広瀬香美の学歴と経歴|出身は国立音楽大学・福岡女学院高校!中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

人気シンガーソングライターの広瀬香美さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は広瀬さんは幼少期から音楽のスパルタ教育を受けていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像などをご紹介いたします

 

広瀬香美(ひろせ こうみ)

 

 

1966412日生

身長165

血液型はO型

 

福岡県出身のシンガーソングライター

本名は米光麻美(よねみつ あさみ・旧姓)

 

以下では広瀬香美さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

広瀬香美の学歴まとめ

 

出身大学:国立音楽大学 音楽学部作曲科

出身高校:福岡女学院高校 音楽科

出身中学校:福岡女学院中学校 音楽科

出身小学校:筑紫野市立吉木小学校

 

広瀬香美の学歴~出身小学校(筑紫野市立吉木小学校)の詳細・音楽のスパルタ教育を受けていた

 

出身小学校:福岡県 筑紫野市立吉木小学校

 

 

 

広瀬香美さんの出身小学校は、地元筑紫野市内の公立校の吉木小学校です。

 

家族構成は両親と本人の3人家族です(ひとりっ子)。

 

幼い時に母親が広瀬さんに「絶対音感」があり、音楽の才能にも恵まれていると気づいたことから音楽の英才教育を受けています。

 

3歳の頃からピアノを習いはじめ、6歳の頃には既に作曲をはじめていたというから驚きです。

 

加えて広瀬さんは両親は非常に厳しかったとインタビューで述べています。

 

「両親は音楽経験がないんですけど、練習はとても厳しかったです。先生も厳しいけど、親も厳しい。練習しないとごはん抜きというくらいの英才教育ぶりでした。毎日1時間40分練習するんですけど、終わった頃に母が来て、『最初の20分、気持ちが入っていなかったから20分延長』とか言われる。土日は父も家にいるので、振り向いたらソファに座って練習風景を見ているんです」

記事引用:現代ビジネス

 

さらに練習をサボったのがバレた際には、母親が目の前で本や文房具を捨てるというスパルタぶりでした。

 

そのため当時は自分の意思でおこなっていたのではなく「やらされていた」ので、ピアノも音楽も大嫌いだったとコメントしています。

 

加えて当時の広瀬さんは親に反抗する術も知らなかったことから、「辞める」という選択肢もなかったそうです。

 

後にアーティストとして開花しますが、広瀬さんの幼少期や学生時代は決して満足のいくものではなかったそうです。

 

広瀬香美の学歴~出身中学校(福岡女学院中学校)の詳細

 

出身中学校:福岡県 福岡女学院中学校 音楽科 偏差値45(容易)

 

 

 

広瀬香美さんの出身中学校は、私立の女子校の福岡女学院中学校です。

 

この中学校は出身高校に併設している系列校で、高校へは内部進学で進んでいます。

 

(中学生の頃)

 

広瀬さんは中学時代も作曲に励んでおり、自身の出世作となった「ロマンスの神様」の原曲は学校に行く際の歩道橋でメロディが浮かび、歩道橋の真ん中で五線紙に書いたことを明らかにしています。

 

広瀬さんは当時から作曲家になるために音楽大学への進学を目指しており、中学校・高校を通じて音楽一色の生活を送っています。

 

そのため当時は友達も非常に少なかったそうです。

 

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広瀬香美の学歴~出身高校(福岡女学院高校)の詳細

 

出身高校:福岡県 福岡女学院高校 音楽科 偏差値48(当時)

 

 

 

広瀬香美さんの出身高校は、私立の女子校の福岡女学院高校です。

 

同校は1885年開校の伝統校で、古くから地元では「お嬢様学校」として知られています。

 

また現在は普通科(偏差値61)、音楽科(同54)とレベルが上がっていますが、当時は現在ほどではありませんでした。

 

広瀬さんはこの高校の音楽科に在籍していました。

 

高校時代は学校で作曲を学んでいますが、2週間に1度は東京で作曲のレッスンも受けていました。

 

そのため当時の広瀬さんはかなりの数の曲を作っていました。

 

また登校途中にメロディが浮かぶことが多かったので、学校にいくと挨拶もせずに五線紙を広げて曲を書きはじめていました。

 

このようなことからクラスでは浮いた存在になってしまい、たびたび学校に行くことを躊躇したとインタビューで述べています。

 

そんな状況だったことから体調が悪いと学校はあっさりと休んでいました。

 

【主な卒業生】

藤吉久美子(女優)

牧瀬里穂(女優・転校)

大神いずみ(アナウンサー)

家入レオ(シンガーソングライター・転校)

 

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広瀬香美の学歴~出身大学(国立音楽大学)の詳細

 

出身大学:国立音楽大学 音楽学部作曲科 偏差値35(難関)

 

 

 

広瀬香美さんは高校卒業後は、国立音楽大学に進学しています。

 

同大は学科試験の偏差値は低いですが実技試験が難しく、作曲科に関しては東京芸大や桐朋学園大学に次ぐレベルです。

 

広瀬さんはこの大学に進学したのは、クラシックの作曲家になるためです。

 

広瀬さんは同大在学中の成績が悪く、幼少期から養ってきた自身の音楽理論も否定されています。

 

当時の作曲科には16人が在籍していましたが、広瀬さんの成績は最下位でした。

 

そのため広瀬さんはこの大学を中退することも考えたとインタビューで話しています。

 

「前期のテストが終わった後、教授に『将来は作曲家になりたい』と言ったんです。そしたらいやいや、成績をご覧なさい、と。作曲学科は16人しかいないんですけど、私の成績は16番(笑)。作曲家はピアニストよりも狭き門で、『1番でも作曲家になるのは難しいのに、よく考えたほうがいい』と言われてしまって。音楽しか勉強してこなかったのにつぶしがきかない、どうしようと思いました。そして、1年の夏休み前に、『大学をやめるしかない』と思い立ったんです」

記事引用:現代ビジネス

 

広瀬は子供の頃から音楽で食べていくために英才教育も受けていたことから、大学時代に大きな挫折を味わっています。

 

また大学はやめようと思っていましたが、両親から「頼むから大学だけは卒業してくれ」と懇願されたので中退することは思いとどまっています。

 

ところが気分転換に高校時代の友人とロサンゼルスに遊びに行った際に、マイケル・ジャクソンやマドンナのライブを見て、ポップミュージックの作曲家になろうと思っています。

 

「マイケル・ジャクソンやマドンナ、ボビー・ブラウンなど全盛期の頃です。夏休みを利用して現地に行ってみたらこれがほんとうに楽しくて! 『今まで学んできた技術を使って、ポップスの作曲家になれたらいいな』と思いました」

記事引用:現代ビジネス

 

そのため大学を卒業することを条件に、ポップスを学ぶためにアメリカ・ロサンゼルスへの留学を親に頼んで了承してもらっています。

 

またその際には国立音楽大学の教授たちとも話しをつけて、「1年の前期3か月だけまとめて授業に出て、その後は海外から作品を送る」という条件で大学の単位も取得することになりました。

 

このように広瀬さんは大学1年生だった1985年から4年間を日本とアメリカを行き来する生活をしていました。

 

さらに20歳の時にはマイケル・ジャクソンのボイストレーナーのセス・リッグスさんオーディションを受験すると、東洋人としては初めて合格します。

 

当時の広瀬さんはシンガー志望ではありませんでしたが、歌を褒められたことが嬉しかったりセスさんとの縁を切りたくなかったのでボイス・トレーニングを受けることになります。

 

トレーニングを開始すると歌うことが楽しくなったことから、シンガーソングライター志望に転身しています。

 

その後はLA3年間トレーニングを積んでデモテープをレコード会社に送る生活をしていますが、国立音楽大学もしっかりと卒業しています。

 

 

そして26歳だった1992年に、ファーストシングル「愛があれば大丈夫」でメジャーデビューを飾っています。

 

そして翌年にリリースした3枚目シングル「ロマンスの神様」がミリオンセラーを記録して、アーティストとして大ブレイクを果たしています。

 

 

以降も「ドラマティックに恋して」や「ゲレンデがとけるほど恋したい」、「Promise」などの楽曲もヒットを記録。

 

 

1990年代を代表するアーティストのひとりとなっています。

 

また2020年のコロナウイルス禍では、YOUTUBEに「歌ってみた」の動画をアップしています。

 

 

すると大きな話題にもなって数百万ものアクセス数を記録しています。

 

以上が広瀬香美さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

アーティストとして「冬の女王」と言われ、冬をモチーフにした楽曲のヒットで知られています。

 

 

またシンガーとしてだけではなく多方面で音楽プロデュースをしており、日本国内外からも高い人気を誇っています。

 

 

今後のさらなる活躍にも期待が高まります。

 

広瀬香美の学歴・経歴・プロフィールの略歴

 

1966年(0歳):福岡県筑紫野市生まれ

1969年(3歳):ピアノをはじめる

1972年(6歳):作曲をはじめる

1973年(7歳):筑紫野市立吉木小学校に入学

1979年(13歳):筑紫野市立吉木小学校を卒業

1979年(13歳):福岡女学院中学校・音楽科に入学

        「ロマンスの神様」の原曲を作る

1982年(16歳):福岡女学院中学校・音楽科を卒業

1982年(16歳):福岡女学院高校・音楽科に入学

        東京での作曲のレッスンも受ける

1985年(19歳):福岡女学院高校・音楽科を卒業

1985年(19歳):国立音楽大学・音楽学部作曲科に入学

1985年(19歳):アメリカ・ロサンゼルスに留学

1989年(23歳):国立音楽大学音楽学部を卒業

1992年(26歳):「愛があれば大丈夫」でメジャーデビュー

1993年(27歳):サードシングル「ロマンスの神様」がミリオンヒット

        以降も「幸せをつかみたい」や「ゲレンデがとけるほど恋したい」がヒットして、「冬の女王」の異名をとる

1999年(33歳):俳優の大沢たかおと結婚(2006年に離婚)

2008年(42歳):アメリカ人男性と再婚

2015年(49歳):広瀬香美合唱団を設立

2020年(54歳):YOUTUBEの「歌ってみた」の動画が話題になる

 

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