美容研究家そして実業家として活躍しているたかの友梨さんの出身校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。進学校への入学を断念させられた高校時代や親せきの元をたらいまわしにされていた小学校時代など、学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
たかの友梨(たかの ゆり)
1948年1月22日生
身長非公表
血液型非公表
新潟県湯沢町出身の美容研究家
本名は髙野友梨
以下ではたかの友梨さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
たかの友梨の学歴~出身高校・大学の詳細
スポンサードリンク
出身高校:群馬県 前橋女子高校定時制 偏差値不明
※同校の定時制は廃止
たかの友梨さんの出身校は、県立の女子校の前橋女子高校です。
この高校は1910年開校の伝統校で全日制は県内の女子高きっての進学校(偏差値68)ですが、たかのさんが在籍した定時制は1966年に統合されて廃止されています。
たかのさんは中学時代の成績は非常に優秀で当初は同校の全日制への進学を希望していましたが、周囲の大人によって断念させられています。
というのも経済的な理由に加え、たかのさんは中学時代の先生の影響で社会主義的なイデオロギーを口にしていたことから高校に進学させると過激な活動に走るのではないかと思われたからです。
当時は安保闘争が激化していた時代だったこともあって、育ての親や祖母がこのように決めました。
そして2人は手に職をつけさせるために理容学校に進学させています。
とは言えたかのさんは勉強したいという希望を捨てられずに、懇願して前橋女子高校の定時制に進学することも認めさせています。
そのため高校時代は昼間は理容学校に通って、夜間は同校の定時制で学ぶという生活をしています。
ちなみにたかのさんは理容学校と前橋女子高校の定時制にはともにトップの成績で入学しており、どちらも入学式で新入生代表として式辞を任されています。
1年制の理容学校を卒業すると、以降は前橋市内の理容店で働きながら高校に通学しています。
定時制高校から帰宅後にカミソリやコテの練習をしていたことから、当時の睡眠時間は2、3時間だったとインタビューで述べています。
また当時の職場の先輩からは学校に通っているということだけでいじめられたそうです。
そしてたかの友梨さんは高校卒業後は大学には進学していません。
その頃には努力の甲斐もあって群馬県の理容コンクールには出れば入賞という実力をつけています。
20歳の時には日本一の理容師を目指し前橋市から上京し、昼間は理容店に勤務しながら夜は居酒屋でアルバイトをしています。
また「これからの理容は美容の知識と経験が必要になる」と考えて、山野美容学校の通信制に入学して美容師の免許の取得も目指しています。
そんなハードな生活をしていたことからたかのさんは若い頃からニキビに悩まされていました。
そのため化粧品店のビューティーアドバイザーにニキビの相談を重ねていくうちに、ビューティーアドバイザーになることを勧められています。
また当時は理容師になるために1か月間のスクーリングがあったのですが、勤務先の理容店は協力的でなかったことからすっぱりと理容師を辞めてしまっています。
以降は外資系化粧品会社にビューティーアドバイザーとして勤務していますが、24歳だった1972年に当時は日本では馴染みのなかったエステティックを学ぶためにフランスに渡っています。
ちなみにエステティックを学ぶきっかけになったのは、当時の日本マクドナルドの社長だった藤田田氏の著書「ユダヤの商法」の中に「女と口を狙え!」とのフレーズがあり女性と食べ物の商売は必ず当たると書いてあったからです。
そして8か月間の研修を経て帰国後にたかの友梨ビューティークリニックを設立。
その後は様々なアイデアで実業家として成功を収めています。
スポンサードリンク
たかの友梨の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:前橋市内の公立中学校(校名不明)
たかの友梨さんの出身中学校は、前橋市内の公立中学校ですが校名などは不明です。
ただし当時の前橋市内には前橋市立第一中学校から前橋市立第六中学校まで6つの中学校があったことから、この中のいずれかです。
前述のようにたかのさんは中学時代に革新的な考えを持つ教師の影響を受け、家でも「人間はもっと平等で文化的な生活をする権利がある」などの主張をしたとインタビューで述べています。
(中学時代)
また他の先生の影響で中学時代は島村藤村の詩に夢中になっています。
たかのさんは中学時代は当時の親友と「一緒に前女(前橋女子高校の略称)に行こうね」と約束していましたが、前記のとおりその約束は実現されませんでした。
スポンサードリンク
たかの友梨の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
たかの友梨さんの出身小学校は、前橋市内の公立校ですが校名などは不明です。
家族構成は両親と3姉妹ですが(たかのさんは次女)、姉妹はともに医師の父親と看護婦の母親の不倫の末に生まれた子です。
その後に実母は実父と別れるように取り計らわれて他の男性と結婚したことから、たかのさんは幼少期に親戚筋を転々と預けられて、最終的には養母に引き取られています。
中学を卒業するころまでは養母を実の母親と思っていました。
養母は後に再婚するのですが、新しい養父とは折り合いが悪かったとインタビューで話しています。
たかのさんはその後も養母の仕事の都合などで実母の母親(祖母)の家などを転々としてことから、小学校時代は6回も転校を経験しています。
中学校に上がる頃に既に離婚をしていた養母とふたたび2人で暮らせるようになったそうです。
以上がたかの友梨さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
美容研究家や実業家としての成功は周知のとおりで、現在でも様々なメディアに出演しています。
既に年齢は70歳を超えていますが現在でも精力的に活動しており、末永い活躍を期待したいところです。
スポンサードリンク