明石家さんまの学歴と経歴|出身高校大学や中学校の偏差値と若い頃や学生時代

 

国民的人気を誇るお笑いタレントの明石家さんまさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。スポーツ万能でモテモテだった高校時代や学生時代の彼女と駆け落ちしたことなど、学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします

 

明石家さんま(あかしや さんま)

 

 

195571日生

身長172

血液型はB型

 

奈良県奈良市出身のお笑いタレント

本名は杉本高文(すぎもと たかふみ)

 

以下では明石家さんまさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします




 

明石家さんまの経歴

 

1955年(0歳):和歌山県古座町生まれ(奈良県奈良市育ち)

1974年(19歳):笑福亭松之助に弟子入り

1974年(19歳):笑福亭さんまとして落語家デビュー

1976年(21歳):明石家さんまに改名してタレントに転向

1981年(26歳):「オレたちひょうきん族」でブレイク

1984年(29歳):「笑っていいとも!」に出演

1988年(33歳):大竹しのぶと結婚

1989年(34歳):IMALUが誕生

1992年(37歳):大竹しのぶと離婚

1997年(42歳):「踊る!さんま御殿」が放送開始

2015年(60歳):「さんまのお笑い向上委員会」が放送開始

 

明石家さんまの学歴~出身高校(奈良県立奈良商業高校)・大学の詳細

 

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出身高校:奈良県 奈良商業高校 偏差値40程度(当時)

※現在は奈良朱雀高校

 

 

 

明石家さんまさんの出身校は、県立の共学校の奈良商業高校です。

 

この高校は1921年開校の県立高でしたが、2007年に奈良県立奈良工業高校と統合されて2009年に閉校しています(現在は奈良県立朱雀高校)。

 

さんまさんは子供のころから非常に運動神経がよく、高校進学後はサッカー部に在籍して主力として活躍し、チームは県大会の決勝まで進んだこともありました。

 

(高校時代)

 

サッカー部では副キャプテンも務めています。

 

ちなみに当初は野球部に入ろうと思いましたが、坊主頭になりたくなかったことからサッカー部を選んでいます。

 

また高校時代はたびたび授業を抜け出してパチンコに行き、勝ったお金でサッカー部員のために色々なものを買って、部活がはじまる前に戻って来ることもありました。

 

父親の会社の元従業員にパチプロがいて釘の見方などを教わったことから、さんまさんは高校時代からパチンコが得意でした。

 

加えて当時から明るく話も面白かったことから、高校でも人気者でした。

 

さんまさん自身も高校時代は毎日何をして周囲の人々を笑わせようか考えるほどでした。

 

雑誌のインタビューでも次のように高校時代を振り返っています。

 

「毎日毎日、何やって笑かそうかばっかり考えていたね。もうその時点で大学へ行く気なかったし。机に向かっては、きょうこのギャグやったから明日は何して笑かそうかって、そればっかりや」

 

高校時代は親友の大西康雄さんと過ごすことが多く、2人ともに人を笑わすのが大好きでした。

 

さんまさんは部活帰りに仲間と行きつけの食堂に行ってうどんを食べながら、その日周囲を笑わせたことを振り返り、「次は何をして笑わせようか」と考えただけで心が弾んだそうです。

 

当時からテレビやラジオで演芸番組を熱心に見たり聴いたりしていたことから、落語の演目を覚え込んでクラスメイトの前で披露したこともありました。

 

また当時からオリジナルの漫談もおこなっており、当時流行っていたテレビアニメ「巨人の星」のキャラクターを1人でこなす「ひとり巨人の星」がウケたそうです。

 

これに加えて「京子ちゃんシリーズ」というネタが高校時代の鉄板でした。

 

「いやぁ~、京子ちゃん、パーマあてたん?……ちがうのよ、昨日、洗濯機の脱水機に頭から突っ込んだの……」

「いやぁ~、京子ちゃん、可愛らしいブレスレットしてぇ~……ちがうの。今、警察に捕まってるの……」

「いやぁ~、京子ちゃん、あんた今日パンツはいてへんやろ?……いやっ、なんでわかるの?……スカートはいてへんもん……」

 

その他にも学校ではスポーツ選手の形態模写やモノマネなどをおこなってクラスメイトを笑わせています。

 

 

当時のこの高校の英語の先生はそんなさんまさんのお笑いの才能に驚き、たびたび授業を中断して新作漫談を披露させたという驚きのエピソードも残っています。

 

その際にはさんまさんはテレビやラジオ番組からネタを仕入れて、毎回期待に応えていたそうです。

 

ちなみにその英語の先生は高校時代に吉本興業に入ることを勧めています。

 

加えてさんまさんは体育祭の際にはウケを狙って逆走するなどの脱線し、その後に先生に捕まったエピソードも残っています。

 

 

ちなみにこの際にさんまさんを捕まえたのは乾井(いぬい)先生という人物で、さんまさんにとっても大切な恩師で当時から何かとこの先生を笑わそうとしていました。

 

また高校3年生の時に新入生に向けたクラブの紹介では21もの部活動をさんまさんが1つずつ面白おかしく紹介して大爆笑になっており、本人も「人生で一番の大ウケ」と振り返るほどでした。

 

ちなみに当初は自身が所属するサッカー部の紹介だけをやるつもりでしたが、あまりにウケたため2番目のバスケットボール部がさんまさんに部の紹介を頼みそれも大ウケだったことから、3番目以降の部もすべて紹介をさんまさんに頼んでいます。

 

そのため最初は「サッカー部の杉本です」と言いながら登壇し、次には「バスケットボール部の杉本です」と言いながら登壇。

 

3番目以降はさんまさんが壇上に現れるだけで体育館は笑いに包まれています。

 

結局サッカー部やバスケットボール部、テニス部といった運動部から放送部やそろばん部といった文化部まで、実に21ものクラブの紹介を1人でおこなっています。

 

この際のことについてはさんまさんもインタビューで次のように話しています。

 

「『サッカー部の杉本(さんまの本名)です。どうのこうの』って笑わせたら、(他の部の)みんな『できひん、緊張するわ人前でしゃべるの。杉本、お前行ってくれ』って。『おう、おう、行ったるわ』っていって、『体育部の杉本です』って眼鏡かけて出て、次、相撲部が『杉本行ってくれ』って、『どすこい、相撲部の杉本だ』って(出たら)、もうドカーンって(笑いが起こって)。ほんならもう(部活紹介の)4つ目から階段上るだけで、俺が眼鏡かけてるだけでドドドドって(笑いが起こった)。後はもう出るだけで笑いが起こってくの」

 

その他にもある日、親友の大西さんとともに全身にトイレットペーパーを巻きつけて2階の窓からロープで体を吊るして1階の教室で授業を受けている生徒たちを笑わすということもおこなっていました。

 

このように高校時代はたびたび学校中を大笑いさせていたことから、高校3年生の文化祭で落語を披露した際には大勢の生徒たちが見に来ています。

 

このような高校時代だったことから、インタビューで次のようにも述べています。

 

「俺が友だちにしてあげた1番のこというたら、笑わしてあげたことやね。俺がいてホントよかったと思うよ。みんなはどう思ってるかわからんけど(笑)。だって明日何をして笑かすかが、俺の宿題だったもん」

 

加えてさんまさんは高校時代は女子から非常にモテており、バレンタインデーの時には下級生がチョコレートを渡す行列ができたほどです。

 

 

当時のさんまさんは彼女もおり、高校時代にファーストキスも経験しています。

 

なお高校時代から落語家を目指しており、高校を卒業する直前に二代目笑福亭松之助さんに弟子入りしています。

 

なお松之助さんに弟子入りする際に「なぜ僕を選んだのか?」と聞かれたところ「センスがよろしいから」と失礼ともとられる答え方をしていますが、松之助さんは「そら、おおきに」と大人の対応で受け流しています。

 

ちなみに弟子入りする際には両親に反対されていますが、親戚の説得があり実現しています。

 

加えて2017年11月に放送された「誰も知らない明石家さんま」では、北村匠海さんが主演(明石家さんま役)で、さんまさんの高校時代がドラマ化されています。

 

 

【主な卒業生】

城島茂(TOKIO

 

そして明石家さんまさんは高校卒業後は大学に進学せずに、落語家を目指しています。

 

ただし入門直後に修業を放り出して高校時代から交際していた女性と駆け落ちしていますが、半年後に再び松之助さんの元に弟子入りしています。

 

その際の経緯については親友の高田文夫さんが次のようにインタビューで話しています。

 

「(さんまには)高校の同級生の彼女がいたんだけど、その子が一家離散したりして大変だったんだよ。でも、「杉本君(さんまの本名)と一緒にいると心が安らぐ」って言われるんだよ。さんまちゃんは松之助師匠のとこで修行してたんだけど、その子のために一緒に東京に逃げようってことになって、さんまちゃんは先に1人で東京に行って、小岩のほうにアパートを借りるんだよ」

 

しかし東京での生活がうまくいかなったことから、再び大阪に帰ってきて松之助さんを訪ねます。

 

破門されてもおかしくない状況でしたが、松之助はさんまさんを受け入れています。

 

(笑福亭松之介)

 

また一緒に東京に駆け落ちした女性が別の男性と結婚したため、さんまさんは内弟子修行に戻ることを決意しています。

 

それでもさんまさんは決して真面目な弟子ではありませんでしたが、松之助さんは叱ることなくのびのびと育てています。

 

「当時から要領が良かったさんまさんは、師匠が仕事に出かけると、また布団に入って二度寝していたそうです。しかも松之助さんも息子さんに聞いて、そのことを知っていたが、知らないふりをして怒らなかった…」。

 

後にさんまさんは落語家をやめてタレントに転身していますが、その後も松之助さんはテレビでのさんまさんを見て気づいたことを手紙にしたためており、さんまさんは「これは宝物」と言って何度も読み直して学んだそうです。

 

19歳だった1974年には「笑福亭さんま」の高座名で、落語家としてデビューしています。

 

 

YOUTUBEにも落語家時代の動画がありました。

 

 

ちなみに笑福亭鶴瓶さんとは落語家デビューが近く(鶴瓶さんのほうが2年先)、師匠同士が同門で親しかったことから、当時から親交がありました。

 

21歳だった1976年に師匠の松之助さんの勧めで落語家からタレントに転身して「明石家さんま」に改名しています。

 

 

タレントに転向した直後は仕事が少なく、同じく当時は無名だった島田紳助さんらと地方で営業をしたこともありました。

 

またデパートの屋上で「ガッチャマンショー」のアルバイトもしたことがあります。

 

1978年から司会を務めた「ヤングおー!おー!」で人気者となり、知名度も大幅に上昇しました。

 

 

 

ちなみにこの番組はさんまさんにとってはじめてのレギュラーでした。

 

さらに26歳だった1981年からビートたけしさんや島田紳助さんらと「オレたちひょうきん族」で大ブレイクをして、人気お笑いタレントになっています。

 

 

 

なお同じころ「THE MANZAI」に出演して、春風亭小朝さんと漫才を披露したこともありました。

 

 

その後は俳優としても活躍し、「男女七人夏物語」や「天皇の料理番」などのテレビドラマで人気を博します。

 

 

33歳だった1988年10月に、「男女七人夏物語」で共演した大竹しのぶさんと結婚した際には大きな話題になっています。

 

 

以降も数々のバラエティ番組に出演して、ビートたけしさんやタモリさんと並ぶ「お笑いBIG3」のひとりとして大物芸能人になっています。

 

ちなみにさんまさんは30歳だった1985年に起こった520名が亡くなった「日本航空JAL123便墜落事故」では、奇跡的に命拾いをしています。

 

その日は「オレたちひょうきん族」に出演後に、JAL123便に搭乗して毎日放送の「ヤングタウン」に出演予定でした。

 

 

しかしたまたまひょうきん族の収録が早く終わり、123便の1つ前の便に変更して大阪に向かったためこの墜落事故に巻き込まれませんでした。

 

とは言えこの事故に大きなショックを受けて、以降は新幹線で行くことができる場所には飛行機を使わずに新幹線で移動しています。

 

大竹しのぶの学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と経歴

 

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明石家さんまの学歴~出身中学校(奈良市立三笠中学校)の詳細

 

出身中学校:奈良県 奈良市立三笠中学校 偏差値なし

 

 

 

明石家さんまさんの出身中学校は、地元奈良市内の公立校の三笠中学校です。

 

ちなみに第一志望は全国的な難関中学校とされる私立の男子校の東大寺学園中学校(現在の偏差値は73)でした。

 

さんまさんは東大寺学園中学校の面接で「尊敬する人は?」と聞かれたところプロレスラーのフリッツ・フォン・エリックと答えていますが、残念ながら受験は不合格となり、公立の三笠中学校に進学しています。

 

中学時代は軟式テニス部に在籍して活躍しています。

 

小学校時代からサッカーをおこなっていましたが、当時のこの中学校にサッカー部がなかったことからやむを得ずに軟式テニス部に入部しました。

 

また相撲部にスカウトされて代役として市内大会に出場すると、団体戦で優勝して個人戦でも2位になっています。

 

その際には体重が100㎏くらいの相手とも対戦していますが、「肩透かし」などの技を使って勝利しています。

 

 

このあたりにもさんまさんの運動神経や反射神経のよさが現れています。

 

ちなみに相撲部にはわずか1週間しか在籍していませんでした。

 

なお相撲部に入部したのは顧問の先生から1週間だけ在籍すれば高校3年間相撲部に在籍したことにすると持ち掛けられて、高校受験の内申書に有利になると考えたからでした。

 

加えてトーク番組「A‐Studio」に出演した際には、さんまさんは中学時代の同級生と「あーあーズ」というグループを組んでいたことが紹介されています。

 

 

このグループはスポーツは基本が大事と考えて、大会などがなくても腕立て伏せや腹筋などの基本をずっとやるというグループでした。

 

前述の奈良市の相撲大会の個人戦で2位になった時を振り返って、さんまさんは「基本をやってたのとずる賢さ」と述べており、「あーあーズ」での活動も活きたようですね。

 

 

なおさんまさんは中学時代にも彼女がいましたが、誕生日プレゼントには石膏で彼女の顔を彫ってプレゼントしたエピソードを「さんま御殿」に出演した際に明らかにしています。

 

ただしやはりと言うべきか、彼女は全然喜んでくれなかったそうで、スタジオでも共演者に引かれたそうです。

 

なおオリジナルの漫談は中学時代からおこなっていました。

 

【主な卒業生】

三戸なつめ(タレント)

坂口愛美(アナウンサー)

 

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明石家さんまの学歴~出身小学校(奈良市立鼓阪小学校)の詳細

 



 

出身小学校:奈良県 奈良市立鼓阪小学校

 

 

 

明石家さんまさんの出身小学校は、地元奈良市内の公立校の鼓阪(つざか)小学校です。

 

生まれたのは和歌山県古座町(現在は串本町)ですが、幼少期に奈良市に移って育っています。

 

家族構成は両親と兄、弟の5人家族です。

 

 

実家はサンマなどの魚の水産加工業を営んでおり、芸名もここからきています。

 

ただし実家はあまり裕福ではありませんでした。

 

なお実の母親は3歳の時に病気で亡くなっています。

 

また弟は10歳の時に父親が再婚した際の継母の連れ子でしたがさんまさんは「チビ」と呼んで可愛がっています。

 

弟の正登さんは高校までサッカーに打ち込んでおり、奈良育英高校時代にはインターハイにも出場したほどです。

 

しかし19歳の時に実家の火事で亡くなっており、週刊誌などでは焼身自殺と報じられています。

 

 

この際にはさんまさんはかなり落ち込んでおり、当時のインタビューで次のように語っています。

 

「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ……。去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに……。まだ納得できません、あのチビが死んだなんて……」

 

当時のさんまさんは既に冠番組を持つほどの売れっ子でしたが、ショックのあまり芸人をやめようと思うほど精神的に追い詰められたそうです。

 

そして失意のままオール巨人さんと舞台で共演したのですが、巨人さんは「お前んち、兄弟焼いたらしいな」とまさかのツッコミをしています。

 

するとさんまさんは「そや、材木切れたから家焼いたんや」とすかさずボケています。

 

後にさんまさんはこの舞台を機に吹っ切れたと語っており、舞台終了後には巨人さんに感謝の言葉を述べたそうです。

 

加えて26歳年下のグラビアアイドルの山本梓さんは遠い親戚です。

 

(山本梓)

 

意外にもさんまさんは幼少期は泣き虫でした。

 

それでも当時から手のかからない子供で、父親からは「高文はなんでもひとりで大丈夫や」と言われています。

 

しかし小学校に入学する頃には周囲をよく笑わせており、すでに人気者でした。

 

そのため足が速かったにも関わらず、小学校の運動会では後ろ向きに走って笑いをとっています。

 

 

さんまさんは子供のころから運動神経がよくスポーツが得意で、小学校時代は水泳やサッカーなどに打ち込んでいました。

 

また絵心もあり小学校時代に描いた水彩画が全国コンクールで入賞したこともありました。

 

小学校4年生の時に父親が従姉妹の女性と再婚して継母と弟ができましたが、継母はさんまさんと兄には心を開くことがなかったそうです。

 

さんまさんは頑張って継母を笑わせようとするのですが、ある日の晩に継母はさんまさんと兄が寝ている隣で酒を飲みながら「うちの子はこの子(弟)だけや」とこぼしたのを聞いてしまい、兄とともに泣いてしまったという悲しいエピソードも残されています。

 

そのため現在でもお酒を飲む女性が苦手です。

 

以降もさんまさんは継母の気を引こうと面白いことを色々とやったそうですが、母親の態度は変わらなかったとのこと。

 

それでも母親に反抗するようなことはありませんでした。

 

前記のように母親の連れ子である弟を非常に可愛がっており、当時から広い心を持っていました。

 

加えて祖父の杉本音一さんがさんまさんと兄を不憫に思って、色々と目をかけてくれました。

 

おじいさんはたびたび小学生だったさんまさんをお笑いさせています。

 

「風邪で頭痛を起こすとわざと絆創膏を頭に貼っておどけたり、「ちょっと旅に出よか?」と高文を連れ出し、眼鏡店に立ち寄ると椅子にデンと腰かけてメガネ店を眼科と間違えたフリをして、「で、先生はいつごろおいでになるんでっか?」と店員に真顔で尋ねて高文を大笑いさせた」

 

またおじいさんとさんまさんと兄の3人で飼い犬にマジックで眉などを描いて散歩に行って、町の人から「奈良の三バカ大将」と呼ばれたこともありました。

 

おじいさんもとても優しい人でした。

 

そして音一さんはたびたび「辛い時こそ笑え」と言っており、現在でもその教えを守っています。

 

(小学校時代・右端)

 

なおさんまさんは継母との経験があったことから、大竹しのぶさんと結婚した際には大竹さんの連れ子にはとても気を遣ったとのこと。

 

 

そのため大竹さんの連れ子の二千翔(にちか)さんとは血のつながりがないのも関わらず、当時から関係は非常に良好です。

 

 

その一方で兄との絆は深まって、現在に至るまで良好な関係を築いているとのこと。

 

ちなみに兄さんの正樹さんは「カラオケバーさんま」というお店を経営しています。

 

 

 

なおさんまさんは小学校6年生の時にムササビに石をぶつけて生け捕りにして、地元の新聞などに「ムササビを捕まえた少年」として記事にされて話題になっています。

 

ちなみにその時のムササビの剝製は出身小学校に現在でも展示されているとのことです。

 

 

加えて小学校時代のさんまさんはプロレスに熱中しており、当時の夢はお笑い芸人ではなくプロレスラーでした。

 

また当初はあまり勉強せずに学校の成績も悪かったのですが、兄が学校の成績が悪かったのを親に叱られているのを見たことから、勉強もしっかりするようになりました。

 

以上が明石家さんまさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

当初は落語家としてデビューしていますが、その後にタレントに転身するととんとん拍子に人気者となっています。

 

さらに1988年に女優の大竹しのぶさんと結婚した際には、大きな話題を呼んでいます。

 

 

大竹しのぶの学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と経歴

 

以降の活躍は周知の通りで、その後はビートたけしさんやタモリさんと並んで、「お笑いBIG3」と呼ばれるほどの大物タレントになりました。

 

 

また愛娘のIMALUさんも人気タレントになっています。

 

 

IMALUの学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|カナダの学校に通学していた

 

既に年齢は60歳を超えていますが、未だにMCや司会を務める番組は多く、高視聴率をとっていることでも知られています。

 

 

現在でも幅広い世代から絶大な支持を得ていますので、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

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