お笑い芸人の青木さやかさんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。女優としても活動している青木さんですが、実は大学時代はアナウンサー志望でした。学生時代のエピソードや情報、若い頃のかわいい画像なども併せてご紹介いたします
青木さやか(あおき さやか)
1973年3月27日生
身長165㎝
血液型はO型
愛知県瀬戸市出身のお笑い芸人、女優
本名同じ
以下では青木さやかさんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
青木さやかの学歴~出身小学校(尾張旭市立城山小学校)の詳細
出身小学校:愛知県 尾張旭市立城山小学校
青木さやかさんの出身小学校は、地元尾張旭市内の公立校の城山小学校です。
家族構成は両親と本人の3人家族のようです(ひとりっ子)。
両親はともに教師で、父親は小学校の教頭を母親は校長を務めていました。
そのため子供の頃から非常に厳しく育てられています。
小学校時代まではテレビを自由に見ることができずに、学校で流行っていた「オレたちひょうきん族」も見せてもらえませんでした。
3歳の頃からピアノをはじめています。
他にも書道や水泳などの習い事をしていました。
青木さやかの学歴~出身中学校(尾張旭市立旭中学校)の詳細
出身中学校:愛知県 尾張旭市立旭中学校 偏差値なし
青木さやかさんの出身中学校は、地元尾張旭市内の公立校の旭高校です。
中学時代は水泳部に在籍して、部活動に打ち込んでいました。
前記のように両親が厳しかったので、中学生になってようやくテレビが自由に見れるようになったそうです。
ちなみに当時は山下真司さんが主演したテレビドラマ「スクール☆ウォーズ」が流行っていたそうです。
ちなみに当時のこの中学校もドラマと同様に荒れていたそうです。
「通っていたのは、ドラマと同じように”荒れた中学”で、毎日、どこかでガラスが割れたり、いま考えると意味がわかりませんが、隣の中学が攻めてきたり(笑)」
また中学時代の青木さんは字がうまかったことから、不良たちの欠席届をまるで親が書いたかのように代筆してあげたことから、カツアゲされたお金を取り返してもらったとのこと。
加えて当時の青木さんはピアノにも励んでおり、将来は音楽大学に進学したいと思っていました。
【主な卒業生】
青海ひな乃(SKE48)
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青木さやかの学歴~出身高校(愛知県立瀬戸高校)の詳細
出身高校:愛知県 瀬戸高校 偏差値44(容易)
青木さやかさんの出身高校は、県立の共学校の瀬戸高校です。
この高校は1923年開校の県立校です。
高校時代は英語クラブに在籍していました。
また高校の同じクラスに名古屋市内から通っていた女子がいてカルチャーショックを受けたことを明らかにしています。
「愛知県の瀬戸市にある田舎の高校に通っていたんですが、同じクラスに、なぜか名古屋から通っている女子が1人いて。もう、髪形やスカート丈も都会的に映って、まぶしかったんです。放課後に集まる場所ってマック(マクドナルド)しか知らなかったのに、そのコに『ジョン万次郎(バブル時代に出店が相次いだ洋風居酒屋)は?』って言われたときは“ジョン万次郎……? なんだ、それは!?”って、激しいカルチャーショックを受けました」
記事引用:ウーマンエキサイト
青木さんは両親がともに教師だったことから厳しく育てられ、高校生の頃までは優等生でした。
しかし高校時代に両親が離婚しています。
以降は母親に引き取られて、母子家庭に育っています。
またその際には母親への尊敬が崩れたとインタビューで話しています。
私が高校生の時に離婚することになり、私は母がいうところの「かわいそうなうちの子」になり、「これまで、この人、何を私に教えてきたの?」となった。母への尊敬がガラガラと崩れだし、そうなると止まらなくなり、母でなく教師じゃないか、母ではなく女じゃないか、汚らわしい。となるのに時間はかからなかった。「私も母が嫌いなの」という友人が現れても、私のほうが絶対嫌い!と自慢できるほどだった
記事引用:婦人公論.jp
その後も母親とは距離ができてしまいましたが、後に和解しています。
【主な卒業生】
金原弘光(総合格闘家)
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青木さやかの学歴~出身大学(名古屋学院大学)の詳細
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出身大学:名古屋学院大学 外国語学部 偏差値48(やや容易)
青木さやかさんは高校卒業後は、名古屋学院大学に進学します。
大学では外国語学部に在籍して、中国語を専攻していました。
また大学時代はサークルの放送文化研究会に在籍していました。
青木さんはこのサークルでの活動が大学時代の思い出深いこととインタビューで話しています。
「大学在学中の思い出深いことといえば、私の場合はサークルです。私は「放送文化研究会」に所属していました。放送文化研究会は、主に大学祭などのイベントで音響や司会を担当するサークルで、技術部、企画部、アナウンス部があり、私はアナウンス部にいました。そもそもサークルに入ったきっかけは「友達に誘われたから」という安易な理由でしたが、活動していくうちに、どんどん楽しくなってきたんです。サークルの一大イベントは大学祭なので、それに向けてみんなで企画して、たくさん練習して。円陣を組んで、本番前から泣きそうになったり…。大学祭が終わると、その達成感から、みんなで抱き合いながら号泣するんですよね」
記事引用:名古屋学院大学
このサークルでの活動がきっかけになって、大学時代にアナウンサー志望になっています。
また大学時代はミスコンなどにも出場していました。
加えて当時から名古屋市内の芸能事務所「名古屋タレントビューロー」に所属して、タレントとして活動していました。
そして青木さんはアナウンサー試験を受験していますが、すべて落ちてしまっています。
そればかりではなく就職活動にも失敗しています。
そのため大学卒業後は、名古屋タレントビューローで本格的にイベントの司会者や岐阜放送の仕事を開始しています。
以降は中京圏ではタレントとして人気を博していました。
29歳だった2003年1月にお笑い芸人に転身してワタナベエンターテインメントに移籍すると、「どこ見てんのよ!」などのキレ芸でブレイクしています。
その後は多くのバラエティー番組にレギュラーとして起用される人気芸人になっています。
その後は女優としても活動を開始して、数々の話題作の連続ドラマにも出演しています。
2020年にはYOUTUBEに公式チャンネル「犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方」を開設します。
こちらも好評となっています。
以上が青木さやかさんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
当初はローカルタレントとして活動していましたが、29歳でお笑い芸人に転向するとすぐに売れっ子になっています。
現在でもお笑いタレントとして活動するほか、女優としてもドラマや舞台で活動するなどマルチに活躍しています。
根強い人気を誇っていますから、今後の活動にも注目です。
経歴・プロフィールの詳細
1994年にタレント養成所のテレビタレントセンターに入所。
当初は中京圏でフリーアナウンサーとして活動するが、お笑いタレントに転身して1996年にデビュー。
しばらくはフリーとして中京テレビの番組などに出演した後に、2003年にワタナベエンターテインメント入り。
同年から「ネプリーグ」や「笑う犬の太陽」などにレギュラー出演し、全国的に知名度が上がる。
2004年のドラマ「奥さまは魔女」で女優デビューし、2005年の「本当にあった怖い話」で初主演。
女優としても「無理な恋愛」や「ブラック・プレジデント」、「ゆとりですがなにか」などの連続ドラマに出演。
私生活では2007年に3歳年下のダンサーと結婚し女児を出産するも、2012年3月に離婚。
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