ファッションデザイナーのコシノジュンコさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実はコシノさんは高校時代までは画家を目指していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
コシノジュンコ
1939年8月25日生
身長非公表
血液型はA型
大阪府岸和田市出身のデザイナー
本名は小篠順子(読みは同じ)
以下ではコシノジュンコさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
経歴/プロフィールの詳細
19歳だった1960年に、若手デザイナーの登竜門の「装苑賞」を史上最年少で受章。
以降は人気ファッションデザイナーとして活躍して、1966年に東京・青山にブティック「COLETTE」を開店。
1978年にパリコレクションに初参加。
1985年に北京で中国最大のファッションショーを開催して成功させる。
その後もベトナムやキューバで外国人デザイナーとしては世界初のショーを開催。
2011年より花園大学の客員教授に就任。
私生活では24歳の時にカメラマン志望の男性と結婚するも、その後に離婚。
1975年にヘアデザイナーの鈴木弘之氏と再婚して息子がいる。
コシノジュンコの学歴~出身大学(文化服装学院)の詳細
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出身大学:専門学校 文化服装学院 偏差値なし
コシノジュンコさんは高校卒業後は、専門学校の文化服装学院に進学しています。
同校は1919年開校の服飾系の専門学校の伝統校で、これまで数多くのファッションデザイナーやモデルを輩出していることで知られています。
後述するようにコシノさんはかなりの進学校に通学していましたが、姉のコシノヒロコさんの背中を追ってファッションデザイナーになるために大学ではなくこの専門学校に進学しています。
ちなみに姉もこの専門学校の出身者です。
この専門学校には推薦入学をしています。
コシノさんは入学当初からファッションのプロになることを考えていましたが、周囲には花嫁修業の一環として通っている生徒が多かったことからあまり気が合わず授業も暇だったと言います。
当時のことについては、インタビューで次のように話しています。
「文化服装学院に推薦で入学し、目の前のことに一生懸命取り組みました。半年後はすでに先生の助手をやっていましたが、もちろん基礎はしっかり勉強していました。小さい頃から経験があったので、洋服に関しては全く怖くなかったです。」
当時の文化服装学院は共学になったばかりで花嫁修業して入学をしている女子よりも男子の方が「一生の仕事」として考えている人が多くいました。
コシノさんは自然と男子と行動を共にするようになりました。
ちなみに専門学校の同期には高田賢三さんやカネコイサオなど、後のファッション業界をリードする人材もおり、「花の9期生」と呼ばれています。
特に高田賢三さんとは親友であり良きライバルでもありました。
そしてコシノさんは19歳だった1960年に、史上最年少で若手ファッションデザイナーの登竜門と言われている装苑賞を受賞しています。
この賞の受賞で注目されたコシノさんは専門学校時代から、グループサウンズの衣装を手がけるようになります。
27歳だった1966年に青山にブティック「COLETTE」を開店しています。
そして1978年には「パリコレクション」に参加するようになり、以降は世界的なファッションデザイナーになっていきます。
またタレント活動もおこなっており、たびたびバラエティ番組に出演しています。
その他にもラジオのパーソナリティとしても活動して、冠番組にも出演しています。
今後もマルチな活動を展開していきそうですね。
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コシノジュンコの学歴~出身高校(府立岸和田高校)の詳細
出身高校:大阪府 岸和田高校 偏差値70(現在・超難関)
コシノジュンコさんの出身高校は、府立の共学校の岸和田高校です。
同校は1897年開校の伝統校で、古くからの進学校として知られています。
この高校には一般受験で入学しており、高い学力を有していました。
姉のコシノヒロコさんもこの高校の出身者ですが、3学年上なので在校期間は重なっていません。
高校時代は美術部に在籍をしており、入学当初は将来は画家を志していました。
当時のことについて次のように話しています。
「やはり小さいときから絵を描くことが好きでした。入学後、美術部に入りながら、外部でも油絵を習っていました。美大に入って画家になろうと、夢に向かってまっしぐらでした。」
高校2・3年生の時には文化祭のポスターを手掛けています。
そんな時に大阪市立美術館で開催された展覧会で出品した油絵が入選しており、この展覧会で高校生が入賞することは非常に珍しいことでした。
コシノさんはすっかり画家気分になったと言い、ベレー帽を斜めにかぶりチェックのフレアスカートを履いて美術館や公園にスケッチに行っていました。
毎日絵を描いていたことから絵の具の減りが早く、近所の喫茶店に絵をレンタルでしてもらい絵の具代を稼いでいました。
コシノさんはファッションは好きでしたが、仕事にしようとは考えておらず実家の洋裁店は同じ専門学校に通っている姉が継ぐものだと思っていました。
しかし高校2年生の時に文化服装学院の先生が自宅を訪れた際に飾っていたコシノさんの絵を見て、どうして母親と同じ道に進まないのかと尋ねてきたといいます。
コシノさんはファッション界の著名な先生の言葉に驚きを隠せずに、なぜファッションに道に進まないのか改めて考えてみたところ姉の後をついていくのが嫌なだけだったのかもしれないと気づきました。
コシノさんは第三者からの違った角度からのアドバイスでファッションの道に進んでみようと決心しました。
なお高校時代も非常に活発で、地元岸和田の「だんじり祭り」に参加して一番山車を引いているほどです。
【主な卒業生】
高橋悦史(俳優)
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コシノジュンコの学歴~出身中学校(岸和田市立岸城中学校)の詳細
出身中学校:大阪府 岸和田市立岸城中学校 偏差値なし
コシノジュンコさんの出身中学校は、地元大阪府岸和田市内の公立校・岸和田市立岸城中学校です。
コシノさんは美術と体育は学年で1番を取るほどでしたが、意外にも中学時代は勉強は全くできませんでした。
母親から「勉強をしなさい」と言われたこともなく過ごしていましたが、中学2年生のときに突然「あんた、絶対に岸高やで」と言われました。
コシノさんの実家は洋裁店を営んでおり、岸和田高校の制服の指定店だったことからコシノさんがこの高校に進学をしてくれないと母親はメンツが立たないという理由で入学をしてほしいと考えていました。
当時のコシノさんの成績では到底行ける高校ではなかったことから、母親は家庭教師を雇って毎日帰宅をすると家庭教師が待っていたといいます。
その甲斐もあって難関の岸和田高校に合格しています。
コシノジュンコの学歴~出身小学校(岸和田市立中央小学校)の詳細
出身小学校:大阪府 岸和田市立中央小学校
コシノジュンコさんの出身小学校は、地元岸和田市内の公立校・岸和田市立中央小学校です。
3人姉妹の真ん中で、姉はコシノヒロコさんで、妹はコシノミチコさんです。
実家はコシノ洋品店を営んでおり、母親の小篠綾子さんもデザイナーでした。
子供の頃からかなり活発で、スポーツも得意でした。
その一方で放任主義で育てられたので、勉強はほとんどおこなっていませんでした。
以上がコシノジュンコさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
専門学校時代にファッションデザイナーとして頭角を現しています。
以降は国際的なデザイナーに成長しています。
本業以外にもDJを務めたり、アイドルグループのメンバーになるなど、何かと話題になっています。
末永い活躍を期待したいところです。
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