「アイーン」や「東村山音頭」でお馴染みの人気コメディアン志村けんさんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は志村さんは経済的に困窮した学生生活を送っていました。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします
志村けん(しむら けん)
1950年2月20日生
身長166.7㎝
血液型はA型
東京都出身のお笑いタレント
本名は志村康徳(やすのり)
以下では志村けんさんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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志村けんの学歴まとめ
出身大学:放送大学 教養学部
出身高校:都立久留米高校
出身中学校:東村山市立第二中学校
出身小学校:東村山市立秋津小学校分校→東村山市立化成小学校
志村けんの学歴~出身小学校(東村山市立化成小学校)の詳細
出身小学校:東京都 東村山市立化成小学校
※入学は東村山市立秋津小学校分校
志村けんさんの出身小学校は、地元東村山市内の公立校の化成(かせい)小学校です。
女優の中谷美紀さんもこの小学校の出身者です。
家族構成は両親と2人の兄の5人家族です(3人兄弟の末っ子)。
2人の兄は志村さんとは対照的に大学を卒業して公務員になっています。
子供の頃は、祖父母と叔母も同居しており、大家族で育っています。
父親は小学校の教頭を務めたほどで、非常にしつけに厳しかったそうです。
また父親は柔道五段だったことから、お仕置きでよく殴られたとのこと。
ちなみに志村さんの本名は康徳(やすのり)で、芸名の「けん」は父親の「憲司」に由来しています。
このあたりにも志村さんの父親への尊敬が表れています。
その反動か志村さんは小学校時代からやんちゃで、畑からスイカを盗んで食べるなどの悪さもしています。
小学校時代に落語のレコードを聴いたことでお笑いに目覚めて、漠然とコメディアンになりたいと思うようになったそうです。
志村けんの学歴~出身中学校(東村山市立第二中学校)の詳細
出身中学校:東京都 東村山市立第二中学校 偏差値なし
志村けんさんの出身中学校は、地元東村山市内の公立校の第二中学校です。
中学時代は卓球部に在籍していますが。わずか3か月で退部しています。
当時からお笑い好きで校内でコントなども披露しており、中学時代にコメディアンになろうと思っています。
ただし中学生の時に教師だった父親が交通事故に遭い、その後遺症で働けなくなるなど、以降は経済的には厳しい学生時代でした。
そのため志村さんは中学校時代から様々なアルバイトを経験しており、ゴルフ場のキャディーや運送会社で働いています。
ちなみにゴルフ場に勤務していた時には当時の人気プロ野球選手の金田正一さんのキャディーを務めたことがあり、チップをもらったとインタビューで話しています。
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志村けんの学歴~出身高校(都立久留米高校)の詳細
出身高校:東京都 久留米高校 偏差値50(現在)
※現在は東久留米総合高校
志村けんさんの出身高校は、都立の共学校の久留米高校です。
同校は2007年に清瀬東高校と統合されて、現在は東久留米総合高校になっています。
現在の偏差値は50程度ですが、志村さんが在籍した時代のほうがレベルが高かったようです。
高校時代はサッカー部に所属して、ゴールキーパーとして活躍。
ちなみに志村さんは1期生としてこの高校に入学しており当時のサッカー部も弱かったのですが、後に同校のサッカー部はサッカー日本代表の中村憲剛さんを輩出するほどの強豪になります。
そのため全国大会に出場した際には、志村さんはたびたび寄付金を送っています。
また中学時代から将来の夢をお笑いタレントとしており、高校時代も文化祭などでもコントを披露しています。
当時からドリフターズのファンで、体育祭の時には「加トちゃんぺ」もしていました。
加えて高校時代の志村さんはバンドを組んでおり、ビアホールなどで演奏していました。
なおバンドのメンバーには所ジョージさんの親戚もいました。
前記のように実家の経済状況が厳しかったことから、志村さんはプロのコメディアンになるべく高校時代から当時の売れっ子のコメディアンに弟子入りを懇願しています。
高校2年生の時には「脱線トリオ」で活躍した由利徹さんに弟子入りを志願していますが、断られています。
高校3年生の時には弟子入り先をドリフターズか萩本欽一さんのコント55号かで迷っていますが、ビートルズが好きだったことから音楽ネタのギャグもやっていたドリフターズにします。
高校卒業間近だった1968年2月にいかりや長介さんの家に押しかけて弟子入りを志願しています。
その際には門前払いされていますが、後に雪の降る中を12時間もいかりやさんの帰りを待っていた根性が買われて、仮採用されています。
ところが志村さんは高校卒業後からグループに合流すると思っていましたが、採用の翌日から青森巡業に同行させられています。
そのため高校の卒業式は午前中だけ出席して、その後は仕事に戻っています。
このようにいきなり仮採用となったので志村さんは運転免許を取得する暇がなく、現在も運転免許を持っていません。
【主な卒業生】
中山秀征(タレント)
ゆいP(お笑いタレント)
中村憲剛(サッカー日本代表)
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志村けんの学歴~出身大学(放送大学)の詳細
出身大学:放送大学 教養部 偏差値なし
志村けんさんは高校卒業後は芸能活動に専念していますが、後に放送大学に入学して卒業しています。
時期は不明ですが放送大学の過程を修了して大卒の資格を取得しています。
放送大学は希望すれば無試験で入学できることから偏差値はありませんが、卒業するのはなかなか困難で4年間で卒業できるのはわずか5%程度と言われています。
仕事をしながら大卒の資格を取得できることから、同大には多くの芸能人や有名人が在籍しましたが、実際に卒業できたのは滝藤賢一さんや草刈正雄さんなどごく一部です。
志村さんもドリフターズなどで多忙でしたから、卒業したのは非常に立派です。
志村さんは高校卒業後にドリフターズに仮採用になって加藤茶さんの付き人になっていますが、1年ほどで脱走してしまっています。
ちなみに付き人時代は同じ付き人3人で6畳一間で生活し、給料も手取り4500円と非常に酷でした。
そのためドリフターズのメンバーが残したラーメンにライスを入れて食べた逸話も残っています。
加えて志村さんは著書「変なおじさん」の中で、20歳の時に16歳の専門学校生と同棲して子供ができてしまったことを告白しています。
その際には収入が少なかったことから結婚は諦めて、父親からお金を借りて相手の親の元に持参して謝って、なんとか収めたそうです。
ちなみに相手の女性と子供は現在は消息不明とのこと。
そして22歳だった1972年に、井山淳さんとお笑いコンビ「マックボンボン」を結成していますが、1年ほどでコンビは自然消滅しています。
そのため1973年12月にドリフターズに「見習い」の形で再加入して、1974年3月に荒井注さんが脱退したことを契機に正式メンバーに昇格しています。
そして1976年に「東村山音頭」で大ブレイクして、以降は加藤茶さんと並ぶグループの人気メンバーになっています。
ドリフターズの活動休止後も数々の冠番組を持って、国内でも有数のコメディアンとなっています。
以上が志村けんさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
ドリフターズ時代には「東村山音頭」でブレイクし、その後も「ひげダンス」や「アイーン」のギャグで国民的なコメディアンになっています。
その後の活躍は周知のとおりでドリフターズの活動休止後も、冠番組を多数持つなど、未だに第一線で活躍しています。
特に「バカ殿様」は1986年から毎年放送されている長寿番組となっています。
2020年には新型コロナウイルスに感染したことが公表されて、世間に大きな衝撃を与えました。
※追記
志村さんは新型コロナウイルスとの闘病の末、3/29日に亡くなりました
ご冥福をお祈りいたします
【志村けんさんのこぼれ話】
①1000万円騙し取られても怒らなかった
志村けんさんは後輩芸人に「娘の手術に300万円必要」と言われて、1000万円を渡したことがありました。
ところがその話はウソで、後輩芸人は芸人仲間に問い詰められてウソだったと白状しています。
その際に志村さんは「なんだ、娘さん無事だったの? よかった。ホッとした」と怒るどころか喜んでくれたそうです。
そればかりか「金は天下の回りものだから」と貸したお金の返却も求めませんでした。
志村さんを騙した後輩芸人は泣き崩れたそうです。
②高倉健さんの依頼で映画に出演
志村けんさんはコントやバラエティ番組以外は出演しないというポリーシーを持っていましたが、映画「鉄道員」ではじめて映画に出演しています。
その際には主演の高倉健さんから出演依頼の留守電が入っていたことで、映画への出演を決めています。
またその時の録音テープは家宝にしたそうです。
現在でも非常に高い人気を誇っており、今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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経歴/プロフィールの詳細
1968年にザ・ドリフターズの付き人になり1年余りで脱走するも、その後に出戻り。
1972年にマックボンボンというコンビでデビューするも、人気が低迷してコンビは自然消滅し、再びドリフの付き人に戻る。
1974年4月に正式にドリフに加入する。
1976年の「東村山音頭」で人気が上昇。
1986年以降は「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」や「だいじょうぶだぁ」などの冠番組が立て続けにヒット。
1999年の映画「鉄道員」に俳優として出演している。
他にも「バカ殿様」や「志村でナイト」、「天才!志村動物園」などの人気番組に出演している。
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