俳優の照英さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。タレントとしても数々の筋肉系のテレビ番組に出演している照英さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
照英(しょうえい)
1974年4月4日生
身長184㎝
血液型はO型
埼玉県鴻巣市出身の俳優、タレント
本名は高橋照英(てるひで)
以下では照英さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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照英の学歴まとめ
出身大学:東海大学 体育学部
出身高校:埼玉県立鴻巣高校
出身中学校:鴻巣市立鴻巣西中学校
出身小学校:鴻巣市立田間宮小学校
照英の学歴~出身小学校(鴻巣市立田間宮小学校)の詳細
出身小学校:埼玉県 鴻巣市立田間宮小学校
照英さんの出身小学校は、地元埼玉県鴻巣市内の公立校の田間宮(たまみや)小学校です。
家族構成は両親と兄の4人家族です。
照英さんはスポーツは全般的に得意ですが、小学生の頃は野球をしていました。
照英の学歴~出身中学校(鴻巣市立鴻巣西中学校)の詳細
出身中学校:埼玉県 鴻巣市立鴻巣西中学校 偏差値なし
照英さんの出身中学校は、地元鴻巣市内の公立校の鴻巣西中学校です。
中学時代は陸上部に在籍をしていました。
照英さんは野球を続けるつもりでしたが、陸上部の顧問の先生から誘われたことで陸上部に入部をしています。
中学校卒業前になるとやり投を勧められており、このことについてはインタビューで次のように話していました。
「元やり投選手だった先生に走りもジャンプもやったほうがいいと、3種競技A(100m・走高跳・砲丸投)という混成競技を勧められ、やり投を教えてもらったのは中学校卒業前ぐらい。今となっては、私にやり投に必要な能力を身に付けさせたかったんだろうなと思います。」
引用元:Number web
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照英の学歴~出身高校(埼玉県立鴻巣高校)の詳細
出身高校:埼玉県 鴻巣高校 商業科 偏差値44(容易)
照英さんの出身高校は、県立の共学校の鴻巣(こうのす)高校です。
この高校は1918年開校の県立校で、部活動が盛んなことで知られています。
また同校は以下の2つの学科を設置していますが、照英さんは商業科に在籍していました。
普通:偏差値49
商業:偏差値44
高校時代も陸上部に在籍をしており、部活動に打ち込んでいました。
高校入学後には投てき競技に絞りました。
やり投では高校1年生の頃から記録が出ており、インターハイに出場をしています。
インターハイでも有力候補でしたが、直前にケガをしてしまい良い結果を残すことはできませんでした。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「私は怪我をしていて、あの頃は夏のインターハイから全く記録が出ていなかったんです。その前には70mを投げるのではないかと期待されていたので、とても悔しかったですね。国体でもインターハイの雪辱を果たそうとやる気満々でしたが、うまくいかなくて。」
引用元:Number web
またアテネオリンピックで金メダルを獲得したハンマー投げの室伏広治選手とは、中学校時代の全日本中学校陸上競技選手権大会で知り合い、高校時代からの旧友です。
なお照英さんは学生時代は勉強が苦手だったとのこと。
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照英の学歴~出身大学(東海大学)の詳細
出身大学:東海大学 体育学部 偏差値48(やや容易)
照英さんは高校卒業後は、東海大学の体育学部に進学します。
大学でも体育会の陸上部に所属していました。
大学時代は陸上部の学生寮で寮生活を送っています。
当時のことについてはインタビューで次のように話していました。
「大家さんが第二の父親、母親みたいな感じで、ずっと寮生活で寂しい思いをしながらも、いろんな悩みを聞いてくれたような、いい思い出がある学生時代だったな、寮生活だったな」
引用元:日刊スポーツ
築50年ほど経っているようなアパートで坂沿いに建っていたことから、照英さんの部屋は傾いていました。
そのため寝る時には坂の上の部分に頭を持ってこなければ、頭に血が上ってしまうほどだったというエピソードを明かしています。
ちなみに部屋の傾きなども時間が経てば慣れており、寝返りが打ちやすく寮生活もあながち悪いものではなかったとのことです。
大学4年生だった1996年には、全日本学生選手権とひろしま国体のやり投で準優勝の記録を残しています。
また照英さんは陸上部での活躍の傍ら、大学4年生の頃から密かにモデルとして活動を開始していました。
このことについてはインタビューで次のように話しています。
「陸上をやりながら、たまにオーディションに行って……。だから『あんまり大っぴらにポスターとかできないんです』と言ってました(笑)」
引用元:先生24
照英さんはもともとは休みの日はカッコつけたいというタイプで、自分にできることを探していた時にファッション雑誌を見つけて、中には筋肉がバキバキの世界一のメンズモデルが載っていました。
そして照英さんは自身も世界のモデルとして活躍できるかもしれないと思い、モデル事務所や芸能事務所を15社受けて、オーディションも受けています。
当時は大学卒業後は陸上選手やアスリートとして生きていくことはかなり難しいものでした。
他の先輩を見ていて企業に就職をしても午後からは練習をして、オリンピックに出ることができないと生活ができない状況で辛そうだったといいます。
そのため他の道として中学校や高校の体育教員なども視野に入れていたとのことです。
大学卒業後は恵まれた体を活かして、ファッションモデルとして活動を開始しています。
24歳だった1998年に、「星獣戦隊ギンガマン」で俳優デビューを飾っています。
以降は徐々に俳優業にシフトして、「水戸黄門」や「新選組!」、「里見八犬伝」、「RESCUE」などの人気ドラマなどに出演します。
また並外れた体力を活かして「筋肉番付」や「スポーツマンNO.1決定戦」、「芸能人サバイバルバトル」などの番組でも活躍しています。
さらにはスポーツ番組のナビゲーターや司会、ドキュメンタリー番組の語りや旅人など様々なジャンルでマルチな活動を展開しています。
私生活では2005年に、フリーアナウンサーの阿部和加子さんと結婚して3人の子どもがいます。
なかなかの個性派だけに、末永い活躍を期待したいところです。
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