シンガーソングライターの松任谷由実さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は松任谷さんは学生時代から音楽だけではなく絵画にも励んでおり、東京芸術大学への進学を目指していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
松任谷由実(まつとうや ゆみ)
1954年1月19日生
身長164㎝
血液型はO型
東京都出身のシンガーソングライター
旧姓は荒井由実、愛称は「ユーミン」
以下では松任谷由実さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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松任谷由実の学歴まとめ
出身大学:多摩美術大学 美術学部絵画学科
出身高校:立教女学院高校
出身中学校:立教女学院中学校
出身小学校:八王子市立第一小学校
松任谷由実の学歴~出身小学校(八王子市立第一小学校)の詳細
出身小学校:東京都 八王子市立第一小学校
松任谷由実さんの出身小学校は、地元八王子市内の公立校の八王子市立第一小学校です。
家族構成は両親と兄、姉、弟の6人家族です(4人きょうだいの3番目)。
実家は老舗の荒井呉服店で裕福な家庭で育っています。
松任谷さんは小学1年生の時からピアノのレッスンを受けており、小学校高学年からは三味線も習いはじめました。
松任谷さんは当時から頭が良く勉強は努力はしなくても一番だったことから、親は将来医者にしようと考えていたようです。
松任谷由実の学歴~出身中学校(立教女学院中学校)の詳細
出身中学校:東京都 立教女学院中学校 偏差値68(難関・現在)
松任谷由実さんの出身中学校は、私立の女子校の立教女学院中学校です。
この中学校には中学受験で入学しています。
また松任谷さんは中学・高校を通じて帰宅部で、部活動などはおこなっていませんでした。
前記のように小学校から習いはじめたピアノを中学1年生の時まで続けています。
同校では聖歌隊に在籍していました。
この頃にはすでに作詞作曲もしており、時間を見つけては学校のピアノ練習室で作曲をしていました。
松任谷さんは同校の礼拝堂で聴いたバッハの「トッカータとフーガ ニ短調 BWV五六五」に衝撃を受けており、当時のことについて次のように振り返っています。
「パイプオルガンは教会全体が楽器。床の下にはパイプが通っているんです。バッハを聴いた瞬間、涙が溢れて止まらなくなった。これは本当の話なんだけど、声までオルガンみたいになっちゃった。瞬間的に内耳の構造が変わったのかもしれない」
また14歳からベースをはじめて、中学生の頃には既にバンドを組んで活動をしていました。
音楽以外にも絵も好きだったことから美大を志し、中学3年生から塾の御茶の水美術学院に通いはじめて、学校と塾を往復する日々が始まったことでディスコに頻繁に通い、始発で自宅に帰ってそのまま学校に行ったこともありました。
また六本木通いもするようになり、放課後になると駅のロッカーに隠していた私服に着替えて六本木などに繰り出しバンドの演奏を聴いていました。
中学3年生の時に系列の立教の高校生と交際もしており、ませた中学生でした。
ちなみに六本木のディスコでは後に松任谷さんのレコードをプロデュースするかまやつひろしさんや細野晴臣さんのほか、多くのミュージシャンと顔見知りになっています。
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松任谷由実の学歴~出身高校(立教女学院高校)の詳細
出身高校:東京都 立教女学院高校 偏差値66(難関・現在)
松任谷由実さんの出身高校は、私立の女子高の立教女学院高校です。
この高校は1877年開校の伝統校のミッションスクールで、古くからの「お嬢様学校」として知られています。
また立教大学の系列校で卒業生は原則としてこの大学に進学できることから、現在ではかなりの難関校になっています。
松任谷さんはこの高校の系列の中学校に通っていたことから、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。
また後述するように松任谷さんは中学時代から六本木のディスコに頻繁に通っており、高校時代もディスコ通いをしていました。
松任谷さんは中学時代から高校にかけてすでにいくつもの曲を作っており、その中にはデビューアルバムに収録されている曲もありました。
高校1年生の時に小学校時代の同級生が筋ジストロフィーで亡くなったことなどが重なり、ショックを受けてできた曲が「ひこうき雲」でした。
同年の冬に松任谷さんの曲のレコード化が決まっており、17歳だった1971年に加橋かつみさんのアルバム「愛は突然に」で作曲家としてデビューを果たしました。
しかし松任谷さんはまだ高校生で作曲の仕事も本格的でなかったことから、中学生の時から勉強してきた絵の道に進むために、東京芸術大学の日本画専攻を目指します。
そして高校2年生から本格的に受験勉強をしはじめるとディスコ通いも辞めて、絵の家庭教師をつけています。
【主な卒業生】
野際陽子(女優)
市毛良枝(女優)
中村江里子(アナウンサー)
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松任谷由実の学歴~出身大学(多摩美術大学)の詳細
出身大学:多摩美術大学 美術学部絵画学科 偏差値48(難関)
松任谷由実さんは高校卒業後は、多摩美術大学に進学しています。
同大は学科試験のレベルはさほど高くないものの、実技試験が難しい名門美大として知られています。
松任谷さんは第一志望は東京芸術大学で実技試験は通っていましたが、3次試験で落ちています。
第一志望の大学が落ちたことから落胆して、泣きながら浪人すると言い張りましたが両親から説得をされたことで既に合格をしていた同校に進学をしました。
この大学では絵画学科に在籍して、日本画を学んでいます。
後述するように松任谷さんは高校時代に作曲家としてデビューをしており、大学に入学後は事務所に毎週顔を出して曲作りをしていました。
その時に自身で歌うことを提案されます。
しかし当時の松任谷さんは作曲には自信がありましたが、歌うことは苦手で自身は表に出るタイプではないと思っていました。
ただこの申し出を断ってしまえば自身の曲を発表するチャンスさえ逃してしまうと思い、歌うことを決意しました。
そして大学1年生だった1972年7月に、本名の荒井由実名義でシングル「返事はいらない」でデビューを果たしました。
デビュー曲はわずか300枚のセールスと散々でしたが、歌唱力の高さや歌詞の秀逸さなどで徐々に人気も上昇。
大学4年生だった1975年にリリースした「あの日に帰りたい」が大ヒットして、一躍人気アーティストの仲間入りをします。
ちなみにマスコミは当時の松任谷さんについて、次のように報じています。
「注目の女子大生歌手 布施明よりすごい女のコ 75年レコード売り上げNo.1は『シクラメンのかほり』の布施明でも、演歌じゃ日本一の北島三郎でもない。二十二歳の女子大生歌手だった。若者風俗そのままのやさしさが井上陽水を追い抜いた――われわれは無関心ではいられない」
また意外にも松任谷さんも当時は音楽は趣味でやっているとインタビューで話しています。
「音楽は趣味でやっているんです。プロ意識なんかないわ。喰うためにやったらいい音楽なんかできません。音楽で金を稼ごうなんて考えていないの。今は軌道に乗ってお金が入ってきますけど」
記事引用:文春オンライン
このように松任谷さんは大学時代に人気アーティストになっていますが、大学は卒業しています。
大学を卒業した1976年には、音楽プロデューサーの松任谷正隆さんと結婚して、以降は松任谷由実の名義で音楽活動を継続しています。
その後はレコードのセールスが伸び悩みますが、1981年にリリースした「守ってあげたい」が大ヒットして完全に復活しています。
時代が平成に入っても人気が衰えず、「真夏の夜の夢」や「春よ、来い」などの楽曲が大ヒットしています。
ソロアーティストとしては最高のCDの売り上げを記録するなどの金字塔を打ち立てます。
また現在でも幅広い層に支持されており、精力的な活動を展開しています。
以上が松任谷由実さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
大学時代にデビューして、数々の名曲を世に送り出してきました。
また多くのアーティストに多大な影響を与えています。
日本を代表する女性アーティストのひとりですから、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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経歴/プロフィールの詳細
1971年に17歳で作曲家としてデビュー。
1972年に荒井由実名義で1stシングル「返事はいらない」でメジャーデビュー。
1975年の6thシングル「あの日に帰りたい」が、オリコン1位を記録してブレイクを果たす。
1976年にアレンジャーの松任谷正隆と結婚し、松任谷由実名義で活動を開始。
1981年に17thシングル「守ってあげたい」がヒットして再ブレイク。
以降は「真夏の夜の夢」や「春よ、来い」、「輪舞曲」などヒット曲を多数リリース。
2013年に紫綬褒章を受章している。
CDの売り上げ枚数はソロアーティスト及び女性アーティストととしては、史上初の3000万枚を突破している。
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