「ユニクロ」の代表取締役・柳井正さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。現在ではフォーブス誌の世界長者番付の常連の柳井さんですが、実は大学時代は無気力な学生で働きたくなかったそうです。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
柳井正(やない ただし)
1949年2月7日生
身長非公表
血液型はO型
山口県宇部市出身の実業家
株式会社ファーストリーディング、株式会社ユニクロ代表取締役兼会長
以下では柳井正さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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柳井正の学歴まとめ
出身大学:早稲田大学 政治経済学部経済学科
出身高校:山口県立宇部高校
出身中学校:宇部市立桃山中学校
出身小学校:宇部市立新川小学校
柳井正の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:山口県 宇部市立新川小学校
柳井正さんの出身小学校は、地元宇部市内の公立校の新川小学校です。
家族構成は両親と姉1人、妹2人の6人家族です。
父親の柳井等さんユニクロの前身となる紳士服小売業の小郡商事の創業者で、土建業や喫茶店、映画館なども経営し政治家の後援会長を務めるなど地元の顔役でした。
(柳井等氏)
柳井さん自身も「父は僕の人生最大のライバルでした」と述べています。
きょうだいの中で男の子が一人だったため、大事に育てられたそうで「やわな男の子」だったそうです。
また幼少期は内気おとなしい性格だったみたいです。
実家は山口県の地方の商店街で紳士服の商売をしており、1階は店で2階が住居でした。
また家の前には本屋があったことから、毎日のように漫画を立ち読みしていたそうです。
当時は「鉄腕アトム」や「鉄人28号」、「おそ松くん」や「ゲゲゲの鬼太郎」などをよく読んでいたとのこと。
また小学校時代はクワガタやカブトムシを捕りにたびたび雑木林に行っていたとのこと。
柳井正の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:山口県 宇部市立桃山中学校 偏差値なし
柳井正さんの出身中学校は、地元宇部市内の公立校の桃山中学校です。
柳井さんは中学時代はアメリカの輸入ドラマが好きだったようで、アメリカに憧れを抱いていたそうです。
(中学時代・右)
当時は「名犬ラッシー」や「ローハイド」、「ララミー牧場」や「拳銃無宿」などのテレビドラマを熱心に見ていました。
また父親が映画館を経営していたことから、当時は映画も多数鑑賞しています。
ちなみに当時は映画館に行くのは学校の許可が必要でしたが、柳井さんは無許可で通っていました。
【主な卒業生】
安宅晃樹(アナウンサー)
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柳井正の学歴~出身高校の詳細
出身高校:山口県 宇部高校 普通科 偏差値67(難関・現在)
柳井正さんの出身高校は、県立の共学校の宇部高校です。
この高校は1919年開校の伝統校で、地元では古くからの進学校として知られています。
柳井さんは高校時代はサッカー部に入部しましたが、すぐに辞めています。
高校時代は共学でしたが男女別々のクラスだったそうで、進学校だったことからクラスメイトの話の内容は勉強ばかりでした。
当時のこの高校は国立大学を志すのが当然だったようで、あまり勉強しない人が早稲田大学や慶応大学に進学していたそうです。
柳井さんは高校1年生の時の成績がクラスで後ろから5番目くえあいでした。
帰宅途中で成績表を落としてしまったこともあり、拾った人が学校に届けてくれて連絡が入った際にはとても恥ずかしかったとインタビューで話しています。
そのため高校時代はあまりいい思い出はないとも話しています。
また高校時代に興味があったものはファッションと音楽だったそうです。
当時の宇部市の高校生で、VANのボタンダウンのシャツをはじめて着たのは柳井さんだそうです。
「宇部市の高校生で、VANのボタンダウンのシャツを一番最初に着たのは、間違いなく僕だったと思います(笑)。チノパンとかバスケットシューズも同じ。学校に指定外のシャツとか着ていくのは禁止だったんですけど、ボタンダウンのシャツなんて誰も着ていなかったから、教師には気づかれもしなかった」
記事引用:Uniquro
また音楽に関してはビートルズやローリングストーンズ、クリフ・リチャードなどを聴いていました。
その他にも高校時代からジャズも聴いていました。
ちなみに柳井さんの高校時代のあだ名は「山川」で、人が「山」と言えば自分は「川」で決して人と同じことをしなかったことが由来です。
このあたりは後の会社経営に活きたようですね。
【主な卒業生】
菅直人(元内閣総理大臣・転出)
庵野秀明(アニメ映画監督)
山田洋次(映画監督)
本庶佑(医学者・ノーベル賞受賞)
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柳井正の学歴~出身大学の詳細・働きたくなかった!
出身大学:早稲田大学 政治経済学部経済学科 偏差値68(難関・現在)
柳井正さんは高校卒業後は、名門私立大の早稲田大学に進学します。
受験時代は数学が苦手だったそうで、この大学に入学した理由についてインタビューで次のように話しています。
「苦手な数学が入試にない中で最も難関だった、早稲田大学政治経済学部に入学した」
ちなみに柳井さんは現在でも計算は苦手だそうです。
柳井さんが大学に入学したときには大学紛争がはじまっていたそうで、1年半ほど大学も封鎖されて行けなかったことから麻雀やジャズを聴いてばかりだったそうです。
「特に夢は持っていませんでした。僕は典型的な無気力学生だったんです(笑)。大学の授業もろくに行かず、麻雀やパチンコをして無為に過ごしていましたよ」
記事引用:ベンチャー通信Online
またストライキも多く暴力に偏りがちな学生運動にはどうしてもなじめなかったと話していました。
そのため大学ではほとんど勉強をしていないようですが、本はたくさん読んだようでインタビューで「世の中が今どうなっているのか、これからどうなるのか、本を読みながらぼんやり考えていたような気がします。」と当時を振り返っています。
加えて親からの仕送りは大半をレコードにつぎ込んでいたため、大学時代は食事代を節約する生活もしていました。
柳井さんは大学時代の一番大きな経験は2年生の夏休みから100日ほどかけて行った世界一周旅行だったそうです。
父親に相談したところ飛行機の切符を購入してくれたそうですが、当時の金額で200万円以上かかったそうでこの時のことについて「よくお金を出してくれたなあと今でも感謝しています。」とインタビューで話しています。
大学3年生・4年生の時は働きたくないと思っていたそうで、インタビューで次のように話しています。
「自分で商売をしようなんて全く思ってなかったです。どうしたら仕事をしないで生きていけるかを考えていたくらいですから。」
記事引用:ベンチャー通信Online
そのため就職活動をせずに大学4年生になり、父親からは「ジャスコに入れ」と言われたそうです。
ジャスコ(イオン株式会社の旧商号)を勧めてきた理由は当時父親と共同でファッションビルを経営していた人がジャスコの系列だったようで、その人の息子もジャスコに入社するからだったようです。
特に行きたい会社もなかった柳井さんは父親の勧め通り、大学卒業後はジャスコに入社しました。
ところが柳井さんは仕事に情熱を持てずに、ジャスコはわずか半年で辞めてしまっています。
その後は実家の小郡商事に入社して、紳士服などの男性衣料に関わります。
35歳だった1984年に父親の跡を継いで社長に就任すると、広島市内の「ユニクロ」の1号店を開店。
当時の「ユニクロ」は有名ブランドを安価で販売する形態でしたが、偽物を販売して評判が下落したことをきっかけにオリジナル商品の開発・販売にシフトしていきます。
するとバブル経済の景気下落が顕著になった1997年頃から台頭し、1998年からはフリースが大ヒット。
以降は国内有数の企業になって、柳井さんもフォーブス誌の世界長者ランキングにランクインするほどの資産家となります。
また日本国内の長者番付でもソフトバンクの孫正義さんらを抑えて、たびたび1位になっています。
以上が柳井正さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
父親の会社の経営を引き継ぐと、独自の経営戦略でユニクロを国内でも有数の大企業に発展させています。
2011年の東日本大震災の際には10億円、2020年には京都大学に100億円を私財から寄附したりするなど社会活動にも熱心なことで知られています。
末永い活躍にも期待ですね。
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