ジャズピアニストの高木里代子さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。美人ピアニストで写真集やグラビアも好評の高木さんですが、実は高校時代に不登校になっていました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介します
高木里代子(たかぎ りよこ)
1984年9月20日生
身長157㎝
血液型はA型
東京都出身のジャズピアニスト
本名同じ
以下では高木里代子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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高木里代子の学歴まとめ
出身大学:慶応義塾大学 環境情報学部
出身高校:跡見学園高校
出身中学校:跡見学園中学校
出身小学校:不明
高木里代子の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
高木里代子さんの出身小学校は、都内の学校のようですが校名などの詳細は不明です。
家族構成は両親と姉の4人家族です。
姉は写真家の大村祐里子さんです。
母親がもともとピアノ経験者で、クラシックピアニストを目指していました。
4歳からピアノをはじめる
その影響もあって高木さんは4歳の頃から近所のピアノ教室に通っていましたが、母親のピアノを聴いていたこともあって物心つく前からすでに音楽に慣れており、耳コピができる状態でした。
当時のピアノの先生は高木さんの才能に気づいて、もっと本格的なところで習った方が良いと勧めてくれたことからヤマハ音楽教室のジュニア専門コースに通いはじめています。
高木里代子の学歴~出身中学校(跡見学園中学校)の詳細
出身中学校:東京都 跡見学園中学校 偏差値47(やや容易)
高木里代子さんの出身中学校は、私立の女子校の跡見学園中学校です。
中学校時代は帰宅部で、部活動はおこなっていません。
その一方で中学校時代もピアノに打ち込んでいました。
中学校時代はピアノを頑張っていた
中学生の頃にはジュニア専門コースの中からオーディションを受けて入る音楽院というシステムがあり、高木さんもそこに入ってピアノの練習に励んでいました。
当時のことについてはインタビューで次のように話しています。
「私は中学の頃に入ったのですが、ここは本格的なクラシックピアニストの卵ともいうべき錚々たる人たちが通っているような凄いコースでした。先輩には日本人で初めてチャイコフスキーコンクールで優勝した上原彩子さん、ジャズピアニストの上原ひろみさんもいらっしゃいました。」
引用元:YAMAHA
中学時代は周囲に才能あふれるすごい人がたくさんおり、自分はクラシック演奏者になれるのかという疑問が浮かびました。
この時に高木さんは将来のことも含めて本気でクラシック演奏者の道に進むのかどうかを考えて選択を迫られたときに、母親に「私はその道じゃない」と伝えています。
この出来事は高木さんにとって初めての大きな決断だったといいます。
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高木里代子の学歴~出身高校(跡見学園高校)の詳細
出身高校:東京都 跡見学園高校 偏差値56(中の上・推定)
高木里代子さんの出身高校は、私立の女子校の跡見学園高校です。
この高校は1875年開校の伝統校で、古くから「お嬢様学校」として知られています。
また同校は高校からの募集のない完全中高一貫校なので、偏差値も推定になります。
高校時代も帰宅部で、部活動などはおこなっていません。
また高校時代も3年間にわたりピアノに打ち込んでいました。
不登校がきっかけでジャズに出会う
高校2年生だった2001年9月にアメリカで同時多発テロが起こっており、このことが原因で高木さんは不登校となっています。
このことについてはインタビューで次のように話していました。
「夜ぼんやりとテレビを見ていて、ニューヨークの高層ビルに飛行機が突っ込んでいく映像を観て、全身のアトピーが酷くなり、同時に、「あぁ、世界はもう終わるんだ。もう学校なんか行く意味ないじゃないか」と急に思い、翌日から学校に行かなくなりました。」
引用元:YAMAHA
学校に行かなくなった高木さんに、母親はヤマハ音楽教室のジャズレッスンを紹介しました。
そして高木さんは高校2年生の頃にジャズ音楽に触れはじめています。
【主な卒業生】
古内東子(シンガーソングライター)
大渕愛子(弁護士、タレント)
小原乃梨子(声優)
西萩弓枝(声優)
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高木里代子の学歴~出身大学(慶応義塾大学)の詳細
出身大学:慶応義塾大学 環境情報学部 偏差値70(超難関)
高木里代子さんは高校卒業後は、慶応義塾大学に進学しています。
大学はAO入試で入学
高木さんは音楽大学へ進むと周囲は音楽だけの人ばかりになってしまうと思い、この大学への進学を選びました。
この大学にはAO入試で入学をしており、音楽と論文と面接試験を経て入学しています。
また高木さんの家族は全員この大学の出身だったことから、子供の頃からこの大学に行って見たいという思いがあったようです。
大学時代のエピソード
高木さんは環境情報学部でコンピューターミュージックの技術面を勉強したいと思っていましたが、実際に入ってみると思っていた授業とは違い、数学的な理論を学ぶ授業でした。
大学時代はジャズ研究会に入ろうと思っていましたが、人見知りだったこともあってサークル活動などはおこなっていませんでした。
大学3年生になると周囲は就職活動をはじめており、周りが進路が決まっていく中で高木さんは取り残されて行ったとのことです。
会社員は無理と思っており、考えれば考えるほどピアノという選択肢しか残らなくなっていました。
大学4年生の頃には卒業に必要な単位はほとんど取得していたことから、時間はたくさんありました。
そのため高木さんはプロフェッショナルシンセサイザーを購入して、曲作りに励んでいます。
またライブハウスやピアノバーで演奏をしており、少しずつピアノを演奏できる場が広がっていきました。
そして高木さんは大学卒業後はハウス系のユニット「Inner City Jam Orchestra」のキーボード奏者としての活動をしています。
また単独でもジャズピアニストとして活動しており、25歳だった2009年にファーストアルバムをリリースしています。
美人ピアニストとしても知られており、写真集やグラビアも好評です。
今後のさらなる飛躍にも期待が高まります。
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