お笑いタレントの片岡鶴太郎さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。俳優や画家としても活動している片岡さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
片岡鶴太郎(かたおか つるたろう)

1954年12月21日生
身長163㎝
血液型はO型
東京都荒川区出身のお笑いタレント、俳優
本名は荻野繁雄(おぎの しげお)
以下では片岡鶴太郎さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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片岡鶴太郎の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:都立竹早高校
出身中学校:荒川区立第十中学校
出身小学校:荒川区立真土小学校
片岡鶴太郎の学歴~出身小学校(荒川区立真土小学校)の詳細
出身小学校:東京都 荒川区立真土小学校
※現在は荒川区立ひぐらし小学校
片岡鶴太郎さんの出身小学校は、地元東京都荒川区内の公立校の真土(まつち)小学校です。
この小学校は1989年に荒川区立第四日暮里小学校と統合されて、現在は荒川区立ひぐらし小学校になっています。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
実家は家具店を経営していましたが、倒産したことから経済的に厳しい生活を送っていました。
両親が下町生まれだったことから子供の頃から寄席によく連れて行ってもらっており、このことが自分の原点だったと振り返っています。
このことについてインタビューでは次のように話していました。
「芝居、演芸、落語、漫才、ものまねを見ながら育ったので、寄席は私の原点でしょうね。」
引用元:spice
片岡さんは小学生の頃から人の特徴を捉えることが好きで先生の真似をして、友人たちを笑わせることを楽しんでいました。
また10歳の時に早くも素人参加型のテレビ番組に出演しています。
片岡鶴太郎の学歴~出身中学校(荒川区立第十中学校)の詳細
出身中学校:東京都 荒川区立第十中学校 偏差値なし
※現在は荒川区立諏訪台中学校
片岡鶴太郎さんの出身中学校は、地元荒川区内の公立校の第十中学校です。
この中学校は1998年に第八中学校と日暮里中学校と統合されて、現在は諏訪台中学校になっています。
中学校時代は帰宅部で、部活動などはおこなわなかったようです。
片岡さんは親が「勉強をしなさい」などと言わなかったこともあって、中学生の頃は全く勉強をしませんでした。
その結果、中学3年生の時に成績がビリになっています。
片岡さんは先生から進路を聞かれた際に「都立高校に進学をしたい」と話したところ、「無理」だとはっきり言われてしまいました。
そしてこのことを母親に話したところ家計に余裕がないため、私立高校の月謝は払うことができないと返されてしまったとのことです。
片岡さんはこの時にはすでに芸人になりたいと思いましたが、このままでは売れた時に格好がつかないと思いました。
ここではじめて危機感を持ったため、書店で小学5年生から中学3年生までの国語と算数、英語の問題集を購入してようやく勉強に取り掛かっています。
そして片岡さんは夏休み中にひたすら勉強に励んでおり、当時のことについてはインタビューで次のように振り返っています。
「わかるところから、中1・中2・中3とクリアしていくと、だんだんゲーム感覚になってくる。とくに算数は「解けた!」って快感がすごくてね。」
引用元:withnews
勉強に集中をしており気づくと夕方の4時から12時間ぶっ続けで勉強をしていた日もあったといいます。
かなり頑張って勉強をした結果、夏休み明けのテストで学年で10位以内に入るほどの成績を出すことに成功しました。
この時の「やればできる」という成功体験が後の片岡さんの核になっていると話すほど、片岡さんにとって大きな出来事だったようです。
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片岡鶴太郎の学歴~出身高校(都立竹台高校)・大学の詳細
出身高校:東京都 竹台高校 偏差値47(現在)
片岡鶴太郎さんの出身高校は、都立の共学校の竹台高校です。
この高校は1935年開校の都立高校で、かつては進学校でしたが現在はレベルが凋落してしまっています。
片岡さんが在籍した当時は進学校(偏差値は不明)でした。
前記のように中学3年生の時に猛勉強した甲斐もあって、この高校に合格しています。
そして高校時代は演劇部に在籍をしており、高校3年生の時には部長を務めています。
女優の梅沢昌代さんはこの高校の演劇部の一つ先輩でした。
片岡さんは演劇部でのことについて、インタビューで次のように振り返っています。
「演劇青年の先輩方には、結構鍛えられましたね。別役実、イヨネスコ、いろんな戯曲をさせていただきました。梅沢さんはそのまま文学座に入られるんですが、僕はものまねも好きでしたし、お笑いの方からアプローチしていこうと芸人の道に進みました。」
引用元:spice
また片岡さんは子供の頃からファッションに興味を持っていましたが、高校で制服が自由化したことで本格的にファッションに目覚めたそうです。
このことについてはインタビューで次のように振り返っていました。
「学校が鶯谷にあったんですが、大量に服が積まれた倉庫が近くにあって、ファッションが好きな友達がセールに一緒に行こうよと言ってくれて。その中から探して服を選んでコーディネートをするということをやっていましたから、それがいわゆるファッションに目覚めた最初のきっかけかもしれません。」
引用元:ファッションスナップ
【主な卒業生】
林家正蔵(落語家)
林家三平(2代目・落語家)
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大学には進学していない
片岡鶴太郎さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、俳優を目指しています。
ところがうまくいかなかったことから俳優になることはすぐに諦めて、19歳だった1973年に声帯模写の片岡鶴八さんに入門しています。
当初はものまねタレントとして活動し、1978年の「お笑い大集合」でデビューしています。
声帯模写に転じて演芸場などに出演するようになりました。
転機となったのは27歳の時で、「俺たちひょうきん族」で近藤真彦さんのモノマネを披露すると一躍脚光を浴びて、モノマネ芸人として全国区の人気を得ます。
30歳だった1984年から「笑っていいとも!」のレギュラーを務めています(1995年9月まで)。
以降も「夕やけニャンニャン」や「上海紅鯨団が行く」など多くのバラエティ番組に出演。
俳優としても活動しており、代表作は「太平記」や「元禄繚乱」、「八丁堀の七人」などです。
さらに画家としての顔も持ち、草津町や福島市に美術館があります。
私生活では20代前半で結婚して3人の子供をもうけましたが、30歳から別居状態で2017年に離婚しています。
近年はテレビでの活動のほか、書道などにも挑戦しており、今後の活動にも注目集まります。
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