落語家の林家木久扇さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「笑点」で人気の林家さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
林家木久扇(はやしや きくおう)
1937年10月19日生
身長非公表
血液型はA型
東京都出身の落語家
本名は豊田洋(とよた ひろし)、愛称は「木久ちゃん」
以下では林家木久扇さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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林家木久扇の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:都立中野工業高校
出身中学校:杉並区立荻窪中学校
出身小学校:中央区立久松小学校→八戸市立柏崎小学校→杉並区立第三桃井小学校
林家木久扇の学歴~出身小学校(中央区立久松小学校ほか)の詳細
出身小学校:東京都 中央区立久松小学校
林家木久扇さんが入学したのは、東京都中央区内の公立校の久松小学校です。
4人兄弟の一番上として育っています。
自宅は日本橋久松町にあり、父親は雑貨の卸問屋をしていたことから比較的裕福な幼少期を過ごしました。
しかし太平洋戦争によって使用人が兵隊となり、東京大空襲による店の全焼などの被害に巻き込まれました。
その後は父親は無気力で家計を支えることができないため、林家さんが働くようになりました。
なお戦時中は疎開のため八戸市立柏崎小学校に通学していました。
小学4年生のときに落語と出合っていますが、それ以上に映画が好きな少年だったと当時を振り返っています。
しかし林家さんには映画を観るお金がなかったことから、映画館でのアイスキャンディーの売り子をはじめました。
まだ小学生でしたが近所の顔なじみの店からアイスを仕入れて、映画館で売らせてもらう交渉をして映画を観るために考えた商売でした。
この時に映画のラストシーンを繰り返し観ていたことで、昔のスターたちの声色が得意になったといいます。
加えて10歳の時に両親が離婚して、母親に引き取られています。
その際に杉並区内の公立校の杉並区立第三桃井小学校に転校しています。
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林家木久扇の学歴~出身中学校(杉並区立荻窪中学校)の詳細
出身中学校:東京都 杉並区立荻窪中学校 偏差値なし
林家木久扇さんの出身中学校は、東京都杉並区内の公立校の荻窪中学校です。
林家さんは母子家庭に育ったので、中学時代から新聞配達など様々なアルバイトをして家計を助けていました。
【主な卒業生】
坂上忍(タレント)
伊藤蘭(女優・元キャンディーズ)
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林家木久扇の学歴~出身高校(都立中野工業高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 中野工業高校 食品化学科 偏差値38(かなり容易・現在)
※現在は工業科
林家木久扇さんの出身高校は、都立の共学校の中野工業高校です。
この高校は1946年開校の都立の工業高校です。
林家さんは高校時代には映画演劇部を創立しています。
そして中野工業高校の映画演劇部は無料で映画を観られるように交渉をしており、同じ高校の生徒は割引をしてもらえるようにしました。
このことは当時の新聞でも取り上げられています。
また林家さんは「弱きを助け、強きをくじく」というチャンバラ映画が好きだったことから、高校生の時に剣道をはじめています。
加えて映画のエキストラのアルバイトもおこなっており、1953年の「坊ちゃん」に出演をしています。
当時はかけ蕎麦が17円の時代でしたが、30分くらいのシーンで700円くれました。
かなり良い商売だと思い、役者の道に進むことも考えました。
【主な卒業生】
清水宏次朗(俳優)
ワタナベマホト(YOUTUBER)
大学には進学していない
なお林家さんは高校卒業後は大学には進学せずに、森永乳業に就職をしています。
林家さんは戦時中の食糧不足を体験していることから、本能的に食べ物の傍にいなければいけないという思いが強かったとのことです。
とは言え見習いの期間も含めて3ヶ月ほどで辞めており、次は漫画家を志しています。
23歳だった1960年に、桂三木助さんに弟子入りして落語家を目指しています。
さらに29歳だった1966年から「笑点」に出演しています。
以降は人気落語家になっています。
以上が林家木久扇さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
出演している「笑点」では長らく桂歌丸さんや三遊亭円楽さんらと並んで、看板メンバーとして活躍してきました。
年齢は80歳を超えていますが、現在も精力的に活動しています。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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