人気女優の鈴木杏樹さんの出身高校の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は鈴木さんは若い頃はイギリスで歌手デビューもしていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい写真なども併せてご紹介いたします
鈴木杏樹(すずき あんじゅ)
1969年9月23日生
身長161㎝
血液型はAB型
兵庫県神戸市出身の女優、司会者
本名は鈴木香公子(かくこ)
以下では鈴木杏樹さんの出身校の偏差値や学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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鈴木杏樹の学歴まとめ
出身大学:ロンドンの音楽学校
出身高校:マリスト国際学校高等部→都立上野高校
出身中学校:マリスト国際学校中等部
出身小学校:不明
鈴木杏樹の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:不明
鈴木杏樹さんの出身小学校は、神戸市内の学校のようですが校名などは不明です。
鈴木さんは大阪府箕面市出身ですが、小学校時代に神戸市に移住して育っています。
家族構成は両親と弟の4人家族です。
インターネット上には実家は非常に裕福で、家はテニスコートがある豪邸との情報もあります。
また出生地の箕面市は富裕層が多いことで知られていますし、神戸市では高級住宅地の御影地区に住んでいたとの情報があります。
とは言え前記のように鈴木さんが中学時代から非常に高額のインターナショナルスクール(年間200万円ほどかかる学校もざらにある)に通学していることを考えると、実家が裕福というのもあながち間違いではなさそうです。
鈴木さんは子供の頃から人見知りが激しく、特に男の子とはまともに口がきけなかったそうです。
ただし鈴木さんは子供の頃や小学校時代についてインタビューなどで語ることはほとんどないことから、当時のエピソードなどはほとんどわかりません。
鈴木杏樹の学歴~出身中学校(マリスト国際学校中等部)の詳細
出身中学校:兵庫県 マリスト国際学校中等部 偏差値なし
鈴木杏樹さんの出身中学校は、アメリカンスクールのマリスト国際学校中等部です。
この中学校は出身高校の系列校で、高校へは内部進学で進んでいます。
鈴木さんがこのインターナショナルスクールに入学したのは、意外にも人見知りを直すためでした。
小学校時代は極端な人見知りだったことから、母親が心配してインターナショナルスクールに通わせたとインタビューで話しています。
またその甲斐もあってインターナショナルスクール入学後は、明るい性格になったとのこと。
鈴木杏樹の学歴~出身高校(マリスト国際学校高等部)の詳細
出身高校:兵庫県 マリスト国際学校高等部(中退) 偏差値なし
※後に上野高校の通信制課程に編入して卒業
鈴木杏樹さんが入学したのは、アメリカンスクールのマリスト国際学校高等部です。
同校は神戸のアメリカンスクールで、選考方法が一般的な高校と異なるので偏差値はありません。
また現在は入学がけっこう困難ですが、鈴木さんの在籍時のレベルは不明です。
当時から鈴木さんは歌手を目指しており、音楽学校にも通学しています。
高校2年生の時にスカウトされて芸能界入りしたため同校をいったん中退していますが、後に都立上野高校の通信制課程(偏差値なし)に編入して卒業しています。
鈴木さんは17歳からイギリスにわたってレッスンをはじめていますから、上野高校で学んだのはロンドンに在住しながらか帰国後でしょう。
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鈴木杏樹の学歴~出身大学の詳細
出身大学:ロンドンの音楽学校(校名不明)
鈴木杏樹さんは、17歳だった1984年からロンドンの音楽学校に通学しています。
音楽学校に通学しながら4年間レッスンを受けて、歌手デビューにも備えています。
ロンドンへは単身で渡っており、現地のアパートで独り暮らしをしています。
その後は当時売れっ子だったプロデューサーチームのストック・エイトケン・ウォーターマンのプロデュースで、21歳だった1990年にイギリスで「KAKKO」名義で歌手デビューします。
ちなみに「KAKKO」という芸名は本名の香公子(かくこ)にちなんだ高校時代のニックネームです。
なお前記のように鈴木さんは中学校からアメリカンスクールに通学し、その後は4年間もロンドンに住んでいたことから英語はペラペラです。
イギリスの歌番組にも出演して、流ちょうな英語を披露しています(インタビューは3分20秒あたりから)。
ちなみに上の動画で司会を務めている女性(最初に出演する白人女性)は「ラッキーラブ」や「ロコモーション」などの世界的なヒット曲をリリースしたカイリー・ミノーグさんで、鈴木さんはカイリーさんとはイギリス時代にライブなどでも共演しています。
そのため鈴木さんは当時からカイリーさんとは友人関係です。
またイギリス時代は当時売れっ子だった「バナナラマ」やリック・アストリーらのアーティストとも共演しています。
(バナナラマ)
(リック・アストリー)
ただしCDの売り上げが伸び悩んだことやイギリスが湾岸戦争に参戦したことなどから帰国しています。
鈴木さんも当時について、インタビューで次のように振り返っています。
「あの時は湾岸戦争があって日本に帰ってきたんですよ。イギリスが(イラクへの軍事介入に)賛成して、いつ終わるかわからなかったから日本で仕事をすることにしたんですね。それが“鈴木杏樹”です」
記事引用:サンスポ
そのためイギリスで歌手としての活動期間はわずか1年間のみでした。
ちなみにイギリスでは当時ロンドンに在住していた藤井フミヤさんと親交があり、17歳の頃からの付き合いです。
後に藤井さんは鈴木さんが出演したテレビドラマ「あすなろ白書」の主題歌「TRUE LOVE」を歌っていますが、その際にドラマを見て「あ、KAKKOじゃん。名前も変わってるし!」と驚いたエピソードが残っています。
結局シングル2枚をリリースしたのみで歌手を断念して、1991年から日本で女優として活動を開始します。
24歳だった1994年に出演した「あすなろ白書」で大きな注目を集めています。
その後も女優としては順調にキャリアを重ね、「若者のすべて」や「長男の嫁」などの多くの連続ドラマの話題作に起用されて、絶大な人気を博すことになります。
主演作こそ少ないものの、最盛期は立て続けに連続ドラマに出演もしていましたし、多数のCMにも起用されました。
以上が鈴木杏樹さんの学歴や学生時代のエピソードのまとめです。
前述のように歌手としては大成しませんでしたが、女優に転向すると瞬く間に人気女優の地位を築いています。
人気絶頂時には数々のCMに起用されて、「CMの女王」の異名もとっています。
加えて1995年から司会を務めた「ミュージックフェア」には、歴代最長の20年半も出演しており、司会者としても高い人気を誇ります。
2013年に外科医だった夫を病で亡くすという不幸にも見舞われましたが、それを乗り越えて現在でも第一線で活躍しています。
現在でも女優業のほか、司会者やMCとして幅広く活躍していますので、今後の動向にも注目です。
※追記
2020年2月には週刊文春によって鈴木さんと喜多村緑郎さんとの不倫騒動が報じられ、鈴木さんも事実を認めて謝罪に至りました。
これまでスキャンダルのなかった鈴木さんにとっては大きな痛手となりそうです。
経歴・プロフィールの詳細
17歳でスカウトされて、芸能界入り。
1990年にKAKKO名義でイギリスで歌手デビュー。
1991年に帰国して、翌年のドラマ「映画みたいな恋したい」で女優デビュー。
その後、「あすなろ白書」や「長男の嫁」などの連続ドラマの出演で人気を博す。
1995年から「ミュージックフェア」の司会を20年半務める。
以降も「平成夫婦茶碗シリーズ」や「相棒シリーズ」などの人気作に出演。
最盛期には年間14本のCMに出演し、「CMの女王」の異名をとる。
私生活では1998年に外科医と結婚したが、2013年に死別している。
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