日本ジュニア新記録を出しています。
ただし室伏さんは大学在学中に壁に当たってしまい、一時はハンマー投げを続けるかどうか悩んだ時期もありました。
しかし無事に乗り越えて、日本学生陸上競技対校選手権大会(日本インカレ)を4連覇しています。
そして大学3年生だった1995年には、日本選手権で初優勝を果たしました。
なお室伏さんは大学卒業後はミズノに入社をしています。
その一方で中京大学大学院の修士課程に進学しています。
30歳だった2004年に出場したアテネオリンピックで、金メダルを獲得しています。
その際は当初は銀メダルでしたが、1位の選手がドーピング違反で失格して繰り上がりで金メダルを獲得しました。
室伏さんはその後も競技を続行して、ロンドンオリンピックでも銅メダルを獲得しています。
また日本選手権20連覇など、前人未到の記録も打ち立てています。
学業では34歳だった2007年に中京大学大学院の博士課程を修了して、体育学の博士号を取得しています。
42歳だった2016年に現役を退いています。
2020年にはスポーツ庁の長官に起用されています。
今後の活動にも注目ですね。
以上が室伏広治さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
現役時代はオリンピックで、アジア人史上初となる投てき種目での金メダルを獲得する快挙を成し遂げています。
現役引退後はスポーツ科学者として活動しており、スポーツ庁の長官も務めています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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