吉田拓郎の学歴と経歴|出身は広島商科大学・広島皆実高校!中学校の偏差値と若い頃のかっこいい画像

 

シンガーソングライターの吉田拓郎さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「フォークの神様」とも呼ばれる吉田さんはどのような学生時代を送ったのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします

 

吉田拓郎(よしだ たくろう)

 

 

194645日生

身長176.5

血液型はA

 

広島県広島市出身のシンガーソングライター

本名同じ、旧芸名はよしだたくろう

妻は女優の森下愛子、元妻は女優の浅田美代子

 

以下では吉田拓郎さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

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目次

吉田拓郎の学歴まとめ

 

出身大学:広島商科大学 商学部商業学科

出身高校:広島県立広島皆実高校

出身中学校:広島市立翠町中学校

出身小学校:鹿児島市立谷山小学校→広島市立皆実小学校

 

吉田拓郎の学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:広島県 広島市立皆実小学校

※入学は鹿児島市立谷山小学校

 

 

吉田拓郎さんの出身小学校は、地元広島市内の公立校の皆実小学校です。

 

家族構成は両親と兄、姉の5人家族です。

 

生まれたのは鹿児島県大口町で、最初に入学したのは鹿児島市立谷山小学校です。

 

この小学校では同じ学年に歌手の西郷輝彦さんがいました。

 

小学校3年生の頃から一家で広島市に移住しています。

 

母親が華道と茶道の先生だったことから、吉田さんも小学校時代は母親から華道と茶道を習っています。

 

また歌謡曲好きだった姉の影響で当時から音楽にも親しんでいました。

 

吉田拓郎の学歴~出身中学校の詳細

 

出身中学校:広島県 広島市立翠町中学校 偏差値なし

 

 

吉田拓郎さんの出身中学校は、地元広島市内の公立校の翠町(みどりまち)中学校です。

 

この中学校に在籍した当時は1学年上に映画監督の長谷川和夫さんがいました。

 

吉田さんは中学時代から兄の影響で洋楽を聴きはじめています。

 

【主な卒業生】

森島寛晃(サッカー元日本代表)

 

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吉田拓郎の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:広島県 広島皆実高校 普通科 偏差値59(中の上・現在)

 

 

吉田拓郎さんの出身高校は、県立の共学校の広島皆実(みなみ)高校です。

 

この高校は1901年開校の伝統校で、サッカー部が全国的な強豪として知られています。

 

また現在は衛生看護学科(偏差値57)と体育学科(偏差値44)も設置されていますが、吉田さんが在籍した当時は普通科(現在の偏差値は59)のみの設置です。

 

高校時代の吉田さんは写真部に在籍しています。

 

 

また高校時代はインストゥルメンタルバンドを結成して、ウクレレを担当しています。

 

高校時代にボブ・デュランの「風に吹かれて」に衝撃を受けて、歌手になることを決意しています。

 

 

なお吉田さんはボブ・デュランをマネて家出もしたことがあるとインタビューで話しています。

 

「ボブディランの真似をしようっていうんで、家出を何度もしてたりすると俺もしなきゃ、とか思うんだね。ほいで俺なんか母親に「明日家出します」って言って家出するっていうね。わけのわかんない家出をね、23回してるんですよ。ギターを抱えて山陰地方を周るっていう。島根、鳥取を周って、砂丘を見てねギター弾きながら、うーんフォークだ、とか思ってるわけ、形だけで」

 

加えて高校時代から曲作りをはじめており、好きな女の子ができるたびに曲を作って渡したというエピソードが残っています。

 

ちなみに吉田さんは高校3年生の時には既に彼女がいました。

 

【主な卒業生】

奥田民生(ミュージシャン)

為末大(元陸上選手)

森山あすか(お笑い芸人)

 

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吉田拓郎の学歴~出身大学の詳細

 

出身大学:広島商科大学 商学部商業学科 偏差値42(現在・容易)

※現在は広島修道大学

 

 

吉田拓郎さんの高校卒業後は、広島商科大学に進学しています。

 

この大学は現在は広島修道大学になっており、OBにはお笑いコンビ「アンガールズ」の山根良顕さんらがいます。

 

また2008年に大学の敷地内に、卒業生である吉田さんの歌碑が設置されています。

 

 

吉田さんは大学ではカントリー&ウエスタン部と応援団に在籍していました。

 

また中学時代の同級生とバンドを結成して、ドラムスを担当していました。

 

バンドはコンサートを開いて、ビートルズのコピーやオリジナル曲を披露しています。

 

大学1年生だった1965年に上京して渡辺プロダクションにバンドを売り込んでいますが、まったく相手にされませんでした。

 

 

吉田さんは大学2年生の頃からアマチュアのソロ歌手として活動を開始して、コロムビアレコード主催のフォークコンテストでは中国大会2位、全国3位の成績を残しています。

 

そのため「和製ボブ・デュラン」の呼び声もありましたが、プロデビューにはつながりませんでした。

 

大学4年生の時にはフォークサークル「広島フォーク村」を結成すると地元広島で話題になって、中国放送でラジオ番組のDJを担当したりNHK広島の音楽番組にも出演しています。

 

 

24歳だった1970年にデビューしていますが、翌年にリリースした「人間なんて」がヒットしてフォークの寵児になっています。

 

 

以降は「結婚しようよ」や「旅の宿」などの数々のヒット曲をリリースして、フォークの第一人者となっています。

 

 

また森進一さんや西城秀樹さん、キャンディーズなど幅広いアーティストに楽曲を提供していることでも知られています。

 

以上が吉田拓郎さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

1977年に当時のアイドル歌手だった浅田美代子さんと結婚した際には、大きな話題となっています。

 

 

もはやフォークの大御所といった存在で、これまで数々の名曲をリリースしています。

 

また作曲家として他の歌手やアーティストへの提供曲も多く、森進一さんの「襟裳岬」などの作曲でも知られています。

 

現在でも高い人気を誇っており、末永い活躍を期待したいところです。

 

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