人気俳優の佐々木蔵之介さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りいたします。意外なほどに無気力だった高校時代や演劇に打ち込んだ大学時代などの学生時代のエピソードも併せてご紹介します
佐々木蔵之介(ささき くらのすけ)
1968年2月4日生
身長182㎝
血液型はO型
京都府出身の俳優
本名は佐々木秀明(ひであき)
以下では佐々木蔵之介さんの学歴や経歴、出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介していきます。
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佐々木蔵之介の学歴まとめ
出身大学:東京農業大学 農学部(中退)→神戸大学 農学部
出身高校:洛南高校
出身中学校:京都市立二条中学校
出身小学校:ノートルダム学院小学校
佐々木蔵之介の学歴~出身小学校(ノートルダム学院小学校)の詳細
出身小学校:京都府 ノートルダム学院小学校
佐々木蔵之介さんの出身小学校は、京都市にある私立のノートルダム学院小学校です。
同校は京都では古くから名門小学校として知られ、キリスト教を基本にする教育をおこなっており、小学校でありながら英語も必須科目にしています。
佐々木家の3兄弟はすべてこの小学校に通っており、実家が裕福だったことが窺えます。
自宅から市バスと市電を使って通学しており、当時は小学校への通学も「冒険」だったと振り返っています。
また実家の佐々木酒造は1893年(明治26年)創業で洛中に唯一残る酒蔵です。
主力商品の「古都」は作家の川端康成がその味を絶賛したことでも知られています。
また本来は佐々木さんが跡を継ぐ予定でしたが役者になったことから、現在は弟の晃さんが跡を継いでいます。
ちなみに佐々木さんの兄は「飲んでなくなってしまうものを作るのは嫌だ」と言って、早々に建築の道に進んでいます。
また三男の晃さんは佐々木さんが俳優の道に進んだことから、当初は嫌々家業を継いでいます。
佐々木さんは子供の頃から足が速かったので、小学校2年生の頃からリレーの選手を務めていました。
学校の成績も優秀で(兄はかなり成績優秀だった)、学級委員長を務めたこともありました。
ただし当時はあまり目立つタイプではなく、小学生時代は女子にモテた記憶はないとのこと。
(小学校時代)
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佐々木蔵之介の学歴~出身中学校(京都市立二条中学校)の詳細
出身中学校:京都府 京都市立二条中学校 偏差値なし
佐々木蔵之介さんの出身中学校は、地元である京都市上京区の公立中学校・二条中学校です。
この中学校は古くから京都市内で唯一の難聴学級を設置していることで知られています。
佐々木さんの中学校時代のエピソードはほとんどありませんが、バラエティー番組で「電気をつけないで暗い風呂に入るのが好きだった」と話しています。
なお前記のように佐々木さんは私立のノートルダム学院小学校の出身ですが、系列中学校は女子校(ノートルダム女学院中学校)しかないので、公立中学校のこの中学に進学しています。
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佐々木蔵之介の学歴~出身高校(洛南高校)の詳細
出身高校:京都府 洛南高校 偏差値60程度(当時)
佐々木蔵之介さんの出身高校は、私立の男子校の洛南高校です。
この高校は1918年開校の仏教系の私立高校で、現在は偏差値75程度の全国的な進学校として知られています。
そのため毎年京大や東大にも多数の合格者を輩出することで有名です。
また同校はスポーツも盛んでバスケットボール部やバレーボール部などは、全国的な強豪として知られています。
佐々木さんは同校へ一般受験での入学でしたが、当時の同校は自動車科を併設していた時代で、ちょうど進学校になる過渡期だったため現在ほどレベルが高くありませんでした。
また高校時代は部活動などはおこなっておらず、帰宅部でした。
佐々木さんは高校時代は消極的であまり前に出るタイプではなかったとインタビューで語っています。
「京都の洛南高校という男子校に通っていたのですが、気が小さいというか、表に出るタイプではなかったですね。その頃を知っている人は、僕が舞台に立つなんてことは考えられないと思います」
高校時代は無気力であまり勉強しなかったことから、成績もよくありませんでした。
また中学・高校時代を通じて部活動はおこなっていませんし、あまり遊んだ記憶もないとバラエティー番組に出演した際には話しています。
当時のこの高校には丸刈りの校則があったため、高校時代はずっとスポーツ刈りでした。
さらに男子校に通学していたことから、高校時代は女子とほとんど話をしなかったと語っています。
佐々木さんの実家は京都で130年あまり続く老舗酒蔵佐々木酒造ですが跡継ぎである兄が酒造業ではなく、建築家の道を志したことから、高校時代には既に家業を継ぐことを意識したそうです。
「高校2年の時に、文系に行くか理系に行くかの選択があって、自分としては漠然と「経済学部にでも行こうかな」と思っていたんですが、母が「実家を継ぐという選択肢もあるよ」と言ったので、「じゃあ、継いでもいいよ」と…」
(高校時代)
上記のインタビューにあるように当初は経済学部などを視野に入れていましたが、家業を継ぐことを決意してからは農学部への進学を目指しています。
【主な卒業生】
森脇健児(タレント)
澤田有也佳(タレント)
冨田洋之(体操選手・アテネ五輪金メダリスト)
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佐々木蔵之介の学歴~出身大学(東京農業大学・神戸大学)の詳細
出身大学:東京農業大学 農学部(中退) 偏差値52(普通)
※後に神戸大学農学部に入学して卒業
佐々木蔵之介さんは高校卒業後は、東京農業大学に進学しています。
現役での合格ではなく1年間の浪人生活を経ての進学です。
農学部を専攻したのは、実家の老舗酒蔵の佐々木酒造を継ぐためで、実際に大学でもバイオテクノロジーや酒米の研究をしていました。
ただし佐々木さんは東京農業大学に通学しながら仮面浪人をしており、周囲へも心を閉ざしていたと述べています。
そして翌年に神戸大学農学部に合格したことから同大は中退しています。
ちなみに神戸大学に入学する前に、「下町唐座」で唐十郎さんの舞台を見た際には衝撃を受けています。
「建築の勉強をしていた兄から「隅田川沿いに安藤忠雄が設計した芝居小屋があるよ」と言われたのが、唐十郎さんの仮設劇場『下町唐座』です。『さすらいのジェニー』という作品だったんですけど、劇場の一番後ろの席で観ても、圧倒的なエネルギーを感じたんです、「何なんだろ、これは!」って。最後は舞台奥が屋台崩しになって、舞台セットのプールと隅田川が一体化するんです。演劇を観慣れていない僕には、内容を深くは理解できないけど、とにかく衝撃的でした。凄いものを目撃した、驚く演劇体験をしたんです」
記事引用:ライブドアニュース
出身大学:神戸大学 農学部 偏差値60(やや難関)
大学時代に神戸大学を再受験したのは、東京大学に進んだお兄さんの影響があったようで、入学当初から予備校に通学していました。
「兄がとても優秀だったので、そこに引け目を感じていたというのがあります。高校は京都の進学校に進んだものの、成績はめっちゃ下のほうでした(苦笑)。東京の私大に入学してからも、もう一度受験しようと思って予備校に通ったりして。いろんなところで心を閉ざしていた」
記事引用:AERA dot.
神戸大学に編入してオリエンテーションがあった日に、たまたま高校時代の同級生に再会して演劇研究会「はちの巣座」の新入生歓迎公演会に誘われたことがきっかけで、この研究会に入っています。
また佐々木さんは実際に舞台に上がって「認められた」と感じたことから、大学時代は舞台に打ち込んだことをインタビューで話しています。
「それから神戸大に入って、もう受験勉強しなくてもよくなって、サークルの勧誘で演劇に出会ったんです。舞台上で、お客様に拍手をいただいたり、笑っていただけたりしたことで、何かひとつ“認められた”という感じはありました」
記事引用:AERA dot.
特に1年生だけの新人公演で主演を務めた際に、カーテンコールで観客から拍手を受けたことは今でも覚えていると述べています。
高校まで部活動などをやってこなかった佐々木さんにとっては、演劇研究会での活動は非常に楽しかったとのこと。
ちなみに佐々木さんの芸名の「蔵之介」ですが、サークルの先輩から新人公演に使う芸名を電話でいきなり聞かれて迷っていたところ、一緒にテレビで野球を観ていた父親が「大石内蔵助」に因んで命名しました。
神戸大学時代は演劇の舞台に立つとともに、選挙事務所のアルバイトをした際にはウサギの着ぐるみを着たこともありました。
22歳の時に「はちの巣座」から派生した劇団「惑星ピスタチオ」に参加しています。
ただし佐々木さんは大学時代は演劇に熱中したため、あまり大学には通学していなかったことを明らかにしています。
また就職活動は「しんどかった」とインタビューで話しています。
「しんどかったですよ…。受験とは、また違いますもんね。落ちたら、人間性やそれまでの自分を否定されたみたいに錯覚してしまう。経歴や志望理由を話すために、理論武装しようとすると疲れるし(笑)。そこをなんとか頑張った上で落とされたら…本当にキツイですよね。」
記事引用:就職ジャーナル
それでも何とか大学は卒業しています。
大学卒業後は広告代理店の大広に勤務する傍ら、劇団活動をおこなっていました。
ちなみに就職先の大広は博報堂の子会社で上場こそしていないものの、従業員が800人を超える大きな会社です。
当時は俳優になるつもりはなく実家を継ぐつもりで、広告代理店に入社したのも新聞やラジオ、雑誌などで宣伝する方法を学ぶためでした。
たまたま大阪本社に配属されたので、「休日になんとなく劇団を続けていた」とインタビューで語っています。
とは言え、佐々木さんはこの劇団の看板俳優となっています。
しかし大広に入社して2年半経った時に会社を退職して、俳優の道に進んでいます。
「家業を継がなかったのは、出会ってしまった演劇とその仲間との関係を“ここで終わらせたくない”と思ったからです。芝居は、僕のそれまでの人生で長く続けることができた唯一のことだった。もしかしたら、唯一の“夢中になれる遊び”であり“自己表現”だったのかもしれない。それを、中途半端に終わらせることはできなかった」
記事引用:AERA dot.
また会社の同期入社に増田英彦(ますだおかだ)がいたことから、会社を辞めて俳優業一本に絞る際には、既に芸能活動をしていた増田さんに相談したそうです。
とはいえ実家の後継ぎだったことから当初は俳優をやることは家族に反対されていました。
しかし32歳だった2000年にNHKの朝ドラ「オードリー」に出演した頃には認めてもらい、実家の佐々木酒造では「オードリー」という名前の日本酒を発売しています(実家は弟が継いだ)
ちなみに佐々木酒造で販売した「オードリー」という日本酒は創業以来の大ヒット商品になって、それがもとで父親とも和解したとのこと。
「私が広告代理店時代のノウハウを生かしてパッケージを考え、番組のポスターと一緒に酒販店に持っていきました。放送がお歳暮の時期と重なったこともあり、創業以来の大ヒット商品になりました。それで和解。売り上げに貢献したからなんです(笑)」
記事引用:産経ニュース
この朝ドラへの出演がきっかけとなって以降は話題作の連続ドラマや映画に起用されることになって、人気俳優の階段を昇り続けました。
現在では連続ドラマや映画で主役級を務めるほどです。
以上が佐々木蔵之介さんの学歴や学生時代のエピソードです。
一風変わった経歴を持つ佐々木さんですが、数々の話題作の連続ドラマや映画に出演しており、今や実力派俳優のひとりに数えられるほど。
また黒木瞳さんや天海祐希さん、戸田恵梨香さんや仲間由紀恵さんなど並み居る人気女優と共演してきました。
さらには「スーパー歌舞伎」に出演するなど、俳優としての活動の幅も広がっています。
やはりその明晰な頭脳は役者を志す意味でも、大いに役立ったようです。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
経歴・プロフィールの詳細
1968年(0歳):京都府京都市で生まれる
実家は造り酒屋の佐々木酒造
1987年(19歳):演劇研究会「はちの巣座」に入会
1990年(22歳):劇団惑星ピスタチオを旗揚げ
1992年(24歳):広告代理店・大広に就職
1998年(30歳):劇団惑星ピスタチオを退団
2000年(32歳):NHK連続テレビ小説「オードリー」に出演
2007年(39歳):NHK大河ドラマ「風林火山」に出演
2008年(40歳):連続ドラマ「ギラギラ」に主演
2009年(41歳):連続ドラマ「ハンチョウ」に主演
2014年(46歳):映画「超高速!参勤交代」に主演
2021年(53歳):連続ドラマ「IP~サイバー捜査班」に主演
2021年(53歳):一般人女性と結婚
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