陸上選手の山縣亮太さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。イケメンアスリートとして知られる山縣さんですが、実は高校時代に彼女にフラれたことがきっかけで、陸上の記録が伸びたという経験の持ち主でした。学生時代のエピソードや情報、当時のかっこいい画像なども併せてご紹介いたします
山縣亮太(やまがた りょうた)
1992年6月10日生
身長177㎝
血液型はA型
広島県広島市出身の陸上選手
以下では山縣亮太さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
山縣亮太の学歴~出身大学の詳細
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出身大学:慶応義塾大学 総合政策学部 偏差値70(超難関)
山縣亮太さんの出身大学は、名門私立大の慶応義塾大学です。
山縣さんはこの大学にはスポーツ推薦ではなく、AO入試の後期入試で入学しています。
山縣さんはいくつかの有名大学から推薦の話がありましたが、すべてを断っておりさらに大会日程の都合でAO入試の前期入試が受けられなかったため難易度の高い後期入試を受けています。
当時のことについて次のように話しています。
「自分の価値を下げないためには、難しいことに対して常にチャレンジをする姿勢が必要だと思っています。実は大学入試も“崖っぷち”だったのですが、慶應の後期試験1本でいきました。」
この大学では体育会競走部(陸上部)に在籍していました。
ただしこの大学の陸上部はさほどの強豪ではありませんでした。
大学2年生のときにロンドンオリンピックの代表選手に選出されており、ロンドンオリンピックに出場したことについてインタビューで次のように話しています。
「ロンドンに出ることができたこととそこで自己ベストを出すことが社会人になっても陸上を続けることにつながりました。それに陸上が大きな存在になったきっかけだったなとも思います。」
ロンドンオリンピックでは100mで準決勝進出、男子4×100mリレーでは4位になっています。
山縣さんはこの大学に入って良かったと思うことについて、インタビューで次のように話しています。
「慶應の競走部にはこれといったコーチがいるわけではないんですよね。だからその練習メニューや計画を作るのも自分たちでやらなければいけないし、走りの課題を見つけて克服するのも基本的には自分が自分の走りのコーチになってやっていかなければならないという環境なので、そういった中で常に自分の走りと向き合える4年間だったなと思います。」
逆に指導者がいないことはデメリットになることもあったそうで自身がスランプに陥ってしまったときには、何をどう改善すればよいのか分からなかったため長く抜け出せなかったと言います。
また大学3年生のときには「実は実業団じゃないという選択肢も考えているんですよね……」と将来の進路について話していました。
山縣さんはこのように大学時代に陸上選手として大きく成長しましたが、学業もしっかりとおこなっており大学はキッチリと卒業しています。
大学卒業後はセイコーホールディングスに入社していますが、この会社に陸上部はありませんでした。
より良い環境で競技をするのであれば、実業団に所属することが一番ですが、山縣さんはインタビューで次のように話しています。
「セイコーさんは“選択肢”を与えてくれる。何が必要か考えて会社側に提示することで、できることの可能性が広がる。自分はわがままだし、人と違ったことをしたいという気持ちがあったから」
そこで慶應義塾大学で同級生であり競走部のマネージャーだった瀬田川さんが山縣さんをサポートしており、専任マネージャーとして瀬田川さんも後にセイコーホールディングスに入社をしました。
そして24歳だった2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、桐生祥秀さんやケンブリッジ飛鳥さん、飯塚翔太さんとともに出場した4×100mリレーで悲願の銀メダルを獲得しています。
さらに2021年には布勢スプリント男子100m決勝で、9秒95の日本新記録をマークしました。
そして東京オリンピックの100mのメンバーにも選出されています。
オリンピックでは100mとリレーでの活躍が期待されます。
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山縣亮太の学歴~出身高校の詳細・フラれて記録が伸びた!
出身高校:広島県 修道高校 偏差値70(超難関)
山縣亮太さんの出身高校は、私立の男子校の修道高校です。
この高校は広島藩の藩校の講学所がルーツの伝統校で、古くから県内ではトップレベルの進学校のひとつとして知られています。
また高校での募集は10名程度となっているので、入学は非常に難関です。
この高校の系列の中学校に通っていたことから、一般受験ではなく内部進学で進んでいます。
山縣さんは高校時代は成績優秀で修道高校の中でも文系のトップクラスにいたそうです。
また中学時代に全国レベルのスプリンターと言われて注目されていましたが、短距離走の強豪校に進学せずに修道高校に進学した理由について次のように話しています。
「ひねくれてたんですね。他の人がやってないことにチャレンジして、結果を出すことに価値を見出してた」
また山縣さんの実力がいきなり伸びたのは中学生から高校生にかけてだったそうで、中学時代に交際していた彼女にフラれて練習に励んだところ高校1年生の春に10秒台を叩き出しました。
この時のことについて山縣さんはインタビューで次のように話しています。
「初めて自分で自分を越えようと思ったのが、あの頃です。記録が出たのが嬉しくて、未練はなくなっていました」
競技では高校1年生の時に国体の少年の部・100mで優勝しています。
また高校2年生の時に出場した世界ユース陸上のメドレーリレーで銅メダルを獲得しています。
高校3年生のインターハイ終了後に、陸上部が自由な練習環境で知られる慶応義塾大学への進学を決めています。
【主な卒業生】
吉川晃司(ミュージシャン)
福井謙二(アナウンサー)
大町怜央(アナウンサー)
西村真二(お笑い・コットン)
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山縣亮太の学歴~出身中学校の詳細
出身中学校:広島県 修道中学校 偏差値63(やや難関)
山縣亮太さんの出身中学校は、私立の修道中学校です。
この中学校には一般入試で入学しており、高い学力を有していました。
中学時代も陸上部に在籍していました。
中学時代は自動車と走っていたそうで、人通りの少ない夜遅くにリレーでバトンを貰うような姿勢で自動車を待ち、走りはじめて30mくらいでまた次の車を待つという練習をしていました。
当時のことについてインタビューで次のように話しています。
「運転手には『何だ、こいつ』と思われていると思いますけど。車に勝てたら格好いいじゃんって。夜中の2時、3時とか、人のいない時間に、楽しいですよね」
そんな努力もあって、中学時代に記録を大きく伸ばしています。
そのため複数の陸上の強豪校からスカウトを受けましたが、そのまま系列の高校に進学しています。
山縣亮太の学歴~出身小学校の詳細
出身小学校:広島県 広島市立鈴が峰小学校
山縣亮太さんの出身小学校は、地元広島市内の公立校の鈴が峰小学校です。
家族構成は両親と2歳年上の兄の4人家族です。
山縣さんの実家はスポーツ用品店を営んでいました。
幼少期からカープファンだったことから広島市民球場に通っており、将来は野球選手になりたかったそうです。
また幼稚園の頃にはサッカーをやっていました。
しかし小学4年生のときに市のスポーツ交歓大会の100m走で優勝になり、インタビューでは次のように話しています。
「ピンのある靴とスニーカーとじゃ一秒くらい違うんですけど、僕は当時そんなの知らなくて。でも、スタートした瞬間から、途中で誰かを抜かしたとかもなく、ずっと一人で先頭きって走ったんです。その時に走りながら思ったんです。『ああ、これが自分の得意なことなんだ』って。今でも鮮明に覚えています」
陸上クラブに所属しているような小学生がスパイクを履いて出ていた大会で、山縣さんはスニーカーで優勝をしています。
この走りが陸上クラブの顧問の先生の目に留まりスカウトされて、山縣さんの競技生活がはじまりました。
小学校時代には既に全国大会で入賞するほどになっています。
以上が山縣亮太さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
高校時代から注目を集めていましたが、その後も順調に陸上選手として進化を遂げています。
そして29歳の2021年には、男子100mの日本記録を更新するまでになりました。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
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