雅子さまの学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値と学生時代のかわいい画像

 

皇后・雅子さまの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。皇族の中でも高い人気を誇る雅子さまですが学業も非常に優秀で、まさに「超」のつくようなエリートでした。学生時代のエピソードや情報、当時のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

雅子さま

 

 

1963129日生

身長164

血液型はA

 

東京都港区出身の皇后

旧名は小和田雅子

 

以下では皇后雅子さまの出身大学や高校の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

目次

雅子さまの学歴~出身大学(ハーバード大学・東京大学)の詳細

 

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出身大学:ハーバード大学 経済学部 超難関

 

 

 

雅子さまの出身大学は、世界的な難関大学として知られるハーバード大学です。

 

この大学は常に世界大学ランキングのTOP10に入るほどの名門私立大学です。

 

また2018年の段階でノーベル賞受賞者48名、アメリカ大統領8名、32名の元留学生が国家元首になっています。

 

雅子さまはこの大学のほかにエール大学やプリンストン大学などのアメリカの名門大学に合格していますが、日本で就職するにはもっとも名前の通った大学に進学するのが有利と考えてこの大学に進学しています。

 

 

大学では経済学部に在籍して、数理経済学を専攻していました。

 

また大学時代はフランス語のサークルに入会するとともに、大学1年生の時には日本文化クラブを自ら設立するなどアクティブに活動しています。

 

このクラブでは浮世絵や能の紹介や黒澤明監督の映画の上映、日本食の試食会などを催して日本文化を紹介しています。

 

大学時代の成績は非常に優秀で、卒業時には成績優秀な学生に贈られる「マグナ・クム・ラウデ優等賞」を受賞しています。

 

 

経済学部の学生でこの賞を受賞したのは当時はまだ3人目でした。

 

アメリカの名門大学は入学よりも卒業のほうが遥かに難しいことで知られていますが、優等賞を受賞するほど学業に打ち込んでいます。

 

 

ちなみに大学の卒業論文はオイルショック後の日本政府の貿易政策を分析した「輸入価格ショックに対する外的調整:日本の貿易における石油」でした。

 

 

そして雅子さまはハーバード大学を卒業した1985年に、東京大学法学部(偏差値73・超難関)の3年生に外部学士入学しています。

 

この際の入学試験は100人が受験していますが、合格者はわずか3人という難関です。

 

日本に帰国して東大に入学したのは後のインタビューで「米国に残ったら根無し草になってしまうような気がして日本に帰りたかった」と述べています。

 

東大時代の友人が当時について次のように話しています。

 

「雅子さまとは、毎日のように大学の授業が終わったあと、近くの喫茶店でいまでいう“女子会”のようにたわいのないおしゃべりをしていました。雅子さまは、お気遣いも細やかで、ふだんは聞き役に回られることが多かったのですが、外交官を目指す理由をお聞きしたときに『どのような形であっても、世界的な視野で日本のために尽くしていきたいからです』とはっきりとおっしゃったことが印象に残っています」

 

 

そしてその年にこれもかなりの難関とされる外交官試験に合格しています。

 

ちなみにこの年の外交官試験は合格者は28名で、そのうち女性はわずか3名でした。

 

そのため翌年には東京大学を中退して、外務省に入省しています。

 

 

言うまでもなく公務員の国家Ⅰ種試験の中でも外交官試験(外務公務員採用Ⅰ種試験)は飛びぬけて難関で、それゆえ雅子さまが「究極のキャリアウーマン」や「エリート中のエリート」と呼ばれるゆえんです。

 

当時は外務省における女性初のキャリア官僚だったので、大きな話題になっています。

 

また入省した翌年にはイギリスのオックスフォード大学・ベリオールカレッジに公費留学しています。

 

帰国後は北米局北米二課に配属されていますが、激務のため徹夜での勤務や深夜に帰宅することもありました。

 

外務省時代には得意の英語力を活かして、竹下登さんや中曾根康弘さん、海部俊樹さんら歴代総理大臣の通訳も務めています。

 

 

1986年10月に外交官であった父親の小和田恆(ひさし)さんとともに、スペインのエレナ王女歓迎レセプションに参加した際に、はじめて当時の皇太子殿下と出会っています。

 

そして29歳だった1993年にかねてから親交のあった皇太子・徳仁親王(今上天皇)と結婚しています。

 

 

 

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雅子さまの学歴~出身高校(田園調布雙葉高校・ベルモントハイスクール)の詳細

 

出身高校:東京都 田園調布雙葉高校 偏差値65(難関・推定)

 

 

雅子さまが入学したのは、私立の女子校の田園調布雙葉高校です。

 

この高校は1941年開校のカトリック系のミッションスクールで、古くから「お嬢様学校」として知られています。

 

またこの高校に在学中は、1学年上に元フジテレビ・アナウンサーの長野智子さんも在籍していました。

 

 

雅子さまは外交官時代に好きな言葉として、この高校のフランス語の校訓である「SIMPLE DANS MA VERTU FORTE DANS MON DEVOIR」(徳においては純真に、義務においては堅実に)を挙げていました。

 

そして父親で外交官だった小和田恆さんがアメリカの日本大使館の勤務となったので、高校1年生の夏にアメリカに渡ることが決まります。

 

その際にはクラスメイトたちが転校する雅子さまのために、一致団結して合唱コンクールに臨んだことをメディアが報じています。

 

「海外へ旅立つ友のために何かできることはないのだろうか…。クラスメイトの皆がそう考えていた時、誰かがクラス対抗の合唱コンクールで、雅子さまへのはなむけとして思い出に残る合唱をしようと言い出した。するとクラス中が賛同し、一致団結して盛り上がったという」

 

(合唱コンクールの際のショット)

 

【田園調布雙葉高校の主な卒業生】

長島三奈(スポーツキャスター)

梅津弥英子(アナウンサー)

須黒清華(アナウンサー)

野田聖子(政治家・中退)

 

雅子さまは高校1年生だった1978年7月に渡米して、アメリカのベルモントハイスクール(偏差値なし)に編入しています。

 

 

 

この高校はアメリカのボストン州ベルモント市内にある公立校です。

 

アメリカの公立高校は基本的に住んでいる地域によって進学する学校が決まるので偏差値はありません。

 

また優秀な生徒は飛び級によって次々と学年を上げていきます。

 

ちなみに雅子さまは高校1年生の夏にこの高校に転校したので本来なら高校1年生のクラスに編入するのですが、勉強ができたことからいきなり飛び級して2年生のクラスに編入されています。

 

また1年間は英語を母国語としない外国人クラス(ELS)に在籍しています。

 

当時から非常に勉強熱心で、あだ名は「ブレイン(頭脳)」や「ハードワーカー・マサコ(勉強家のマサコ)」でした。

 

加えて第二外国語であるドイツ語の勉強も頑張っており、高校時代に「ドイツ領事賞」と「ゲーテ・インスティテュート賞」を受賞しています。

 

卒業時にはアメリカ政府が全米上位5%の成績優秀の生徒に贈る「ナショナル・オーナー・ソサイティ」を受賞するほどでした。

 

またこの高校時代ではソフトボール部と数学クラブに所属しています。

 

 

意外にも雅子さまはスポーツも得意で、ソフトボール部では主力選手として活躍しています。

 

この高校の代表チームのレギュラーになっています。

 

(雅子さまは前列右から4人目)

 

ポジションはセカンドで、4番打者でした。

 

地元の新聞に「スラッガー・マサコがヒットを打って、ベルモント・ハイスクールが試合に勝った」と三段抜きで掲載されたため、父親が驚いたというエピソードも残っています。

 

 

加えて在学中には地元の新聞紙に掲載される「成績優秀者」に常に掲載されています。

 

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雅子さまの学歴~出身中学校(田園調布雙葉中学校)の詳細

 

 

出身中学校:東京都 田園調布雙葉中学校 偏差値57(中の上)

 

 

 

雅子さまの出身中学校は、私立の女子校の田園調布雙葉中学校です。

 

この中学校は高校に併設されている系列校で、高校へは内部進学で進んでいます。

 

雅子さまは中学時代は同級生とともにソフトボール部をつくるなど、スポーツも大好きでした。

 

 

ソフトボール部のチームメイトたちは、当時について次のように話しています。

 

「お弁当を食べたら、すぐ外に出て行って、キャッチボールするとか。言葉には出さなくても、引っ張っていくお姿が雅子さまだと思う」

 

「割と控えめなお人柄ではあります。でも、いざというときには頼りになって、試合でも、オワ(雅子さま)がいてくれれば大丈夫みたいな安心感は常にあった」

 

なお雅子さまはポジションはサードを守っており中心選手として活躍して、強肩でした。

 

また中学3年生の時には区大会で優勝しています。

 

 

ちなみにその際には優勝カップにオレンジジュースを入れて、チームメイトと回し飲みをしたそうです。

 

また当時はプロ野球が大好きでした。

 

学校の近くにプロ野球・巨人軍の多摩川グラウンドがあったことから、友人らとたびたび練習を見学に行っています。

 

ちなみに当時は高田繫さんのファンでした。

 

また毎晩「プロ野球ニュース」を見てから就寝していたとのこと。

 

 

加えて当時から英語が得意で、スピーチコンテストでは学校の代表に選ばれています。

 

中学時代の同級生は次のようにインタビューで話しています。

 

「オワは自分から手を挙げるタイプではないのですが、英語の授業などで当てられると、本当にきれいな発音で話しました。担当のマザーが『素晴らしい』を連発し、オワをとてもかわいがっていました」

 

また当時から成績が非常に優秀で英語の成績は常に5で、他の科目もほぼ5で「オール5」に近かったとのこと。

 

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雅子さまの学歴~出身小学校の詳細

 

出身小学校:東京都 田園調布雙葉小学校

 

 

 

雅子さまの出身小学校は、私立の女子校の田園調布雙葉小学校です。

 

この小学校は1941年開校のキリスト教系の名門小学校として知られています。

 

家族構成は両親と双子の妹の5人家族です。

 

 

父親の小和田恆さんは東京大学教養学部からケンブリッジ大学大学院に進み、外務省の事務次官を務めるほどのエリートです。

 

また母親の優美子さんも慶応義塾大学を卒業後、エールフランス航空東京支社長秘書を経て小和田さんと結婚しています。

 

 

雅子さまは東京の港区出身ですが、2歳からは父親の仕事の都合でモスクワで暮らしています。

 

そしてスイスを経て4歳の時にアメリカのニューヨークに一家で移住しています。

 

小学校は現地の公立校のニューヨーク市立第81パブリックスクールに入学しています。

 

 

雅子さまはこの頃から英語の勉強をはじめていますが、わずかな期間で短い文章を覚えて先生の質問には完全に答えることができたとのこと。

 

英語のほかには、算数と図工が得意だったそうです。

 

またニューヨーク時代にピアノをはじめています。

 

加えてニューヨーク時代には日本語を忘れないために、市内の日本語学校にも通学していました。

 

小学校2年生だった1971年3月に一家で帰国したことから、目黒区立原町小学校に編入しています。

 

 

帰国直後に新宿区大久保の外務省の官舎に引っ越したことから、その年の5月には新宿区立富久小学校に転校しています。

 

 

なお父親の恆さんは小学校の頃から8年間日本で過ごせたことが、雅子さまにとってかけがいのないことだったとインタビューで話しています。

 

「雅子にとってとても幸いだったのは、帰国した小学校1年の終わりから高校1年の夏までの約8年半、ずっと日本で生活できたことです。外務省の場合は、おおよそ3~4年で海外に出ることが多いのですが、たまたま私が外務大臣秘書官や総理大臣秘書官を務めたために、普通のローテーションより長く日本にいることができたのです。もっとも基礎的な勉強をするこの時期に日本のことがきちっと身についたのは、雅子にとってかけがえのないことだったように思います」    

 

   

 

その後は家庭教師に習って、小学校3年生の時に田園調布雙葉小学校の編入試験に合格しています。

 

雅子さまがこの小学校に入学したのは、母親の優美子さんの母校でもあったからです。

 

 

小学校時代は生物部に所属しており、生き物が大好きでした。

 

自宅ではイモリやカメレオンを飼っており、顧問の先生とともに昆虫採集にも行っています。

 

ちなみに当時の顧問の先生がお茶会に招かれた際には、雅子さまはクワガタを飼っていることを明かし、水槽15ケース分もノコギリクワガタを飼っており、現在でも生き物が大好きなようです。

 

またその影響で娘の愛子さまも虫が大好きだそうです。

 

 

加えて小学校時代は英語を習っていました。

 

小学校高学年の頃にはピアノも上達して、発表会などにも出場していました。

 

発表会では課題曲の「柱の時計」をミスなく演奏しています。

 

その一方で当時からスポーツが好きで、小学校時代には当時流行っていたローラースケートにも熱中していました。

 

また小学校時代に軽井沢に行った際には、ゴルフの打ちっ放しにも挑戦しています。

 

 

そして雅子さまは小学校の卒業文集には将来の夢を獣医としています。

 

その上で小学校の想い出は、先生が鳥のはく製づくりに失敗したことだと綴っています。

 

「六年間の思い出といえば、修学旅行、林間学校、遠足、運動会など、たくさんあります。

でも、とても印象に残ったのは、六年の十一月十四日のクラブです。私は、五年の時は手芸部で、今年は生物部です。生物部は、六年四人と五年二人、岸田先生の、小さいクラブです。

この日、私たちは、「コジュウケイ(原文ママ)」のはくせいをつくることにしました。その鳥は、学校の窓ガラスにぶつかって、死んだのだと先生はおっしゃいました。

肛門から、はさみを入れて、お腹の皮をさきます。その後、肉を切らないようにして、中の肉をとり出します。そのためには、足とつばさを、適当な所から、切らなければなりません。足は、うまくいきました。つばさも一こできて、残るは、つばさ一ことなりました。そこは、先生がなさいました。ところが何という失敗! 先生は、つばさを切り落としてしまったのです。あと、頭のところの肉をとれば、肉がとれたのに。そして、かわかしたあと、中身を入れて、はくせいができたのに……。とても残念!」

 

  

以上が皇后雅子さまの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

今上天皇との結婚式の際には「雅子さまフィーバー」と呼ばれるほどの大きな話題となりました。

 

また皇后陛下となられた後はその華麗なる学歴と卓越した語学力で皇室外交なども期待されています。

 

 

数ある皇族の方々の中でも国民からの高い人気を誇っており、末永いご健在をお祈りした限りです。

 

愛子さまの学歴と経歴|出身大学高校や中学校の偏差値|ダンスが得意だった!

 

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