井上尚弥の学歴|出身は新磯高校!大学や中学校の偏差値と高校時代からすごかった!

 

プロボクサーの井上尚弥さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は井上さんは高校時代に同じジムの先輩の八重樫東さんとスパーリングをしたことがきっかけで覚醒しています。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

 井上尚弥(いのうえ なおや)

 

 

1993410日生

身長164

血液型はA型

 

神奈川県出身のプロボクサー

本名同じ

 

以下では井上尚弥さんの出身中学校や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します

 

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目次

井上尚弥の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:神奈川県立新磯高校

出身中学校:座間市立栗原中学校

出身小学校:座間市立栗原小学校

 

井上尚弥の学歴~出身小学校(座間市立栗原小学校)の詳細

 

出身小学校:神奈川県 座間市立栗原小学校

 

 

 

井上尚弥さんの出身小学校は、地元座間市内の公立校の栗原小学校です。

 

家族構成は両親と姉、弟の5人家族です。

 

 

弟の井上拓真さんもプロボクサーです。

 

父親は塗装業をやっていました。

 

子どもの頃や小学校時代のエピソード

 

父親の真吾さんはボクシングジムを経営していましたが、井上さんにボクシングを強制したわけではなく、小学校1年生の時に自ら志願してボクシングをはじめています。

 

真吾さんの教えは決してスパルタではありませんが、井上さんは当時を振り返って次のように述べています。

 

「『練習は仕事と思ってやれ』とずっと言われていたんですよ。小さい頃からです。当時は仕事が分からないからピンとこなかったですけど、それはずっと言われてきましたね。やるときはやれということですね。それが今は練習が仕事になっているので」

記事引用:the-ans.jp

 

 

なお井上さんは小学校4年生の時に一度だけボクシングをやめたいと思ったそうです。

 

「4年生の頃、練習が辛くもう少し遊びたい という気持ちもあって一週間何もしなかったことがあります。そうしたら、父は何 も言わずに毎日走りに行くんですよ。自分たちに見えるように(笑)その姿を見て 練習を再開しました。辞めようと思ったのはその時だけです」

 

小学校6年生の時にはじめて出場したスパーリング大会で、中学2年生を相手に圧倒しています。

 

ただし小学校時代は世界チャンピオンになりたいとは思ってはいませんでした。

 

「小学生のときはインターハイチャンピオンになりたいと思ってましたけど、世界チャンピオンは雲の上の存在みたいな感じだったので」

記事引用:the-ans.jp

 

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井上尚弥の学歴~出身中学校(座間市立栗原中学校)の詳細

 

出身中学校:神奈川県 座間市立栗原中学校 偏差値なし

 

 

 

井上尚弥さんの出身中学校は、地元座間市内の公立校の栗原中学校です。

 

中学時代もボクシング一筋

 

中学時代は元アマチュアボクサーだった父親の井上真吾さんの指導の元で練習を重ねています。

 

また真吾さんの指導は放任主義で、一度も手を挙げられたことがないとインタビューで話しています。

 

「大会で試合に負けた子どもをタオルで叩くお父さんを見たことがありますけど、そういうことをすると続かないと思うんですよ。自分たちは父に手を上げられたことは一度もありませんね」

記事引用:the-ans.jp

 

そして井上さんは中学校3年生の時にはじめて全国大会で優勝しています。

 

また中学3年生の時に後に入門する大橋ジムにはじめて出稽古に行っています。

 

その際には当時は東洋太平洋チャンピオンだった八重樫東さんがスパーリングパートナーを務めていますが、八重樫さんは「中学生にしては強いですね」と言っています。

 

(八重樫東と)

 

その言葉が刺激になって井上さんはよりトレーニングに精を出すようになったと大橋会長が明らかにしています。

 

このように井上さんの中学・高校時代は八重樫東さんが大きな影響を与えています。

 

加えて井上さんは中学・高校時代を通じて素行もよく、ヤンキーなどではありません。

 

本人も普通の中学生だったと述べています。

 

【主な卒業生】

鈴木亜美(歌手)

 

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井上尚弥の学歴~出身高校(神奈川県立新磯高校)・大学の詳細

 

出身高校:神奈川県 新磯高校 偏差値45(容易)

※現在は相模原青陵高校

 

 

 

井上尚弥さんの出身高校は、県立の共学校の新磯(あらいそ)高校です。

 

同校はスポーツが盛んな高校として知られていましたが、20113月に相武台高校と統合して相模原青陵高校となっています。

 

高校時代のエピソード

 

井上さんは高校1年生の時に、父親の井上真吾さんが「井上ボクシング&スポーツジム」を経営しはじめたので高校時代は父親のジムでトレーニングをしています。

 

(高校時代・右)

 

高校時代の活躍は目覚ましく、高校1年生だった2009年にインターハイ、国体、高校選抜で優勝して高校3冠を達成しています。

 

ちなみに井上さんは高校1年生の時のインターハイを中学・高校時代の思い出とインタビューで話しています。

 

「高校1年生で出場したインターハイです。自信はあったのですが、初めての全国大会ということもあり、不安も多少あった中で優勝できたことは嬉しかったです」

記事引用:部活応援プロジェクト YELL

 

その一方で当時は彼女ができたことから、時々練習を仮病でサボっています。

 

「高1で彼女ができ一緒に遊びたい、でも練習しないとという葛藤の中で、時々仮病で休んだりしていました(笑)。でも彼女は練習をサボることに対してとても心配をしてくれて」

 

ちなみにその時の彼女というのが2015年に結婚した、高校の同級生の咲弥さんです。

 

 

高校2年生で全日本アマチュア選手権で準優勝。

 

全日本選手権では林田太郎選手に敗れていますが、その敗戦をきっかけに後に入門することになる大橋ジムに頻繁に行って、当時は日本王者だった後の世界チャンピオンの八重樫東さんとスパーリングをおこなっています。

 

このスパーリングをきっかけに井上さんも世界を目指すことを決意しています。

 

「高3の頃は、今所属している大橋ボクシングジムの先輩である、世界チャンピオンの八重樫東選手とスパーリングをしていく中でいい勝負が出来ていたので、自分も将来世界 チャンピオンになることが確信に変わっていきました」

記事引用:部活応援プロジェクト YELL

 

(八重樫東と)

 

プロボクサーとのスパーリングによって井上さんは大きく成長して、後に林田選手にリベンジしています。

 

高校3年時には、国内ではインターハイと全日本選手権を制覇し、国外でも世界選手権ベスト16を記録。

 

また高校3年生の時にはインドネシア大統領杯で、国際大会で初の金メダルを獲得する快挙を成し遂げています。

 

 

高校生としては史上初となるアマチュア7冠も高校時代に達成しています。

 

このように井上さんは高校時代からアマチュアボクシングで傑出した成績を残しています。

 

また当時から強すぎたことから同世代のスパーリングパートナーがなかなか見つからなかったことから、高校入学当初から大学のボクシング部などに出稽古に行っていました。

 

加えて高校時代の井上さんの目標はロンドンオリンピックの出場権を獲得することでしたが、高校3年生の時に出場したアジア選手権では決勝に駒を進めたものの判定負けしたことから、ロンドンオリンピックの切符は取得できませんでした。

 

なお高校時代に将来はプロボクサーになろうと決意したので、高校時代はまったくと言っていいほど勉強しなかったとインタビューで述べています。

 

 

大学には進学していない

 

そして井上尚弥さんは高校卒業後は大学などに進学せず、プロボクサーに転向しています。

 

中学・高校時代に出稽古に来たことのある大橋ジムに入門しています。

 

 

高校を卒業した年の10月にプロデビューを果たしていますが、その翌年の8月にはわずか4戦目で日本タイトルを獲得。

 

さらにその翌年の4月には当時最速タイとなる6戦目で世界チャンピオンとなっています。

 

 

以降の活躍は周知の通りで、2019年6月現在で18戦18勝、「ワールドボクシング・スーパーシリーズ」でも優勝しています。

 

 

特にフィリピンの英雄・ドネアとの死闘は大きな話題になりました。

 

また海外でも「怪物=MONSTER」と呼ばれるほど、その強さは世界的に認められています。

 

以上が井上尚弥さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

驚異的な強さでもはや日本国内ばかりか、世界も注目するほどの存在になっています

 

 

またその強さはもちろんのこと、真面目な人柄で多くの関係者に愛されるなど、人格者でもあります。

 

まだまだ進化を遂げそうで、日本のボクシング史を塗り替えるような選手になりそうです。

 

 

今後の大きな飛躍にも期待が高まります。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

小学校1年生の時に父親が経営する井上ボクシングジムで練習を開始。 

高校1年生の時に高校3冠を達成し、2012年にロンドンオリンピックを目指してアジア選手権に出場するが銀メダルに留まって出場権を逃す。 

2012年に大橋ジムに入門し、20138月に田口良一を破り国内最短タイの4戦目で日本王者となる。

20144月に当時最速となる6戦目でWBC世界ライトフライ級王座を獲得。

1度の防衛後にスーパーフライ級に転向し、同年12月にWBOのタイトルを獲得。 

20179月にカリフォルニアで6度目の防衛を達成。 

 

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