竹内まりやの学歴|出身は慶応大学・大社高校!中学校の偏差値|英語が得意だった!

 

シンガーソングライターの竹内まりやさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。竹内さんは子供の頃から成績が優秀で、ビートルズの影響で小学校時代から英語を勉強していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

竹内まりや(たけうち まりや)

 

 

1955320日生

身長165

血液型はA型

 

島根県大社町(現在は出雲市)出身のシンガーソングライター

本名同じ(結婚前)

 

以下では竹内まりやさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

竹内まりやの学歴まとめ

 

出身大学:慶応義塾大学 文学部英文学科(中退)

出身高校:島根県立大社高校

出身中学校:大社町立大社中学校

出身小学校:大社町立大社小学校

 

竹内まりやの学歴~出身小学校(大社町立大社小学校)の詳細

 

出身小学校:島根県 大社町立大社小学校

※現在は出雲市立大社小学校

 

 

 

竹内まりやさんの出身小学校は、地元大社町内の公立校の大社町立大社小学校です。

 

家族構成は両親と6人きょうだいの8人家族です(4女2男の三女)。

 

実家は大社町で老舗旅館「竹野屋旅館」を経営しています。

 

 

「まりや」という名前は本名で、父親が世界で通用する女性になるように名づけました。

 

父親は歌を歌うのが上手で、母親はピアノが上手かったそうです。

 

竹内さんは幼い頃から音楽が身近にあったそうでインタビューでは次のように話しています。

 

「幼い時からいろんな音楽が鳴ってましたんで。その環境の中で、いろんな雑多に聞くのが好きだったんで。もちろんグループサウンズもあったり、加山雄三さんがあったり、ビートルズがあったり、フレンチ・ポップスがあったりとか。そういうものがやっぱり自分の中にはいっぱい入ってるんでしょうね。」

記事引用:miyearnZZ Labo

 

 

竹内さんは「子どもの頃の洋楽との出会いが、すべての始まりでした」とインタビューで語っています。

 

幼少期からピアノを習っていましたが、ピアノを弾くよりも歌うことの方が好きだったそうです。

 

小学校時代から姉とともにザ・ピーナッツの曲を歌っていたとインタビューで話しています。

 

「小学生の頃、毎日家に帰るとレコードに合わせて歌っていました。「今夜は私たち姉妹がザ・ピーナッツやるから」と仲居さんたちを集めて、一つ上の姉と2人、庭の石段の高い所で歌ったことも。この頃から歌うことが好きだったと思います」

 

9歳の頃にビートルズが来日して衝撃を受けています。

 

「9歳だった私は、CMで見たビートルズが忘れられなくて、言葉では言い表せないほどの衝撃を受けました。「これはいったい何?」という、カルチャーショックですよ。音もそうだけど、スーツを着た4人の若者の姿や歌詞、英語のすべてが衝撃でした。英語を話せるようになって英国に行きたいという夢も生まれたんです」

 

なお竹内さんは小学生時代から学校の成績は優秀で、小学生の頃からすでに英語を勉強していました。

 

竹内まりやの学歴~出身中学校の(大社町立大社中学校)詳細

 

出身中学校:島根県 大社町立大社中学校 偏差値なし

※現在は出雲市立大社中学校

 

 

 

竹内まりやさんの出身中学校は、地元島根県大社町内の公立校の大社町立大社中学校です。

 

竹内さんは中学時代は軟式テニス部に在籍して、部活動に励んでいました。

 

ただしテニス部の練習に明け暮れたことから、子供の頃から習っていたピアノをやめてしまっています。

 

当時はお兄さんがギターの弾き語りをしていたことから、竹内さんは中学時代からピアノの弾き語りをはじめています。

 

またこの頃から音楽雑誌ミュージックライフの編集長の星加ルミ子さんに憧れたことをインタビューで明らかにしています。

 

「当時は音楽雑誌の「ミュージック・ライフ」で様々な知識を得て、編集長の星加ルミ子さんに憧れていました。洋楽のいろんなアーティストに会ってインタビューをしたいと夢見ていたんです」

 

そのため高校進学後に海外に留学することを決意しています。

 

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竹内まりやの学歴~出身高校(大社高校)の詳細

 

出身高校:島根県 大社高校 普通科 偏差値53(普通)

 

 

 

竹内まりやさんの出身高校は、県立の共学校の大社(たいしゃ)高校です。

 

同校は1898年開校の伝統校で、県内で唯一の体育科を設置していることで知られています。

 

この高校に在学中は帰宅部で、部活動はおこなっていませんでした。

 

ただし高校時代からエレクトーンを習いはじめています。

 

 

高校2年生の時にアメリカイリノイ州のロックフォールズ・タウンシップ・ハイスクールに1年間留学をしています。

 

当時のことについてインタビューでは次のように話しています。

「どうしても海の外に行きたくて。元々はイギリスに行きたかったんですけど、そういう留学制度はなかったので。で、そのアメリカの田舎町に1年、いたんですけど。それもやっぱり自分にとってはすごく大きい体験でした。もうみんながいい人たちばっかりで。本当に。」

記事引用:miyearnZZ Labo

 

留学当初は英語はおぼつかない感じだったようですが、周囲の人が教えてくれていたそうで上手く聞き取れるようになった頃には帰国する時期になっていました。

 

アメリカの学校ではコーラス部に在籍していました。

 

 

留学中には年下の男子を好きになってフラれてしまったそうで、この経験が後に曲作りには役立っており失恋の曲などはその男子の面影を見ていたそうです。

 

また留学から帰国した際には落差があったそうで、インタビューで次のように振り返っています。

 

「向こうでの生活があまりにも……ミニスカートとか。男の子たちはみんなロン毛で車運転してっていうような生活から、もうまた黒い制服とおさげ髪っていう。まあその落差が逆に楽しかったとも言えますけどね。」

記事引用:miyearnZZ Labo

 

 

高校生の多感な時期に留学をしたという経験があったため、後に海外でレコーディングする際にも物怖じはしなかったそうです。

 

なお竹内さんは当時はミュージシャンではなく、外国のミュージシャンにインタビューをする人になりたかったそうです。

 

加えて竹内さんは学校の成績は非常に優秀で、後記のように難関大学の慶応義塾大学に現役合格しています。

 

ただし高校3年生の時は猛勉強をしていました。

 

「自由な1年をもらえたから、次の半年は何が何でも勉強して大学に受かろうと決意しました。夢のキャンパスライフが待っていると思ったら、それほど苦にはならなくて、寝食を忘れて勉強した、面白い半年間でした」

記事引用:朝日新聞デジタル

 

【主な卒業生】

江角マキコ(女優)

 

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竹内まりやの学歴~出身大学(慶応義塾大学)の詳細

 

出身大学:慶応義塾大学 文学部英文学科(中退) 偏差値68(難関)

 

 

 

竹内まりやさんは高校卒業後は、名門私大の慶応義塾大学に進学しています。

 

大学では文学部英文学科に在籍して得意の英語を学んでいます。

 

またこの大学の音楽サークル「リアルマッコイズ」にも在籍をしていました。

 

このサークルに入部した経緯については、インタビューで次のように話しています。

 

大学ではバンドをやると決めていました。新入生向けのオリエンテーションでニール・ヤングを演奏しているサークルがあったので、新入生歓迎会に行くと、ピープルという先輩のバンドがオリジナル曲を演奏したんです。ちょっとビートルズのフレーバーが入っていて、こういうバンドがいるなら、と入部を決めました

 

大学時代にはサークルの先輩だったミュージシャンの杉真理さんのバンド「ピープル」でキーボードとコーラスを担当していましたが、当時は自分に自信がなかったそうです。

 

但し当時の竹内さんはプロのミュージシャンになろうとは思っておらず、音楽雑誌の編集者志望でした。

 

そして林さんのレコーディングに参加をしたことがきっかけとなり、1978年にアルバム「ロフト・セッションズ」に誘われて参加しました。

 

同年11月にはシングル「戻っておいで・私の時間」で大学在学中に歌手デビューを果たしています。

 

 

しかし竹内さんは音楽活動に熱中しすぎたことから単位が足りず大学は留年して、最終的には中退しています。

 

1979年にリリースした3枚目シングル「SEPTEMBER」がヒットして、日本レコード大賞新人賞を受賞しています。

 

 

そして1980年にリリースした「不思議なピーチパイ」が大ヒットして、人気アーティストの仲間入りを果たしました。

 

 

1982年に山下達郎さんと結婚した際には大きな話題になっています。

 

 

その後はヒット曲に恵まれませんでしたが、1990年代に入ると「告白」や「純愛ラプソディ」がヒットして再び存在感を示しています。

 

 

2000年代に入ってもその人気は衰えずに、数々のヒット曲をリリースしています。

 

 

またソングライターとしても活動しており、松田聖子さんや中森明菜さん、中山美穂さんなど数々の有名アーティストに楽曲提供していることでも知られています。

 

以上が竹内まりあさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

23歳でメジャーデビューした後は、昭和・平成・令和にわたって第一線で活躍しています。

 

 

そのため多くの熱烈なファンの支持も受けています。

 

また多くのアーティストに大きな影響を与えている人物だけに、末永い活躍を期待したいところです。

 

 

経歴/プロフィールの詳細

 

実家は老舗旅館の竹野屋旅館で42男の三女。 

1978年に1stシングル「戻っておいで・私の時間」でメジャーデビュー。 

ルックスの良さから当初はアイドルのような扱いを受けるも、3rdシングル「SEPTEMBER」がスマッシュヒットして日本レコード大賞新人賞を受賞。 

1980年にリリースした4thシングル「不思議なピーチパイ」が、資生堂のキャンペーンソングに起用されて大ヒット。 

以降も「シングル・アゲイン」や「告白」、「純愛ラプソディ」などのヒット曲をリリース。 

1998年にリリースした27thシングル「カムフラージュ」で初のオリコン1位を獲得。

私生活では1982年に山下達郎と結婚し、娘がいる。

 

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