人気女優の石田ゆり子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。水泳に打ち込んだ中学時代や芸能界デビューを果たした高校時代など、学生時代のエピソードや当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
石田ゆり子(いしだ ゆりこ)
1969年10月3日生
身長164㎝
血液型はA型
東京都出身の女優、エッセイスト
本名同じ
以下では石田ゆり子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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石田ゆり子の学歴まとめ
出身大学:女子栄養短期大学 第二部
出身高校:都立桜町高校→都立青山高校
出身中学校:台北市日僑学校
出身小学校:台北市日僑学校
石田ゆり子の学歴~出身小学校(台北市日僑学校)の詳細
出身小学校:台湾 台北市日僑学校
石田ゆり子さんの出身小学校は、前述の通り私立の日本人学校の台北市日僑学校です。
家族構成は両親と兄、妹(石田ひかり)の5人家族です。
父親は日本郵船に勤務していたエリートサラリーマンで、転勤族でした。
出身は東京都ですが一家は石田さんの幼少期から名古屋や大阪、川崎、そして台湾と目まぐるしく移り住んでいます。
そのため小学校は4回も転校しています。
石田さんは子供の頃からおとなしく、家の中で遊ぶのが大好きな少女でした。
また昔から群れるのが嫌いで、ひとりで本を読んだり、黙々と絵を描くなどひとりでいることを楽しめる子供だったそうです。
そのため小学校時代の夢は「絵本を描く人」でした。
加えて得意の水泳は9歳の頃からはじめており、小学校時代には全国大会のジュニアオリンピックに出場して8位になったこともありました。
また小学校時代は水泳のほか、ピアノも習っていました。
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石田ゆり子の学歴~出身中学校(台北市日僑学校)の詳細
出身中学校:台湾 台北市日僑学校 偏差値なし
石田ゆり子さんの出身中学校は、台北市にある日本人学校の台北市日僑(にっきょう)学校です。
この学校は別名台北市日本人学校とも呼ばれ、小学校と中学校にあたる課程を設置している私立の日本人学校です。
石田さんは父親の仕事の関係で小学校6年生から中学3年生までを台湾で過ごし、高校入学のタイミングで日本に帰国しています。
この学校では同時期に俳優の金城武さんも通学していました。
石田さんは小学校時代から水泳で鳴らし、中学時代も水泳に熱心に取り組み、毎日練習に励んでいました。
平泳ぎが得意種目で、妹のひかりさんとともに台湾のナショナルチームにも所属したほどです。
しかし当時のトレーニングは過酷で、1日平均1万メートル(10㎞)の距離を黙々と泳いでいたとのこと。
石田さんも当時を振り返って次のようにインタビューで話しています。
「『どうして私はこんなに必死で泳いでいるんだろう?』って、いつも思ってました(苦笑)。泳ぐことの何が面白いのか、まったくわからない。そのくらいつらかった」
記事引用:JOSEISHI.NET
後記のように高校では水泳をやめようと思っていただけに、相当キツイ練習をしてきたようです。
とは言えこのような体験は女優の仕事の糧となったはずです。
(インスタグラムにアップした台湾時代の写真・中央が本人)
また後に「アナザースカイ」に出演した際には、台湾で住んでいたマンションを訪問しています。
加えて石田さんは台湾時代を次のように総括しています。
「私は父の仕事の関係で 12歳から15歳まで台北に住んでいました。一番多感な思春期を海外で過ごしたことは視野を広げる意味でとっても素晴らしいことだった気がします」
記事引用:デイリーニュース
いろいろな意味で台湾時代は充実していたようですね。
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石田ゆり子の学歴~出身高校(都立桜町高校・都立青山高校)の詳細
出身高校:東京都 桜町高校 偏差値50(普通)
※都立青山高校の定時制課程に編入して卒業
石田ゆり子さんが入学したのは都立の共学校の桜町高校です。
この高校は1938年開校の都立校で、長らく中堅校として知られています。
石田さんは中学時代までは水泳に打ち込んでおり数々の実績を挙げていましたが、水泳選手になろうと思ったことは一度もありませんでした。
そのため高校では水泳はやらないつもりでしたが、親が辞めさせてくれなかったとインタビューで話しています。
「水泳選手になりたいと思ったことは一切なかったです。高校生になったら水泳はやめて、大学は美大に進学しようとか、私なりにいろいろ計画していました。でも、親が水泳をやめさせてくれなくて(苦笑)。よく妹(石田ひかりさん)と2人で、『私たち、いつ陸に上がれるんだろう? 一生水の中は嫌だよね』って話してました。まるでカエルの姉妹みたいに(笑)」
記事引用:現代ビジネス
そして高校1年生の時に自由が丘を歩いていたところをスカウトされています。
当初は親に大反対されていますが、最終的には芸能事務所入りしています。
ちなみにその際には事務所に断りを入れに行った石田さんの親が、逆に事務所に説得されて帰ってきたというこぼれ話もあります。
また学校帰りにレッスンなどがあったことから、芸能界入りと同時に水泳からは解放されています。
ちなみに妹の石田ひかりさんもゆり子さんが声をかけられてから1か月後に同じ事務所のスカウトマン(ゆり子さんに声をかけたのとは別の人物)からスカウトされていますが、当初はゆり子さんとひかりさんが姉妹であることには気づいていませんでした。
そして高校時代は主にモデルとして活動しており、CMやポスターなどに起用されています。
高校3年生の時に全日空の「沖縄キャンペーンガール」に選ばれて、注目を集めています。
ちなみに当時の全日空の「沖縄キャンペーンガール」は若手女性タレントの登竜門のひとつになっており、女優の鷲尾いさ子さんらも出身者です。
なお時期は不明ですが、石田さんは同じ都立校の青山高校の定時制課程に転校しています。
仕事が多忙になったことから、芸能活動をしやすいように定時制課程に転校したのでしょう。
なお後に女優として活躍することになる石田さんですが、高校時代は女優としては活動していませんでした。
高校を卒業した年に女優デビューし、「悲しい色やねん」で映画に初出演するのですが、当初は演技も十分にできなかったことから、撮影現場で叱られまくったことをインタビューで話しています。
「最初の頃は、行く現場現場でこっぴどく叱られました。当たり前ですよね、何もわかってない上に、笑うことすら満足にできないんですから(苦笑)。とくに、生まれて初めて出演した映画が、森田芳光監督の『悲しい色やねん』(1988年)という作品だったんですけど、あまりに何もできない私に、森田監督に、『お前なんか辞めちまえ!』と言われた、そのことは、今もよく覚えています」
記事引用:現代ビジネス
当時の石田さんは森田監督の言葉にひどく傷ついていますが、「何とか守田監督ともう一度仕事をして褒められたい!」という気持ちが湧いてきたそうです。
そのため森田監督のひと言が、俳優と言う仕事をしがみついてでも続けていこうと思わせてくれたとも述べています。
【桜町高校の主な卒業生】
時東ぁみ(タレント)
松尾伴内(タレント)
森英恵(ファッションデザイナー)
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石田ゆり子の学歴~出身大学(女子栄養大学短期大学部)の詳細
出身大学:女子栄養大学短期大学部 第二部(夜間部) 偏差値30台後半
※現在は第二部の募集はなし
石田ゆり子さんは高校を卒業すると、女子栄養大学短期大学部の二部(夜間部)に進学しました。
同大は東京の豊島区駒込にあり、主に栄養士を育成するための短大ですが、現在は二部の募集はしていません(募集は1999年度まで)。
石田さんは当初は美術大学に進学することも検討したとインタビューで明らかにしていますが、最終的にはこちらの短大に進学しています。
(20歳の頃)
前記のように高校3年生の時にANAのキャンペーンガールに選ばれて注目され、大学進学時には女優として多くのドラマに出演しはじめた頃ですから、学業との両立は大変だったことでしょう。
ただしこの短大は2年制ですが卒業したのは石田さんが23歳になる年なので、留年したあるいは高校を卒業してしばらくしてから入学したかのいずれかのようです。
そして当時はトレンディドラマに数多く出演しており、卒業の前年には武田鉄矢さんと浅野温子さんが主演して社会現象にもなった「101回目のプロポーズ」に出演して女優として注目されています。
このドラマでは石田さんは武田鉄矢さんの会社の同僚役で出演していました。
また短大を卒業するころには、沢口靖子さんが主演した「…ひとりでいいの」にも沢口さんの同僚役のOLとして出演しています。
夜間部だったので仕事帰りに授業を受けることになりますが、当時の人気を考えると無事に卒業したのは立派ですね。
ただし石田さんが実際に栄養士の資格を取得したかは不明です。
以上が石田ゆり子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
若い頃は妹のひかりさんとともに芸能界でも美人姉妹の代表的な存在でした。
ちなみに驚くことにゆり子さんとひかりさんは、テレビドラマや映画で共演したことはほとんどありません(雑誌やポスターなどでの共演は多かった)。
これは若い頃にひかりさんの人気が絶大だったことから、ゆり子さんが「石田姉」とか「石田姉妹」などで括られるのが嫌だったので絶対に一緒の仕事を受けなかったことの名残だと言われています。
しかし姉妹の仲は非常に良好で、ともに所属していた事務所から独立してゆり子さんが社長を務める個人事務所に所属していますし、インスタグラムなどでもたびたび「共演」しています。
また女優としても安定した演技で数々の話題作のテレビドラマや映画に起用されてきました。
現在も第一線で活躍される石田さんは、アラフィフとは思えない若々しさを保っています。
最近はドラマや映画で貴重なバイプレーヤーとして起用されることが多いですが、末永い活躍を期待したいです。
石田ゆり子の経歴
1969年(0歳):東京都で生まれる
名古屋大阪、川崎、台湾など移り住む
1985年(16歳):スカウトをされて芸能界入り
1987年(18歳):全日空の「沖縄キャンペーンガール」に選出
1988年(19歳):「悲しい色やねん」で映画に初出演
1993年(24歳):「彼女の嫌いな彼女」でドラマ初主演
2016年(47歳):連続ドラマ「コントレール」に主演
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