藤原紀香の学歴と経歴|出身は神戸親和女子大学・親和高校!中学校の偏差値と若い頃のかわいい画像

 

人気女優の藤原紀香さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。意外にも藤原さんは学生時代は体育会系で、高校時代には落語同好会にも在籍していました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします

 

藤原紀香(ふじわら のりか)

 

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1971628日生

身長171㎝

血液型はA型

 

兵庫県神戸市出身の女優、タレント

本名同じ(結婚前)

 

以下では藤原紀香さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます

 

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目次

藤原紀香の学歴まとめ

 

出身大学:神戸親和女子大学 文学部英米文学科(中退)

出身高校:親和女子高校

出身中学校:親和中学校

出身小学校:西宮市立生瀬小学校

 

藤原紀香の学歴~出身小学校(西宮市立生瀬小学校)の詳細

 

出身小学校:兵庫県 西宮市立生瀬小学校

 

 

 

藤原紀香さんの出身小学校は、地元西宮市内の公立校の生瀬(なまぜ)小学校です。

 

家族構成は両親と3歳年下の弟の4人家族です。

 

 

父親は設計事務所を経営しており、裕福な家庭に育っています。

 

藤原さんは子供の頃から活発な少女で、木登りや虫取りなどもしています。

 

また運動神経もよく、小学校時代は少年野球チームに入って3番打者として活躍しています。

 

さらに当時は健康優良児にも選ばれたほどです。

 

加えて藤原さんは小学校時代はピンクレディーに憧れており、当時の夢はイルカショーのお姉さんでした。

 

 

藤原紀香の学歴~出身中学校(親和中学校)の詳細

 

出身中学校:兵庫県 親和中学校 偏差値56(中の上)

 

 

 

藤原紀香さんの出身中学校は、私立の女子校の親和中学校です。

 

この中学校は出身高校に併設している系列校のため、高校には内部進学で進んでいます。

 

また後述するように藤原さんは公立小学校の出身のため、この中学へは中学受験で入学しています。

 

中学時代はバスケットボール部に所属しており、スポーツも得意だったとのこと。

 

また当時の藤原さんは子供の頃からのピアノの先生が開いたミュージカルアカデミーにも通っていました。

 

本人は「遊び感覚だった」と述べていますが、中学1年生の時には「白雪姫」に出演して王子役を演じています。

 

 

また「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台にも出演したと公式ブログに綴っています。 

 

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藤原紀香の学歴~出身高校(親和女子高校)の詳細

 

出身高校:兵庫県 親和女子高校 偏差値60(やや難関)

 

 

 

藤原紀香さんの母校は、私立の女子校の親和女子高校です。

 

同校は神戸市の伝統ある女子校(1887年開校)として知られ、難関大学に進学する卒業生も少なくありません。

 

また地元では古くからの「お嬢様学校」として知られています。

 

 

藤原さんは高校時代はバスケットボール部に在籍して、部活動に励んでいます。

 

当時のこの高校のバスケットボール部は県内では強豪で、高校時代は大会で3位になったこともあったほどです。

 

「我が親和女子高等学校バスケ部は、大会で3位の成績でした。神戸はたくさん学校があったので、3位の成績を残せたのはなかなかの強豪チームと言われておりました」

記事引用:ライブドアニュース

そのため運動神経がよく、後にプロ野球の始球式にも起用されています。

 

 

また意外にも高校時代は落語研究会に在籍しており、「親和亭かつお」の高座名で落語を披露したこともありました。

 

この高座名は高校の「親和」とアニメ「サザエさん」のキャラクターの磯野カツオから名づけられいます。

 

その際の経緯については藤原さんはインタビューで次のように話しています。

 

「わたしはワカメとかサザエが良かったんですけど、みんなの中でのわたしのキャラなのかな、『あんたはカツオや』って」

記事引用:日刊スポーツ

 

なお当時の藤原さんは学校では野生児でドジでおっちょこちょいだったそうです。

 

また高校1年生の時には片想いの男子生徒がおり、バレンタインデーのチョコレートを渡すために後をつけたことがありました。

 

「高校1年だったかな。電車の中で会う片思いの男子校の生徒さんに、何日か後をつけると言うと変なんですが、おうちまでこっそりとついていって(場所を)確かめたんです」

記事引用:Billboard JAPAN

 

ただしバレンタインデー当日は手作りのチョコレートを持参したものの、勇気がなくてピンポンを押すことができませんでした。

 

藤原さんはこのことについては今でも非常に後悔しており、それ以降は「思いはちゃんと伝えなければ」と思うようになったそうです。

 

そして高校3年生の時には選抜高校野球の「セブンティーンレポーター」に選ばれています。

 

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(高校時代)

 

ただしこの際にはスカウトなどはされておらず、高校時代は芸能活動をおこなっていません。

 

また当時は芸能界に興味はなく、世界史が好きだったことから歴史考古学者の助手になることが夢でした。

 

ちなみに藤原さんは高校時代に交際していた彼氏がいたそうです。

 

 

【主な卒業生】

平松愛理(歌手)

小原正子(クワバタオハラ)

 

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藤原紀香の学歴~出身大学(神戸親和女子大学)の詳細

 

出身大学:神戸親和女子大学 文学部英米文学科(中退) 偏差値42(容易)

 

 

 

藤原紀香さんは高校卒業後は、神戸親和女子大学に進学します。

 

この大学は神戸市北区にある私立大学で、文学部と発達教育学部のみを設置しています。

 

また前記のように藤原さんはこの大学の系列校に通っていたことから、大学には一般受験ではなく内部進学で進んでいます。

 

 

藤原さんは大学では英米文学を専攻しており、大学時代に英検の2級を取得しています。

 

なお藤原さんは日常会話レベルの英語は話すことができ、アイルランド出身の国際的人気歌手のエンヤさんに英語でインタビューをしたこともありました。

 

 

加えて当時は父親が厳しく大学には実家から通学していたことから、門限が夜の10時でした。

 

門限に遅れると家に入れてもらえずに、犬小屋で寝たこともありました。

 

当時についてインタビューでは次のように話しています。

 

「絵に描いたような昭和の頑固おやじです。大学生になっても、門限は夜の10時。門限を過ぎてしまった時には木刀を持って玄関の前で仁王立ちしていたことも」

記事引用:日本経済新聞

 

ちなみに大学時代は阪急芦屋川駅前の「三栄」という食堂のたれ焼き定食がお気に入りでした。

 

在学中だった20歳の時に両親が応募したミス日本のグランプリを受賞しますが、応募したのは母親でした。

 

 

藤原さんの母親もミス日本に応募したことがあり最終選考まで進んでいますが、父親(藤原さんの祖父)に反対されて辞退した経緯があり、夢を娘に託したことをインタビューで明らかにしています。

 

「母はミス岡山に応募したが、祖父が厳しくて『女性は台所に立っていればいいんだ』という考えだった。それで最終審査に出られなかった。だから、私に夢を託したみたい。私は1次審査の合格通知が来て初めて応募を知った」

 

ただしこのことがきっかけで藤原さんは芸能事務所にスカウトされていますが、両親は芸能界入りを最後まで反対したそうです。

 

ちなみにミス日本に勝手に応募した母親からも反対されたので、藤原さんは「それならどうして応募したのかな」と疑問も感じていました。

 

そのため藤原さんも当初は芸能界入りをかなり迷っています。

 

「当時は神戸の大学に在学中で、夢をかなえるために両親の反対を押し切って上京しようか、するまいか迷っていた」

 

最終的には両親の反対を押し切って芸能界入りしていますが、その一方で「講義にしっかり出るなら」という条件付きだったことから上京はしませんでした、

 

そのためデビューしてから4年間は、神戸の実家から新幹線で東京に通って仕事をしていました。

 

その際には学業との両立に疲れて、円形脱毛症にもなったほどです。

 

「それでも講義にしっかり出るならと、新幹線で兵庫から東京に通いました。学校の勉強と往復生活に疲れ、円形脱毛症になってしまったこともありました」

記事引用:日本経済新聞

 

22歳だった1991年に「東レ」のキャンペーンガールに起用されて、グラビアアイドルとして注目を集めています。

 

(東レキャンペーンガール時代の着物姿)

 

当時の「東レ」キャンペーンガールは若手女性タレントの登竜門となっており、山口智子さんや杉本彩さんも出身者です。

 

そのため当初は主にグラビアアイドルとして活動していましたが神戸と東京を往復して仕事をしていたこともあって、大学は4年生の時に中退してしまっています。

 

また1995年の阪神大震災がきっかけに上京したと述べています。

 

「東京での芸能活動はあきらめようかと思った時、阪神大震災が起きました。生き延びて初めて、人生やりたいことをやらずに後悔したくないと東京行きを決心しました。父は最後まで首を縦には振りませんでしたが、東京に行く前日に突然『トラック用意したから荷物を積め』と。東京まで夜通し運転してくれたんです」

記事引用:日本経済新聞

 

ただし決して順風満帆の芸能活動ではなく、上京後はしばらくはオーディションに落ち続ける日が続いています。

 

そして27歳だった1998年に出演した「J-PHONE」のCMでブレイクして、以降は多数のCMにも起用されたことから「CMの女王」の異名もとっていました。

 

 

また本格的に女優業をはじめると、「ナオミ」や「金曜日の恋人たちへ」などの連続ドラマにも主演として起用されています。

 

 

その後の活躍は周知の通りで、女優やタレントとして数多くのテレビ番組にも出演しています。

 

 

また現在でもその美貌は健在です。

 

以上が藤原紀香さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

全盛期は数々の連続ドラマに主演して、絶大な人気を誇っていました。

 

 

現在でもSPドラマや舞台では主演を務めるほどの人気ぶりです。

 

現在でも年齢を感じさせない若々しさと大人の色気を兼備した美貌は、同年代の女優の中でも際立っています。

 

未だに高い人気を誇る人物だけに、今後の活躍も楽しみですね。

 

 

経歴・プロフィールの詳細

 
1992年にミス日本でグランプリを受賞し芸能界入り。 

1993年には東レの水着キャンペンガールに起用され、クイズ番組「クイズ!紳助くん」のアシスタントとしてテレビ初出演。 

同年の映画「ビッグタウンふたりの朝」で女優デビュー。 

1994年にアサヒビールのイメージガールとなる。 

1995年「毎度おじゃまします」でドラマ初出演。 

1998年のJPHONECMでブレイクし、翌年の「ナオミ」でドラマ初主演。 

その後は「昔の男」や「スタアの恋」、「愛と青春の宝塚」などキー局の連続ドラマで主演。 

20072月にお笑い芸人の陣内智則と結婚するも、20093月に離婚。

20163月に歌舞伎俳優の片岡愛之助と再婚した。

 

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