服部勇馬の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値|サッカー少年だった

 

東京オリンピックのマラソン日本代表に内定している服部勇馬さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。実は服部さんはサッカー少年でした。学生時代のエピソードや情報なども併せてご紹介いたします

 

服部勇馬(はっとり ゆうま)

 

 

1993年11月13日生

身長176㎝、体重61㎏

新潟県十日町市出身の陸上選手

 

以下では服部勇馬さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします

 

目次

服部勇馬の学歴~出身大学の詳細

 

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出身大学: 東洋大学 経済学部経済学科 偏差値54(普通)

 

 

 

服部勇馬さんは高校卒業後は、東洋大学に進学しています。

 

大学へは一般受験ではなく、スポーツ推薦での進学のようです。

 

高校時代の実績を引っさげて大学に進学した服部さんですが、進学後は最初の壁にぶちあたります。

 

平均走行距離数が倍近くになったことです。

 

高校時代は10㎞でよかったのですが、大学時代には20㎞を走らなければならなかったためかなり苦労したようです。

 

また入学1年目で駅伝のエース区間に抜擢された服部さんですが、はじめのころはまわりと自分の力の差に愕然とし、理想とする走りとはまったく別物で、15㎞と少なめのリズムでしか走ることができなかったとインタビューで語っていました。

 

そのため大学1年生の時は全日本大学駅伝では区間6位、箱根駅伝で区間3位でしたが、本人の理想とする走りからは程遠かったそうです。

 

大学2年生だった2013年には、1歳年下の弟の服部弾馬さんも東洋大学に進学してきます。

 

 

そのため兄である服部さんも大きな刺激を受けたのか、この年に大きな成長を遂げています。

 

月間の走行距離を増やしたり筋力トレーニングを重点的におこなった結果、2014年の箱根駅伝ではエース区間の2区を任されて3位となり手ごたえも掴んでいます。

 

そんな服部さんの快走もあって、東洋大学はこの大会で往路優勝と総合優勝を遂げています。

 

以降も箱根駅伝では3年連続で花の2区を任されますが、大学3、4年生の時には区間賞を獲得しています。

 

 

その頃には弾馬さんとともに東洋大学のエースとなっていましたが、総合優勝はともに青山学院大学でした。

 

大学卒業後は実業団のトヨタ自動車に所属して、本格的にマラソンにも挑戦しはじめます。

 

ところが入社2シーズンは結果を残せませんでした。

 

しかしスタミナを重視するトレーニングを取り入れてからは徐々にマラソンでも頭角を現して、2019年のマラソングランドチャンピョンシップでは、ライバルの中村匠吾さんや大迫傑さんらを下して優勝。

 

 

東京オリンピック男子マラソンの日本代表に内定しています。

 

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服部勇馬の学歴~出身高校の詳細

 

出身高校:宮城県 仙台育英学園高校 フレックスコース 偏差値38(かなり容易)

 

 

 

服部勇馬さんの出身高校は、私立の共学校の仙台育英学園高校です。

 

この高校は一般的には仙台育英高校と呼ばれ、スポーツが非常に盛んなことで知られています。

 

服部さんもスポーツコースにあたるフレックスコースに在籍していました。

 

また服部さんは新潟県の中学校出身ですが、この高校の陸上部の監督に勧誘を受けて越境入学しています。

 

ただし当初はかなり迷ったようです。

 

その背中を押してくれたのがご両親で、もしかしたら人生が変わるかもしれないから、行ってみたら? と言われ、仙台育英高校への進学を決意したとインタビューで述べています。

 

高校進学により地元新潟を離れ、新生活がスタートしました。慣れない環境下でのストレスは多く、学業に競技練習と文武両道に加え、家事等の私生活もすべて自身でやらなければならないので、疲れ果ててクタクタになった毎日を過ごしていたこともありました。

 

その1年後に弟の弾馬さんがその背中を追いかけて、同じ仙台育英高校に進学しました。

 

2人で頑張っていかなければならない環境になったため、心強く感じたそうです。

 

切磋琢磨して過ごした高校時代ですが、全国高等学校駅伝競争大会では、かなり辛い経験をしています。

 

特に高校3年生だった2011年の大会で服部さんは脱水症状を起こし、救急車で運ばれていました。

 

 

「不安から来る過度の緊張で、レース前から普段より発汗量が多く、7㎞くらいから記憶がない」と、その時の様子を語っていました。

 

結、区間順位は21位となり、仙台育英高校は総合12位という苦いものになりました。

 

この時初めて服部さんはプレッシャーへの失敗や挫折を味わったのです。

 

しばらくはひきずったそうですがこの経験が生かされ、服部さんを成長させたみたいで、このレースを「印象に残っているレース」のひとつにしています。

 

【主な卒業生】

高橋ジョージ(歌手・中退)

尾形貴弘(お笑い・パンサー)

 

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服部勇馬の学歴~出身中学の詳細

 

出身中学校:新潟県 十日町市立中里中学校 偏差値なし

 

 

 

服部勇馬さんの出身中学校は、地元新潟県の十日町市内の公立校・中里中学校です。

 

後述するように服部さんは小学校時代はサッカーに打ち込んでいましたが、当時のこの中学校にはサッカー部がありませんでした。

 

そのためサッカーで培った持久力が活かせると考えて、陸上部に入部しています。

 

この際の経緯については、インタビューで次のように述べています。

 

「長距離を選んだ理由は、昔から持久走が得意だったから。サッカーは、自分のレベルでは通用しないと思い始めていました。親の勧めもあって、競技を変えて新しいチャレンジをしてみようと思いました。」

 

中学時代も弟の弾馬さんと陸上部のWエースでしたが、目標だった全国中学駅伝には出場が叶いませんでした。

 

それでも才能は開花しはじめて中学3年生の時に、全日本中学陸上1500m決勝で7位に入賞しています。

 

さらに同じ年に駅伝の全国大会である全国都道府県駅伝に出場し、中学生区間の2区(3㎞)を区間4位で9人抜きの走りを見せています。

 

服部勇馬の学歴~出身小学校の詳細・サッカー少年だった

 

 

出身小学校:新潟県 十日町市立田沢小学校

 

 

 

服部勇馬さんの出身小学校は、十日町市内の公立校の田沢小学校です。

 

家族構成は両親と弟2人、妹の6人家族です(4人きょうだいの長男)。

 

 

実家は住宅の設備施工会社の「服部総業」を経営しています。

 

当初は長男の服部さんが家業を継ぐ予定でしたが、下の弟の弾馬さんとともに陸上競技をおこなっているので、実家は三男の風馬さんが継いでいます。

 

服部さんは小学校時代はサッカーに熱中しており、サッカー少年でした。

 

地元のクラブチームに所属しており、小学校高学年の時には北信越の選抜チームに選ばれるほどでした。

 

 

以上が服部勇馬さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。

 

前記のように東京オリンピックのマラソン日本代表に内定していましたが、新型コロナウイルスの影響で開催は延期となってしまいました。

 

 

とは言えこのところのマラソン選手としての急成長ぶりは顕著です。

 

オリンピックでの活躍を期待したいところです。

 

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