「アパホテル」社長の元谷芙美子さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。「私が社長です」のキャッチフレーズで知られる元谷さんですが、どのような学生生活を送ってきたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
元谷芙美子(もとや ふみこ)
1947年7月8日生
身長非公表
血液型はO型
福井県福井市出身の実業家、アパホテル社長
以下では元谷芙美子さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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元谷芙美子の学歴まとめ
出身大学院:早稲田大学大学院 公共経営研究科
出身大学:進学せず→法政大学 人間環境学部
出身高校:福井県立藤島高校
出身中学校:福井市立進明中学校
出身小学校:不明
元谷芙美子の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
元谷芙美子さんの出身小学校は、地元福井市内の公立校のようですが校名などは不明です。
元谷さんは自身のことについて、「強運の持ち主」と表現することがよくあります。
その理由として、当時は戦後の食糧難に悩まされており、とても貧しい暮らし強いられていました。
さらに生まれてきた時は、未熟児で瀕死の状態だったのです。
それでも生き延び、さらに1948年に起きた福井大地震では、お仏壇がすっぽりあかちゃんだった元谷さんを被さるように倒れてきたことで助かったのです。
体も弱かったため過酷な幼少期でしたが、勉強は得意で小学生の頃は優秀な成績を収めていました。
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元谷芙美子の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:福井県 福井市立進明中学校(有力) 偏差値なし
元谷芙美子さんの出身中学校は、地元福井市内の公立校の進明中学校が有力です。
元谷さんは中学時代から学校内では目立った存在でした。
中学1年生の頃は生徒会の応援演説で注目を集め、2年と3年次には8割近くの投票を得て副生徒会長として活動されていた経験があります。
この頃から全体を引っ張っていくようなリーダー気質だったのかもしれません。
本人曰く「中学時代の同級生で、私のことを知らな人はいないと思う」と語っています。
この頃から活発的な生徒でした。
放送部や弁論部、生徒会、さらにお習字の習い事までしており充実した学生生活を送っていました。
【主な卒業生】
清原亜希(ファッションモデル)
阿部真由美(フリーアナウンサー)
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元谷芙美子の学歴~出身高校・大学の詳細
出身高校:福井県 藤島高校 偏差値71(超難関・現在)
元谷芙美子さんの出身高校は、県立の共学校の藤島高校です。
この高校は1855年開校の福井藩校・明道館がルーツの伝統校で、古くから福井県内ではトップクラスの進学校として知られています。
2019年度の同校の主な進学実績は次のようになります(浪人生含む)。
東京大学:9名
京都大学:20名
大阪大学:18名
名古屋大学:12名
早稲田大学:36名
慶応義塾大学:13名
立命館大学:105名
同志社大学:46名
元谷さんはこの高校に一般受験で入学しており、かなりの学力を有していました。
また高校時代は進学クラスに在籍しており、成績は優秀で将来教員になるという大きな夢がありました。
そのため高校在学中はお茶の水女子大学への進学を考えていました。
しかし父親が体調を崩してしまい実家の経済的状況は悪化。
大学進学の夢を諦めざるを得なくなってしまいます。
なんとこの時進学クラスで大学へ進まなかったのは元谷芙美子さんただ1人だったようで、周りからも驚かれたようです。
ですが、この結果にもポジティブに考えていました。
元谷芙美子さんは3人兄弟の長女だったこともあり「自分が大学へ進学してしまったら、妹たちが高校へ進学できなくなってしまう」「自分だけがやりたい事をして幸せになるのは間違っている」と思ったのです。
さらに当時から学ぶことが大好きで学校で学ぶ全教科に全力を注いでいたと言います。
「生きていく上で大切なものだと思ったから」と感じ、大学で学ぶことが全てではないと思えたと話しています。
【主な卒業生】
岡田啓介(元内閣総理大臣)
俵万智(歌人)
中垣内祐一(バレーボール元日本代表)
大学には進学していない
そして元谷芙美子さんは高校卒業後は大学などに進学せずに、福井信用金庫に就職します。
この当時「女性は結婚したら仕事を辞めるのが普通」という考えが一般的でしたが、それでも長く勤務することが可能だったという理由で信用金庫を選んだそうです。
その後北陸一帯に拠点を置いた金融機関の組合の会合にて、小松信用金庫に勤務していた現在の夫・元谷外志雄さんと出会うことになります。
ふたりは結婚をし元谷さんが22歳の時に第一子を妊娠中でしたが、出産間近まで起業直後の夫・外志雄さんを助けたそうです。
そして出産後、営業職へと復帰し営業成績トップに輝きます。
育児に家事、さらには仕事と超多忙な毎日を送っていましたが「営業職がとにかく楽しかった」「天職に出会うことができて、本当に幸せだった」とインタビューで話してます。
1970年に結婚後、翌年の1971年に外志雄さんが起業したアパ株式会の元となる「信金開発株式会社」の取締役を任されます。
さらにその3年後の1994年にはアパホテル株式会社取締役社長に就任します。
この頃、アパホテル部門の業績は会社全体でもあまり良くなく、利益が出ていない状態でした。
そこで元谷さんは社長就任式で「3年以内に黒字にしてみせる」と発言します。
この頃からアパホテルの広告塔としてCMやメディアに出演をしはじめますが、これは元谷さんが望んだことではなく、夫の外志雄さんの戦略です。
はじめてCMに出演した際には全国のアパホテルに苦情が殺到しましたが、それは注目を集めた裏返しだったので外志雄さんはニンマリだったとのこと。
ちなみに元谷さんはCMへの出演を打診された当初は、頑なに拒んだそうです。
そのためしぶしぶと出演しましたが、その後は数々のバラエティ番組などにも出演しています。
元谷さんは2001年には学生の頃に夢見ていた「大学進学」を実現する意向を固めます。
そして法政大学人間環境学部(偏差値58)に54歳で入学し、2005年に無事卒業。
在学中には秘書を同席させ授業内容をノートに書かせるという行為が問題となり、厳重注意を受けた経験がります。
その後は早稲田大学大学院公共経営研究科に入学、2006年3月に修士号を取得しました。
本人曰く、そのまま博士課程に進学し、修了したと話しているのですが博士号を取得したという確実な記録が残っていないため、実際には修了はしていません。
以上が元谷芙美子さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
アパホテルの社長に就任後は「私が社長です」のキャッチフレーズのもと、派手な帽子でメディアに登場することで知られています。
また社長業やメディア出演のほか、執筆や講演活動でも知られています。
国内でも有数の「名物社長」だけに、末永い活躍を期待したいところです。
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