人気お笑い芸人の有吉弘行さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。有吉さんは高校時代は柔道部だったにも関わらず、ニセ陸上部として駅伝大会に出場したこともありました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
有吉弘行(ありよし ひろいき)
1974年5月31日生
身長172㎝ 体重62㎏
血液型はA型
広島県熊野町出身のお笑いタレント、司会者
本名同じ
以下では有吉弘行さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます
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有吉弘行の学歴まとめ
出身大学:進学せず
出身高校:広島県立熊野高校
出身中学校:熊野町立熊野東中学校
出身小学校:熊野町立熊野第一小学校
有吉弘行の学歴~出身小学校(熊野町立熊野第一小学校)の詳細
出身小学校:広島県 熊野町立熊野第一小学校
有吉弘行さんの出身小学校は、地元熊野町内の公立校の熊野第一小学校です。
家族構成は両親と4歳下の弟の4人家族です。
以前インスタグラムで幼少期の写真を公開したところ、「かわいい」と話題になっています。
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なお「弘行(ひろいき)」という名前は本来は「ひろゆき」でしたが、父親が出生届に誤って記載したことからこの名前になっています。
ちなみにその際には父親は酔っぱらっていたそうです。
実家は特産品の熊野筆の軸を製造する工場を経営していました。
ただし工場の経営が傾いたこともあり、あまり裕福な家庭には育っていません。
有吉さんは意外にも幼少期は人見知りで、小学校に上がるまでは友達がほとんどいませんでした。
子供の頃から足が速く、小学校時代は陸上に打ち込んでいました。
当時は短距離ばかりではなく、マラソンも得意でした。
小学校時代には野球もやっており、当時から広島カープのファンです。
また当時からゲームが好きで、現在でも芸能界随一のゲーマーとして知られています。
加えて小学校時代は毎年のように学級委員を務めるなど、模範的な生徒だったようです。
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有吉弘行の学歴~出身中学校(熊野町立熊野東中学校)の詳細
出身中学校:広島県 熊野町立熊野東中学校 偏差値なし
有吉弘行さんの出身中学校は、地元熊野町内の公立校の熊野東中学校です。
中学時代は野球部に在籍していました。
そのため中学時代は髪型は丸坊主でした。
ちなみに有吉さんは小学校時代は陸上をおこなっていましたが、嫌いな先輩が陸上部にいたのであえて野球部に入部しています。
また後に「猿岩石」を結成することになる森脇和成さんは中学校・高校の同級生です。
ただし2人ともあまり真面目に部活動をおこなっていなかったそうです。
有吉さんは当時から校内でモノマネなどをおこなって人気者でした。
ただし中学校の同級生は当時は人が嫌がるモノマネをしていたとインタビューで話しています。
またこの頃から将来はお笑い芸人になることを意識したそうです。
ちなみに有吉さんは中学3年生の時に学校で「ケイドロ」(鬼ごっこ)をしていて、3階のベランダから落ちそうになったエピソードをバラエティ番組で語っています。
加えて当時から熱狂的なプロレスファンだったことから、中学時代に新日本プロレスの事務所所属の選手に「サインください」と一言だけ書いた往復はがきを手当たり次第に送っています。
すると獣神サンダー・ライガー選手だけからサインが送られてきました。
当時の有吉さんはライガーさんのファンではありませんでしたが、嬉しかったとインタビューで述べています。
【主な卒業生】
石田千穂(STU48)
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有吉弘行の学歴~出身高校(広島県立熊野高校)・大学の詳細
出身高校:広島県 熊野高校 偏差値40(容易)
有吉弘行さんの出身高校は、県立の共学校の熊野高校です。
この高校は1977年開校の県立高校です。
有吉さんはプロレス好きが高じて、高校時代は柔道部に所属しました。
ただし当時のこの高校の柔道部は弱小で、試合に出たくないのでわざと柔道着を忘れる部員もいたほどです。
また有吉さんも他校との合同合宿で他の部員と遊んでいたところ、他校の顧問の教師が激怒して正座をさせられたことがありました。
ちなみに有吉さんが柔道部に入ったのはプロレスごっこがやりたかったからで、真面目に練習をしたことはないとも語っています。
加えて当時のこの高校の陸上部の顧問教師が陸上部の自慢ばかりで気に食わなかったことから、有吉さんは友達を誘って町内駅伝大会に「熊野高校 陸上部チームA」という名前であえて私服でグダグダに走ったことがありました。
陸上部の悪評を広めるためにこのようにしたのですが結果は最下位で、多少は悪評も広まったそうです。
ただしその後にバレて怒られたとのこと。
その一方で有吉さんはお笑い好きで、クラスで漫談をやったりしたので女子からは人気があったそうです。
また当時から女子に「バカ」や「ブス」などの毒舌を吐いていましたが、さりげなくエスコートするのに長けておりモテていました。
そのため女子から告白されていましたが、学生時代はすべて断っており女子と交際したことはありませんでした。
当時からお笑い芸人を志しており、毎日ビデオで録画したお笑い番組を見て研究していました。
高校3年生だった1992年12月に「EXテレビ」の企画の公開弟子入審査会に合格して、オール巨人さんに弟子入りすることが決まりました。
【主な卒業生】
石田千穂(STU48)
大学には進学していない
そして有吉さんは高校卒業後は、大学などに進学していません。
高校卒業後はオール巨人さんの下に弟子入りして、本格的にお笑い芸人を目指しています。
ところが有吉さんは弟子時代は、全くダメだったとインタビューで話しています。
「ダメだね、気が利かないんだよね。おしぼり作っておいてって言われてもタイミングが、なんでもダメね。もう1人の弟子は上手にやるんだ。気が利くんだ。同じ18歳でも僕は全然気が利かない。どうしてこんなに気が利かないかなっていうくらい気が利かない。人の気持ちがわからない」
記事引用:マイナビニュース
その際には車の運転を誤って金網にぶつけたり、エレベーターの「開」を押すところ「閉」を押してしまったなどの失敗を犯しています。
そのためオール巨人さんは弟子入りから8か月後に2年間社会勉強して帰ってきなと言って、事実上の破門を言い渡しています。
ちなみに有吉さんは「猿岩石」としてブレイク後に、相方の森脇さんとともにオール巨人さんに土下座をして謝罪して和解しています。
「僕に会うのがめっちゃ怖かったんですって。売れてから初めて会った時、二人して土下座したんですよ。その時、森脇くんには、君は関係ないから立ちなさいと言いました」
記事引用:ORICON
また兄弟子とのトラブルから勝手に上京しいきなり太田プロダクションに電話して、その1年後に正式に所属となります。
有吉さんはその後に森脇さんとお笑いコンビ「猿岩石」を結成して、20歳だった1994年にデビューをしています。
すると1996年に「進め!電波少年」のヒッチハイク企画で大ブレイクしています。
その際にはCDや書籍も売れまくり、社会現象を巻き起こしたほどでした。
ちなみにこの際にリリースした「白い雲のように」はミリオンセラーとなって、日本レコード大賞の新人賞を受賞しています。
またブレイク時は月収が2000万円だったことを、バラエティ番組に出演した際に明らかにしています。
しかし有吉さんも天狗になってしまったことから猿岩石は人気が急落して、2004年に解散しています。
その後は広島県を中心にピン芸人として活動していましたが、33歳だった2007年に毒舌芸人として再ブレイクしています。
ちなみに2008年に女優の菊川怜さんに「高学歴アンパンマン」や「行き遅れ」、「人生ラストチャンス」などの毒舌を吐いた際には菊川さんに号泣されてしまい、その後に謝罪する騒動となっています。
謝罪の際には有吉さんがにやけ顔だったことから菊川さんが激怒していますが、後にお互い謝罪して事なきを得ています。
とは言え以降は数々のバラエティ番組に出演する人気芸人になっています。
そして2021年4月に、かねてから交際していたフリーアナウンサーの夏目三久さんとの結婚を発表して大きな話題になっています。
この際には有吉さんと夏目さんの連名で、次のようなコメントを出しています。
「柄にも無いことで少々恥ずかしいのですが、この先こういうことはないと思いますので、ご報告させて頂きます。この度私達 有吉弘行と夏目三久は令和三年四月一日に結婚いたしました。今後は二人で力を合わせて穏やかで、幸せな家庭を築いてまいります。これまでの多くの方に支えられ、今の仕事をさせていただけることを大変感謝しています」
記事引用:朝日新聞デジタル
以上が有吉弘行さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
猿岩石のメンバーとしてデビュー後は大ブレイク→人気急落→再ブレイクとジェットコースターのような人生を辿ることになりますが、今や日本でも売れているタレントの代表格のような存在となりました。
そんな有吉さんも再ブレイクがあったのは、低迷期に耐えたことだと語っています。
現在では数々のバラエティー番組のMCや司会を務めるほどの人気芸人となっていますから、末永く活躍してほしいところです。
有吉弘行の経歴
1974年(0歳):広島県熊野町で生まれる
1981年(7歳):熊野町立熊野第一小学校入学
1987年(13歳):熊野町立熊野第一小学校卒業
1987年(13歳):熊野町立熊野東中学校入学
1990年(16歳):熊野町立熊野東中学校卒業
1990年(16歳):広島県立熊野高校・普通科に入学
1993年(19歳):広島県立熊野高校・普通科を卒業
1994年(20歳):お笑いコンビ「猿岩石」を結成しデビュー
1996年(22歳):「進め!電波少年」の旅企画に起用されてブレイク
1996年(22歳):「白い雲のように」をリリースしオリコン3位を記録
1996年(22歳):日本レコード大賞の新人賞を受賞
2004年(30歳):コンビ「猿岩石」を解散
2011年(37歳):ニホンモニターの調査の「2011年テレビ番組出演本数ランキング」で出演総本数499本を記録し1位となる
2021年(47歳):フリーアナウンサーの夏目三久と結婚
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