女優の石田ひかりさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。大学時代に女優としてブレイクした石田さんですが、どのような学生生活を送っていたのでしょうか? 学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
石田ひかり(いしだ ひかり)
1972年5月25日生
身長160㎝
血液型はA型
東京都出身の女優
本名同じ(結婚前)、愛称は「ピカちゃん」
以下では石田ひかりさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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石田ひかりの学歴まとめ
出身大学院:二松学舎大学大学院
出身大学:亜細亜大学 法学部
出身高校:堀越高校 芸能活動コース
出身中学校:世田谷区立玉川中学校
出身小学校:台北市日僑学校
石田ひかりの学歴~出身小学校(台北市日僑学校)の詳細
出身小学校:台湾 台北市日僑学校
石田ひかりさんの出身小学校は、私立の共学校の台北市日僑学校です。
この学校は台北日本人学校の別名で知られています。
家族構成は両親と兄、姉の5人家族です。
姉は女優の石田ゆり子さんです。
父親は日本郵船の会社員だったことから、転勤族でした。
父親はカミナリ親父だったとのことで、ちゃぶ台をひっくり返すまではしませんでしたが変わり者だったことから子供の頃は困ることが多く、母親も苦労をしていたといいます。
石田さんは子供の頃から親からよく「少しでもいいから人の役に立つことをしなさい」と言われて育ちました。
4歳の時から水泳を習いはじめています。
小学校4年生の時に台湾に移住しており、この学校を卒業しています。
水泳では台湾のナショナルチームに所属をしていました。
現地の大会で優勝をするほどの腕前で厳しいトレーニングの中、毎日学校とプールを往復する日々を送っておりオリンピックを目指すほど打ち込みました。
石田さんの当時の将来の夢は水泳の先生になることでした。
石田ひかりの学歴~出身中学校(世田谷区立玉川中学校)の詳細
出身中学校:東京都 世田谷区立玉川中学校 偏差値なし
石田ひかりさんの出身中学校は、世田谷区内の公立校・世田谷区立玉川中学校です。
中学1年生の時にスカウトをされて芸能界入りをしています。
姉の石田ゆり子さんも同じ時期にスカウトをされており、ほとんど同時期に芸能活動を開始しました。
後述するように石田さんは水泳に打ち込んでいましたが、この頃には辞めたいという思いもありスカウトをされた際には水泳を辞めることができると姉と喜んだとのことです。
またスカウトをされた際には厳格な父親から芸能界入りの許可を得るために、母親と姉とともに作戦を練ったといいます。
石田さんは中学2年生のときに仕事をはじめており、インタビューでは次のように話しています。
「わたしは中2からちょこちょこ仕事を始めて部活もやらずおそうじ当番が出来なかったり何かと欠席したりして色々ご迷惑おかけしました。男子のみんなには色々からかわれたり冷やかされたりして嫌だった」
記事引用:日刊スポーツ
中学3年生だった1987年に、ファーストシングル「エメラルドの砂」でアイドル歌手としてデビューをしています。
【主な卒業生】
小林旭(歌手)
中井美穂(アナウンサー)
佐藤隆太(俳優)
軽部真一(アナウンサー)
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石田ひかりの学歴~出身高校(堀越高校)の詳細
出身高校:東京都 堀越高校 芸能活動コース 偏差値37(かなり容易)
※現在はトレイトコース
石田ひかりさんの出身高校は、多くの芸能人の母校として知られる堀越高校です。
この高校は1923年開校の私立高校で、古くから芸能コースを設置していたので多くの芸能人を輩出しています。
中学時代に芸能界入りをしていたことから、より幅広く芸能活動をおこなうためにこの高校の芸能コースに進んでいます。
この高校では女優の高岡早紀さんや田村英里子さんらと同級生でした。
石田さんは中学時代から引き続きアイドル歌手として活動をしています。
しかし楽曲はまったくヒットせず、高校時代は不遇の時代を過ごしていました。
石田さんは辛いアイドル時代についてはインタビューで次のように話していました。
「私はアイドルとしては、3年間まったく芽が出なかったんです。15歳から18歳の非常に多感な時期に“惨め”という感情を味わいました。自分の娘たちには“惨め”という感情をできれば経験しないでほしいと思うくらい、本当につらかった。」
記事引用:GOETHE
そのためアイドルとしての活動は、高校3年生限りでやめています。
ただし女優としては高校3年生だった1990年に、SPドラマ「南くんの恋人」に主演しています。
石田さんは当時から演技力が注目されており、これが大学時代のブレイクにつながっています。
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石田ひかりの学歴~出身大学(亜細亜大学)の詳細
出身大学:亜細亜大学 法学部 偏差値47(やや容易)
石田ひかりさんは高校卒業後は、亜細亜大学に進学します。
一般受験ではなく一芸入試で、当時は話題になりました。
在籍したのは法学部です。
大学時代には友人らと共にとラーメン研究会を結成しました。
20歳で一人暮らしを始めるまでは母親がお金の管理をしてくれていたことを明かしています。
大学1年生だった1991年に映画「ふたり」の主演(中嶋朋子とW主演)に抜擢されており、これが石田さんにとって大きな転機となりました。
この年には映画賞の新人賞を次々と獲得しており、当時はスクリーンに映る自身を見たときにはまるで幽体離脱したような感覚だったとのことです。
石田さんはこの映画に出演したことで演じることの快感を知ってしまったそうです。
そして大学2年生だった1992年に、NHKの朝ドラ「ひらり」のヒロインに起用されて、女優としてブレイクしています。
さらに翌年には連続ドラマ「あすなろ白書」に主演して、女優としての人気を決定づけます。
このように石田さんは大学時代に人気女優になりましたが、学業とも両立させて大学はキッチリと卒業しています。
ちなみに卒業論文は「堕胎罪について」というテーマで書いています。
大学卒業後は二松学舎大学大学院に進学をしており、修士課程(国文学専攻)を修了しています。
当時はかなりの人気を誇り、連続ドラマに立て続けに主演していた頃でしたから、かなりの努力家であるとともに、高い向学心も窺えます。
29歳だった2001年5月に、NHKの職員と結婚した際には大きな話題になっています。
出産を機に休養に入り、女優復帰後もマイペースでの出演となっていますが、未だにドラマの主演に起用されるなど、根強い人気を誇っています。
今後の活躍にも期待ですね。
以上が石田ひかりさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
人気絶頂期には数々の話題作の連続ドラマや映画に主演していました。
また現在でもその演技力は高く評価されています。
一世を風靡した女優だけに、末永い活躍を期待したいところです。
経歴・プロフィールの詳細
1985年にスカウトされて芸能事務所入り。
1986年のドラマ「妻たちの課外授業Ⅱ」で女優デビュー。
1987年にアイドル歌手として「エメラルドの砂」でデビューし、1990年まで10枚のシングルをリリースしている。
1988年の「花のあすか組」で連続ドラマ初出演。
1991年の「ふたり」で映画初主演。
1992年の「悪女」で連続ドラマ初主演。
同年のNHKの朝ドラ「ひらり」のヒロインに起用されてブレイク。
以降も「あすなろ白書」や「輝く季節の中で」、「ナチュラル」などの話題作の連続ドラマに主演。
2001年にNHKのディレクターと結婚し、ふたりの娘を出産している。
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