野々村真の学歴|出身高校中学校や大学の偏差値と若い頃のカッコイイ画像

 

人気タレントの野々村真さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は野々村さんは学生時代は野球に打ち込んでおり、強豪校のレギュラーでした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のカッコイイ画像なども併せてご紹介いたします

 

野々村真(ののむら まこと)

 

 

1964624日生

身長182

血液型はA型

 

東京都出身のタレント

本名及び旧芸名は野々村誠

 

以下では野々村真さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

野々村真の学歴まとめ

 

出身大学:進学せず

出身高校:城西高校(中退)→明治大学付属中野高校 定時制課程

出身中学校:文京区立第四中学校

出身小学校:文京区立湯島小学校

 

野々村真の学歴~出身小学校(文京区立湯島小学校)の詳細

 

出身小学校:東京都 文京区立湯島小学校

 

 

 

野々村真さんの出身小学校は、地元文京区内の公立校の湯島小学校です。

 

家族構成は両親と兄、妹の5人家族です(3人きょうだいの真ん中)。

 

 

実家は祖父の代から八百屋を営んでいました。

 

また実家は東京大学の目と鼻の先にあったことから子供の頃から東京大学が遊び場で、池で釣りをしたり、グランドで野球をしたりしています。

 

野々村さんは子供の頃から活発でお喋り好きだったことから、小学生時代は「休み時間の帝王」のあだ名で呼ばれていました。

 

小学校時代は鼓笛隊に入っていました。

 

野々村さんは子供の頃から運動神経が良く、小学校時代から野球をはじめています。

 

ちなみに当時もピッチャーでした。

 

ただし野々村さんは右投げだったにも関わらず父親が左用のグローブを買ってきてしまったことをきっかけに、左投げで練習して左投右打ちになっています。

 

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野々村真の学歴~出身中学校(文京区立第四中学校)の詳細

 

出身中学校:東京都 文京区立第四中学校 偏差値なし

※現在は文京区立本郷台中学校

 

 

 

野々村真さんの出身中学校は、地元文京区内の公立校の第四中学校です。

 

この中学校は1998年に文京区立第二中学校と統合されて、現在は文京区立本郷台中学校になっています。

 

野々村さんは中学時代も野球部に在籍しており、エースとして活躍しています。

 

(後列右から4番目)

 

野々村さんの活躍もあって、チームは文京区大会のベスト4に進出しています。

 

ちなみに野々村さんは中学3年生の時に初デートをしています。

 

野々村真の学歴~出身高校(城西高校・明治大学付属中野高校)・大学の詳細

 

出身高校:東京都 城西高校(中退) 偏差値40台前半(当時)

※現在は城西大学附属城西高校

※卒業は明治大学付属中野高校定時制課程

 

 

 

野々村真さんが入学したのは、私立の共学校の城西高校です(現在は城西大学附属城西高校)。

 

同校は部活動が盛んで、硬式野球部や陸上部が強豪として知られています。

 

また現在の偏差値は55程度ですが、野々村さんが在籍した当時はそこまでレベルが高くありませんでした。

 

野々村さんは小学生の頃から野球をやっており、甲子園を目指して同校に進学しています。

 

この高校の野球部は野々村さんが高校に進学する前年の夏の甲子園でベスト8に進出していますが、このこともこの高校に進学する決め手のひとつになったようです。

 

当時の夢はプロ野球選手になることだったとインタビューで述べています。

 

「大半の男の子の夢は「プロ野球選手」という時代でしたが、なにせ、私の実家から後楽園球場は歩いて10分程度。そのため、自分も将来は「ジャイアンツの選手として、後楽園に通う」と思っていました」

 

野々村さんはこのような強豪校の野球部に入りながらも、1年生からレギュラーを務めるほどで当時の野球の腕前は相当でした。

 

野々村さんのピッチャーでした。

 

ちなみにライバル校の早稲田実業高校(当時の早実は東東京地区だった)には、後に甲子園で大スターになる荒木大輔さんが在籍していました。

 

ところが野々村さんは神経性の十二指腸潰瘍を患って、1年生の時に野球部を退部してしまいます。

 

神経性のこの病気を患ったのは、野々村さんの活躍を快く思わなかった同級生から白い目で見られ、罵声を浴びせられたからでした。

 

そして最終的にはこの高校も中退しています。

 

その後は明治大学付属中野高校の定時制課程(偏差値40)に入学し直して卒業しています。

 

 

 

当時のこの高校の定時制課程は堀越高校と並んで多くの芸能人が在籍していました。

 

野々村さんもこの高校では近藤真彦さんと野村義男さんと同級生でした。

 

その頃に芸能事務所にスカウトされています。

 

その際には野球部時代のライバルの荒木さんに「何かで勝ちたい」と思っており、「芸能人として有名になろう」と決意したとインタビューで話しています。

 

また当時の野々村さんは「竹の子族」で、週末は原宿の代々木公園で踊っています。

 

その縁で「劇男一世風靡」の前身団体に加入しており、当時から哀川翔さんや柳葉敏郎さん、風見しんごさんや羽賀研二さんらと面識がありました。

 

18歳だった1982年に当時フジテレビのプロデューサーだった横澤彪さんの目に留まり、オーディションを経て「初代いいとも青年隊」のメンバーになっています。

 

 

ちなみに「初代いいとも青年隊」は野々村さんのほか、羽賀さんと久保田篤さんのラインナップでした。

 

またこの際には高い人気を誇っており、レコードデビューをしたほどです。

 

 

なお「いいとも青年隊」は16代目まで結成されていますが、レコードデビューをしたのは初代のみです。

 

加えて野々村さんは後に結婚することになる坂上とし恵さん(現在は野々村俊恵)と出会ったのも、「いいとも青年隊」時代でした。

 

そして野々村さんは高校卒業後は大学に進学せずに、芸能活動に専念しています。

 

以降はタレントや俳優として数々のテレビ番組に出演しています。

 

また21歳だった1985年にはソロ歌手としてデビューも飾っています。

 

 

その後はタレント活動がメインとなって、「世界ふしぎ発見!」や「アッコにおまかせ」、「クイズヘキサゴンⅡ」などのテレビ番組に出演しています。

 

 

既に年齢は50歳を超えていますが、現在でも第一線で活躍しています。

 

以上が野々村真さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

「いいとも青年隊」でデビュー以降、俳優やタレント、歌手としてマルチに活躍しています。

 

タレントとしても人気が高く、これまで様々なバラエティー番組や情報番組にも出演してきました。

 

 

またファッションモデルとして活動している娘の香音さんも人気者です。

 

 

根強い人気を誇っているだけに、末永い活躍を期待したいところです。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

1982年にオーディションに合格して、羽賀研二や久保田篤とともに、「笑っていいとも!」のいいとも青年隊に起用される。 

1984年のテレビドラマ「女ざかり」で俳優デビューし、他にも「赤ちゃんに乾杯」や「白鳥麗子でございます」などのテレビドラマに出演。

1985年に1stシングル「純情時代」で歌手デビューして、シングル3枚とアルバム1枚をリリースしている。 

以降も「世界ふしぎ発見!」や「アッコにおまかせ」、「クイズ!ヘキサゴンⅡ」などの番組に出演。 

コメンテーターとしても「おはよう朝日です」や「バイキング」などに出演。 

私生活では1995年にタレントの坂上とし恵と結婚し、長女はタレントの野々村香音。

 

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