お笑いコンビ「トータルテンボス」の藤田憲右さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は藤田さんは高校時代まで野球をおこなっており、主力選手として活躍していました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
藤田憲右(ふじた けんすけ)
1975年12月30日生
身長180㎝
血液型はA型
静岡県御殿場市出身のお笑い芸人
お笑いコンビ「トータルテンボス」のツッコミ担当
本名同じ
以下では「トータルテンボス」藤田憲右さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介します
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藤田憲右の学歴まとめ
出身大学:中央学院大学 商学部(中退)
出身高校:静岡県立小山高校
出身中学校:御殿場市立南中学校
出身小学校:御殿場市立御殿場南小学校
藤田憲右の学歴~出身小学校(御殿場市立御殿場南小学校)の詳細
出身小学校:静岡県 御殿場市立御殿場南小学校
藤田憲右さんの出身小学校は公立の御殿場市立御殿場南小学校です。
小学5年生の時までは公立の名古屋市立旭出小学校に通っており、この小学校には転入しています。
転入した時に太っており身長168cmで体重が70kgだったことから、大村さんの藤田さんの第一印象は「でけえ!」と感じたそうです。
家族構成は両親と妹の4人家族です。
父親は物静かな人で、母親は典型的な肝っ玉母ちゃんだったそうです。
小学3年生の時から野球をやっていましたが、始めた理由についてインタビューで次のように話しています。
「通っていた小学校が、3年生から部活に入らなきゃいけないっていう決まりのある学校で、当時仲の良かった友達がみんな野球部に入るって言うから、僕もなんとなく……という感じでした。」
記事引用:ALPEN GROUP MAGAZINE
前に通っていた学校では小学3年生から部活動に入るのが強制で、このような理由だったため当初は野球に興味がなく、ルールさえも知らないという状況でした。
そして小学4年生の夏休みにたまたま友人の自宅で甲子園を見たそうで、かっこいいと衝撃を受けたことで自分も野球を頑張ってみようと思ったそうです。
藤田憲右の学歴~出身中学校(御殿場市立南中学校)の詳細
出身中学校:静岡県 御殿場市立南中学校 偏差値なし
藤田憲右さんの出身中学校は、地元静岡県御殿場市内の公立校の南中学校です。
相方の大村さんとは小中学校の同級生で同じクラスになったこともありました。
中学時代も野球部に在籍しており、ポジションはキャッチャーでした。
中学時代の最後の試合についてインタビューで次のように話しています。
「初戦で負けそうだったところで、僕は記念代打みたいな感じで試合に出ました。そしたら、サヨナラヒットを打てて逆転勝ちしたんです。」
そしてその後は藤田さんが投げて勝ち進んだそうで、ベスト4で敗北したそうです。
【主な卒業生】
なえなの(YOUTUBER)
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藤田憲右の学歴~出身高校(静岡県立小山高校)の詳細
出身高校:静岡県 小山高校 偏差値49(やや容易)
藤田憲右さんの出身高校は、県立の共学校の小山(おやま)高校です。
この高校は1979年開校の中堅県立高校です。
藤田さんは高校時代は硬式野球部に在籍しており、部活動に打ち込んでいます。
高校3年生の時にエースを務めており、夏の地方大会で2試合連続1安打完封勝利をおさめています。
当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「いや、相手に恵まれたところもあったんですけどね。1試合目はフォアボールを8個くらい出してたんですよ。ランナーも出てたし、内容も悪かったんで。だから必死でなんとかしなきゃって思いましたね。2試合目は3回くらいに打たれたのかな。それで、これはしっかりと抑えなきゃって。結局、2試合目も勝ったんですけど、静岡大会は3回戦からシード校が出てくるんですよ。僕らの3試合目の相手が強豪の静岡商業で、そこに負けちゃいました」
記事引用:Fun!J:COM
また初めてアルバイトをしたのが高校1年生の時だったそうで、インタビューで次のように話しています。
「初めてのアルバイトは高校1年の冬休み、二人で一緒にやりましたね。地元の焼肉屋でした。とはいっても、忙しい時期だけの短期バイトで1週間ぐらい。僕が厨房で、大村がホールで。」
記事引用:バイトル
野球の練習はそれほど厳しくはなかったそうで、アルバイトをする余裕があったのでしょう。
なお大村さんとは高校も別々でしたが、当時から仲良しでした。
加えて当時の藤田さんは大学でも野球をやるつもりで関東の大学のセレクションを受けていますが、ことごとく落ちてしまっています。
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藤田憲右の学歴~出身大学(中央学院大学)の詳細
出身大学:中央学院大学 商学部(中退) 偏差値44(容易)
藤田憲右さんは高校卒業後は、中央学院大学に進学します。
ただし現役での合格ではなく、1年間の浪人生活を経ての進学です。
ちなみに現役時代は野球でのスポーツ推薦での大学進学を狙っていましたが、東北にある大学しか合格しなかったことをインタビューで話しています。
「1校、東北にある大学に受かったんですけど、僕は関東に出たかったので悩んだ末に入らなかったんですよね。落ちた大学を勉強のほうで目指そうと受験もしたけれど、全部落ちちゃって。」
記事引用:スポーツナビ
ちなみに浪人時代は遊んでしまったことから、この大学には補欠で合格しています。
藤田さんは大学では商学部に在籍していました。
前記のように小学生時代から野球をやってきたため、大学でも続けようと考えていましたが1浪したことで大学時代は野球をやっていません。
現役で大学に入学をしていれば野球は続けていましたが、1度落ちてしまったことで心が折れてしまったようです。
また年下の子と野球をやるのも違うと感じたそうです。
なお相方の大村さんは別の大学に通っていましたが、同じアルバイトをするなど大学時代にも交流がありました。
野球を辞めてしまったことから藤田さんは大学に入学後もゲームなどをする日々で、当時のことを次のようにインタビューで振り返っています。
「大学に入ったもののずっとドラクエをやる日々でした。でも、それくらいの時期って自分の将来を考えるじゃないですか? 僕はずっと自分は有名になれると思っていたんですけど、このままだと平々凡々とした人生を歩むなぁと現実を知った瞬間、大村から芸人の誘いが来て。」
記事引用:ライブドアニュース
藤田さんも相方である大村さんも昔から人を笑わすことが得意だったことから、2人なら有名になれるかもしれないという思いを抱き、お笑い芸人を志すことを承諾したそうです。
大学3年生の時に吉本総合芸能学院(NSC)に入学し、大村朋宏さんとお笑いコンビ「トータルテンボス」を結成しました。
(右端が藤田さん、左端が大村さん)
そしてその後は本格的にお笑い芸人の道を目指すために大学を中退しました。
デビュー当初はまったく売れず、また借金も膨らむなどしたため、結成3年目には解散も考えています。
ところが2人で深夜のレンタカー屋でアルバイトをしたところ、ネタ合わせなどをおこなったことから漫才もいい感じになったとインタビューで話しています。
その後はM‐1グランプリなどのコンクールで実力を認められていくことになります。
以降は順調にキャリアを重ねて、人気お笑いコンビの仲間入りも果たしました。
また個人としてもなかなか貴重なキャラクターだけに、バラエティー番組などに多数出演しています。
2018年からはYOUTUBEにコンビのチャンネルを開設しており、こちらも好評になっています。
ちなみにこのチャンネルではドッキリや大食い、ゲーム実況などの企画をおこなっています。
以上が「トータルテンボス」藤田憲右さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
結成当初はコンビ解散の危機に瀕しましたが、その後はM-1グランプリなどの賞レースで頭角を現しています。
他にも藤田さんは俳優としても活動をしています。
今後のさらなる活躍にも期待です。
経歴/プロフィールの詳細
1997年に吉本総合芸能学院(NSC)東京校に3期生として入校し、同期には山田ルイ53世(髭男爵)らがいる。
同年4月に同期の大村朋宏とともにお笑いコンビ「トータルテンボス」を結成。
2004年にM‐1グランプリとNHK新人演芸大賞の決勝まで進出し知名度が上がる。
2007年のM‐1グランプリでは準優勝(優勝はサンドウィッチマン)
俳優としても活動しており、「危険なアネキ」や「電車男DELUXE」、「スリル」などのドラマに出演している。
私生活では2006年4月に一般人女性と結婚し、一男一女がいる。
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