政治家の石破茂さんの出身高校や大学の偏差値などの学歴情報をお送りします。実は石破さんは高校時代はキャンディーズの大ファンでした。また現在の奥さんとは大学時代の同級生でしたが、1度は告白してフラれていました。学生時代のエピソードや情報、若い頃の画像なども併せてご紹介いたします
石破茂(いしば しげる)
1957年2月4日生
身長176㎝
血液型はB型
鳥取県八頭町出身の政治家
自由民主党所属
本名同じ
以下では石破茂さんの出身高校や大学の偏差値、学生時代のエピソードなどをご紹介いたします
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石破茂の学歴まとめ
出身大学:慶応義塾大学 法学部法律学科
出身高校:慶応義塾高校
出身中学校:鳥取大学附属中学校
出身小学校:鳥取大学附属小学校
石破茂の学歴~出身小学校(鳥取大学附属小学校)の詳細
出身小学校:鳥取県 鳥取大学附属小学校
石破茂さんの出身小学校は、国立の共学校の鳥取大学附属小学校です。
父親は鳥取県知事や自治大臣を務めた石破二郎さんです。
石破さんは父親が48歳だった時に生まれた子供です。
生まれたのは東京都ですが、その直後に父親が鳥取県知事になったことから鳥取県に転居しています。
また母親が元教師で教育熱心だったことから、小学校の頃から勉強を頑張っています。
小学校時代は毎晩1時間程度、偉人伝の朗読をしていました。
当時から学校では優等生でした。
その一方で多趣味で知られる石破さんですが、小学校時代からプラモデル作りや漫画が大好きでした。
そのため政治家になった後にアニメのキャラクターのコスプレをしたこともありました。
石破茂の学歴~出身中学校(鳥取大学附属中学校)の詳細
出身中学校:鳥取県 鳥取大学附属中学校 偏差値57(中の上)
石破茂さんの出身中学校は、国立の共学校の鳥取大学附属中学校です。
この中学校は1947年開校の国立中学校で、鳥取県内ではトップクラスの進学校です。
前記のように石破さんはこの中学校の系列の小学校に通学しており、中学には内部進学で進んでいます。
当時の石破さんは優等生で、学級委員や生徒会の活動にも参加していました。
ところが当時は学生運動や安保闘争の真っただ中で「反体制」のスローガンも流行していたこともあり、父親が鳥取県知事だった石破さんへの風当たりも強くなっています。
中学2年生の時には学級委員や生徒会の選挙に落選しています。
さらに同じ年には立ち退きでもめていた鳥取駅前の商店街で火事があったのですが、親しい友達に「父親がやったんだろう?」と言われて大きなショックを受けています。
これらに加えて中学時代に風紀委員を務めていましたが、大きな反感も買ったことがありました。
このようなことが重なったことから高校は鳥取県内の高校に進学せずに、神奈川県の慶応義塾高校に進学したようです。
【主な卒業生】
鶴崎修功(Quiz Knock)
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石破茂の学歴~出身高校(慶応義塾高校)の詳細
出身高校:神奈川県 慶応義塾高校 偏差値75(超難関・現在)
石破茂さんの出身高校は、私立の男子校の慶応高校です。
同校は1950年開校の慶応義塾大学の系列の私立高校で、古くから自由な校風で知られています。
神また卒業生のほとんどが慶応大学に進学しますので、現在では偏差値も跳ね上がっています。
そのため現在ではかなりの難関校になっていますが、石破さんが在籍した当時はここまで偏差値は高くはありませんでした。
とは言え石破さんはこの高校には一般受験で入学しています。
現在も自由な校風で知られている同校ですが、石破さんは当時は「日本で一番いい加減な学校だった」とインタビューではなしています。
高校時代は部活動などはおこなっていなかったようです。
また石破さんは高校時代からアイドルグループ「キャンディーズ」の熱狂的なファンで、中でも藤村美樹さんがお気に入りでした。
ファンクラブにも入会しており、バスツアーにも参加しています。
またその時の写真とされる画像(下の画像)がWEBに出回っていますが、石破さんは本人であることを否定しています。
(前列右から2人目。田中好子さんの隣)
とは言え当時から現在に至るまで石破さんはキャンディーズの大ファンで、2011年にメンバーの田中好子さんが亡くなった際には、「大事な友達を亡くしたような思いだ」とコメントしています。
ちなみに石破さんはキャンディーズのシングル全17曲をすべて歌えると述べています。
「シングル17曲を全曲歌えます。カラオケではキャンディーズメドレーを選びますね。大抵の人は、1、2曲歌えない曲があったりするものだけど、私は通しで歌えます。私のまわりで全曲を歌えるのは自民党の山本一太参議院議員(61)と中谷元・元防衛相(61)くらいです」
記事引用:AERA dot.
なお勉強面では高校時代は国語が得意で、特に漢文や古文は1番だったそうです。
その反面数学や物理などの理系の科目は苦手で、5点をとったこともありました。
そのため石破さんは当初は看板学部の経済学部に進学したかったのですが、「数字を見ると頭が痛くなる人間が経済学部に行ってなにをするんだ?」という結論に至って、法学部に進学しています。
【主な卒業生】
小出恵介(俳優)
櫻井翔(嵐)
岩田剛典(アーティスト)
ミッツ・マングローブ(タレント)
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石破茂の学歴~出身大学(慶応義塾大学)の詳細
出身大学:慶応義塾大学 法学部法律学科 偏差値68(難関)
石破茂さんは高校卒業後は、私大の名門・慶応大学に内部進学しています。
前記のように高校はこの大学の系列校に通学していたことから、一般受験ではなく内部進学で大学に進んでいます。
大学時代は4年間好物のカレーを食べ続けたそうです。
また大学時代は熱心に学んで、「律法会」という法律研究サークルにも在籍していました。
そのため大学時代に弁護士を目指して司法試験を受けることも検討していましたが、最終的にはサラリーマン志望に方向転換しています。
また大学2年生の時には全国学生法律討論会に出場して第1位をとったほどです。
加えて石破さんは当時からかなりの「オタク」で、プラモデルやアイドル、自動車や軍事関係、飛行機などが趣味でした。
ちなみにアイドルに関しては大学時代はキャンディーズと河合奈保子さんの大ファンでした。
なお後に結婚することになる佳子夫人は大学の同級生です。
(後列右が石破さん、前列右端が佳子さん)
石破さんは大学時代に学期末試験の勉強サークル「石破のヤマかけ講座」を開いていたのですが、そのサークルに参加したのが最初の出会いでした。
「NEWSポストセブン」のインタビューで、佳子さんは当時の石破さんの印象について次のように話しています。
「夫は他の男子生徒とは一風違う雰囲気がありました。当時、ジーンズや『アイビールック』ファッションが流行っていたのですが、彼はいつもきちんとシャツにネクタイ、ジャケットを着ていて、真面目そうなかただと思いました。」
記事引用:NEWSポストセブン
その際には石破さんは佳子さんに一目ぼれしていますが、大学時代は友人としてつかず離れずの関係でした。
そして大学を卒業する際に石破さんは「結婚を前提に付き合ってほしい」と告白していますが、佳子さんの返答はなんと「ごめんなさい」でした。
その理由は当時の石破さんは「君と結婚するために安定した道を選ぶよ」という雰囲気が出ていたそうです。
そのため佳子さんはやりたいことを諦めてほしくない気持ちもあって、交際を断ったとインタビューで述べています。
とは言えふたりが24歳だった1981年に石破さんの父親が亡くなって、佳子さんが大学の友人たちと連名で香典を贈ったことで連絡を取り合うようになり、1983年9月に結婚しています。
このような経緯もあったことからか現在の石破さんは「永田町一の愛妻家」とも呼ばれています。
大学卒業後は三井銀行(現在の三井住友銀行)に入行しましたが、当時は毎朝7時過ぎに出社して多くの仕事をこなしていたとのこと。
その3年後に衆議院議員だった父親が死去してしまいます。
元総理の田中角栄氏に勧められて政界を目指すと、28歳の若さで衆議院議員選挙に当選。
当時は全国最年少の国会議員でした。
その後はいったん自民党を離党して新進党に参加していますが復党しています。
以降は党内の要職も歴任しています。
これまで何度となく時期総理大臣候補に名前が挙がるなど、党内でも有数の実力者として知られています。
当選回数の割には政治家としてはまだまだ若いので、今後の活躍にも期待が高まります。
※追記
2020年9/1日に石破さんは総裁選挙への出馬を表明しました。
相手となるのは菅義偉さんと岸田文雄さんですが、麻生派や二階派の支持を取り付けた菅さんが圧倒的に有利と報じられています。
※追記
2024年9月に、石破さんは自由民主党の次期総裁に選出されました
そのため次期内閣総理大臣に就任する予定です
今後の動向に注目です。
以上が石破茂さんの学歴と学生時代のエピソードのまとめです。
一時は自民党を離れていますが、その後に復帰して要職を歴任しています。
またたびたび総裁選挙への出馬も噂され、現在でも総理大臣候補のひとりです。
今後のさらなる活躍にも期待が高まります。
菅義偉官房長官の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と経歴や若い頃の画像
岸田文雄の学歴|出身大学高校や中学校の偏差値と学生時代のエピソード
経歴/プロフィールの詳細
父親は自治大臣を務めた石破二朗。
1981年に父が死去すると政治家を志し、1983年に田中角栄の木曜クラブの事務局に勤務する。
1986年の衆議院議員選挙に出馬して、28歳で初当選。
1993年に自民党を離党して、改革の会や自由改革連合を経て、新進党の結党に参加。
1996年に新進党を離党して、無所属で総選挙も圧勝。
1997年3月に自民党に復党。
2002年の小泉内閣で防衛庁長官として初入閣。
2008年に自民党の総裁選挙に立候補するも、5人中最下位に終わる(当選は麻生太郎)
以降も農林水産大臣や内閣府特命大臣などの要職を歴任。
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